江戸奇伝 『百姓幸助と身代わり如来』
大般若波羅蜜多經. 卷第11(国会図書館D)
幸助は、信濃国では清助という名前ですが、江戸の高家に仕えているときは太田幸助と名乗っているので、江戸では幸助と呼ばれています。
幸助は叔父が生きていた頃に叔父の意志を継いで、信濃国の號紫慶山・善光寺行願所である正覚院月輪寺に、大般若経(全部で六百巻余りある)を出来るだけ集めて寄進しようと思い探して歩いたのですが、田舎ではなかなか事が進まず、合計六十七巻を寄進するだけで精一杯になりました・・・(この続きはこちらから)