2006年7月7日に交通事故で脊髄損傷により完全四肢麻痺になった私が
完全復活目指して一年の病院生活の後障害者施設にお世話になることに
2007年8月から3年間お世話になりますが
あまりに馬鹿馬鹿しい社会が成り立っていることに驚き・戸惑って
侮っていたらしっかり施設から追い出されるはめに
さていかなる事件が起きたのかじっくり話していきたいと思います。
引っ越し初日は
さすがに兄夫婦が付き添いできてくれました
その頃はKさんもすっかり家族と馴染んで
「お願いしますね」
と
深々頭を下げられる立場に
引っ越しして最初にしたのが
コールの設置
病院で使用してた感圧式センサーを枕の下に差し込む奴が
しっかり使えることがわかり
次に決めたのが
毎日のスケジュールでした
ほぼ病院時代と同じスケジュールで
ベッドから離脱したりギャッチする時間を決めたり対向する時間を決めたりしました。
のちのち不満だったのが
スケジュールで決まったこと以外はなにもしてくれないということでした。
これだと
身体が良くなってきても何も出来ないことに気がつきます。
新聞読みたくとも
それには付き合ってくれませんし
本なんかも然り!
起きたり寝たり
お風呂に入ったりリハビリに出掛けたりは時間が決まってて
介助してもらえますが
それ以外は会議にかけるか?
要望書だすか?
そんなイメージです
ただそれ自体施設の決まりとして文句はありません。
が
それって
刑務所と何か違いはありますか?
事故のおかげで
わたしの極普通の自由はいずこへ?
刑務所ですか?
そこら辺の根本的な生活を返してほしくて
現在裁判で戦っているところです
自宅で生活するのにも
市はヘルパーを派遣してくれます
一日何時間になるのか詳しく話をしていないので分かりませんが
そのヘルパーが施設の介護士と同じ仕事をしてくれるのだと思います
寝起き・対向・食事作りと介助・お風呂等
四肢麻痺のわたしはそれ以外にもしたいことが沢山
そのためにわたしの手足の代わりをしてくれる介助者が必要になります。
そんなところを保証してもらうための裁判が未だに終わっていない
もっと自由が欲しいですね。
yozame
完全復活目指して一年の病院生活の後障害者施設にお世話になることに
2007年8月から3年間お世話になりますが
あまりに馬鹿馬鹿しい社会が成り立っていることに驚き・戸惑って
侮っていたらしっかり施設から追い出されるはめに
さていかなる事件が起きたのかじっくり話していきたいと思います。
引っ越し初日は
さすがに兄夫婦が付き添いできてくれました
その頃はKさんもすっかり家族と馴染んで
「お願いしますね」
と
深々頭を下げられる立場に
引っ越しして最初にしたのが
コールの設置
病院で使用してた感圧式センサーを枕の下に差し込む奴が
しっかり使えることがわかり
次に決めたのが
毎日のスケジュールでした
ほぼ病院時代と同じスケジュールで
ベッドから離脱したりギャッチする時間を決めたり対向する時間を決めたりしました。
のちのち不満だったのが
スケジュールで決まったこと以外はなにもしてくれないということでした。
これだと
身体が良くなってきても何も出来ないことに気がつきます。
新聞読みたくとも
それには付き合ってくれませんし
本なんかも然り!
起きたり寝たり
お風呂に入ったりリハビリに出掛けたりは時間が決まってて
介助してもらえますが
それ以外は会議にかけるか?
要望書だすか?
そんなイメージです
ただそれ自体施設の決まりとして文句はありません。
が
それって
刑務所と何か違いはありますか?
事故のおかげで
わたしの極普通の自由はいずこへ?
刑務所ですか?
そこら辺の根本的な生活を返してほしくて
現在裁判で戦っているところです
自宅で生活するのにも
市はヘルパーを派遣してくれます
一日何時間になるのか詳しく話をしていないので分かりませんが
そのヘルパーが施設の介護士と同じ仕事をしてくれるのだと思います
寝起き・対向・食事作りと介助・お風呂等
四肢麻痺のわたしはそれ以外にもしたいことが沢山
そのためにわたしの手足の代わりをしてくれる介助者が必要になります。
そんなところを保証してもらうための裁判が未だに終わっていない
もっと自由が欲しいですね。
yozame