黒船に潜入した最後の忍者「澤村甚三郎」が行なった隠密行動
戦乱がおさまり、世の中が平定することによって忍者の活動は少なくなっていった。1637年の島原の乱は、幕府の老中松平信綱が甲賀忍者を率いて指揮にあたっていたが、この大規模一揆が忍者集団の最後の組織戦であったとされている。そして幕末、情報収集によって潜入するという職務を行なった、最後の忍者と呼ばれる人物がいた。
それは伊賀の忍者、澤村甚三郎保祐(じんざぶろうやすすけ)である。
甚三郎は、伊賀国の藤堂藩の領地で無足人として生活していた。無足人は名字帯刀を許され、武士に準じる者として農民と区別されていた。その生没については不明であるが、代々狼煙役の家柄であったという…(続く)