阮籍
儒者は、スキルが高い。
志も高いし、マナーも法もよく守る。
とても立派な人物だ。
あるべき道を信じて、教えをよく守る。
接待もうけない。
ただ、強烈に人をほめたり、責め立てたりする。
老子は、そんな非人間性を深く嘆いた。
(参考 「老子を読む」稲田孝著 勁草書房)
道徳家は、他人に自分の信念を押し付ける。
このようなかたくなな姿勢は人を傷つける。
******
いつも考えるのが、バランスです。
柔軟に生きる
というのが、老子の発想。
欲を捨てる。
ありのままを受け入れる。
ただ、この世で幸せに生きるためには、
競争を受け入れて努力する
ことも大切です。
このバランスをどう取るか。
そのスキルが高い人が、幸せに生きられるのだと思います。
時間・お金・エネルギーもバランス良く手に入れ、楽しむ。
老子は、欲を捨てる
過度に期待しない
ことを重視します。
自然体。
しかし、自分に厳しく信念を持って、礼や法や道に従って生きることも大切だと思います。
今の時代で幸せに生きる方法は、
自助努力の思想(学問を尊び修練して身につける考え方)
スキルを身につけていく儒家の思想
と、
とらわれない老子思想
とをうまくバランスをとって、理解し体得していくことだと思います。
スキルアップを果たす
とともに、
人に自分の考えを無理やり押し付けたり、他人を非難したりしない寛容の精神や思いやりを身につける。
自分に厳しく他人に寛容な人物になる。
おそらく、仁を唱える儒家思想はそういうものだと思いますが、
思いやりを身につける前に、他人を厳しく非難する儒家が多すぎたため、老子が嘆いた
ということなんだと思います。
今のマスメディアや国民の多くも
政権や他人を非難する
ことは大好きです。
(アマゾンのKAGEROUコメント)
多くの人が評論家になり、自分は傷つかないようにしています。
平気で人を傷つける反面、傷つけられることには慣れていないので、メンタルに通う人はどんどん増えています。
おそらく、老子が嘆いた儒家は、そういう批判好きな人たちだったのだと思います。
努力して、いままでうまくできなかったことができるようになる。
その過程で、お金を手に入れる。
そのお金で、他の人に仕事を提供する。それにより、幸せのエネルギーを交換する。
みんなが自分の役割をもち仕事をし、さらに人に喜ばれるように創意工夫をして、商品やサービスを改良する(イノベーション)。
その改良された商品やサービスをほめたたえ、お金を払う。
経済がうまく回り出せば、きっと楽しい世界になるはずです。
老子は、欲を捨て、山にこもる。
ここからは、イノベーションは生まれません。
それはそれで、一つのライフプランでしょうが、それこそ、ひとそれぞれで、僕にはまだ早すぎます。
もっと、知らないことを知りたいし、職人の技で感動したいし、おいしいものを食べたいし、
よい映画を見たいし、巧妙に設計された温泉を楽しみたい。
海外にもどんどん行ってみたいし、いろいろな人と話をしてみたい。
こういった適度の欲は必要だと思います。
欲にとらわれすぎるのは、不幸になりますが(手放す勇気。所有から利用へ。)、
欲をうまくコントロールできれば、
他人の努力に敬意を払い、自分も楽しめる(エネルギーが増える)
ということになるからです。
儒者は、スキルが高い。
志も高いし、マナーも法もよく守る。
とても立派な人物だ。
あるべき道を信じて、教えをよく守る。
接待もうけない。
ただ、強烈に人をほめたり、責め立てたりする。
老子は、そんな非人間性を深く嘆いた。
(参考 「老子を読む」稲田孝著 勁草書房)
道徳家は、他人に自分の信念を押し付ける。
このようなかたくなな姿勢は人を傷つける。
******
いつも考えるのが、バランスです。
柔軟に生きる
というのが、老子の発想。
欲を捨てる。
ありのままを受け入れる。
ただ、この世で幸せに生きるためには、
競争を受け入れて努力する
ことも大切です。
このバランスをどう取るか。
そのスキルが高い人が、幸せに生きられるのだと思います。
時間・お金・エネルギーもバランス良く手に入れ、楽しむ。
老子は、欲を捨てる
過度に期待しない
ことを重視します。
自然体。
しかし、自分に厳しく信念を持って、礼や法や道に従って生きることも大切だと思います。
今の時代で幸せに生きる方法は、
自助努力の思想(学問を尊び修練して身につける考え方)
スキルを身につけていく儒家の思想
と、
とらわれない老子思想
とをうまくバランスをとって、理解し体得していくことだと思います。
スキルアップを果たす
とともに、
人に自分の考えを無理やり押し付けたり、他人を非難したりしない寛容の精神や思いやりを身につける。
自分に厳しく他人に寛容な人物になる。
おそらく、仁を唱える儒家思想はそういうものだと思いますが、
思いやりを身につける前に、他人を厳しく非難する儒家が多すぎたため、老子が嘆いた
ということなんだと思います。
今のマスメディアや国民の多くも
政権や他人を非難する
ことは大好きです。
(アマゾンのKAGEROUコメント)
多くの人が評論家になり、自分は傷つかないようにしています。
平気で人を傷つける反面、傷つけられることには慣れていないので、メンタルに通う人はどんどん増えています。
おそらく、老子が嘆いた儒家は、そういう批判好きな人たちだったのだと思います。
努力して、いままでうまくできなかったことができるようになる。
その過程で、お金を手に入れる。
そのお金で、他の人に仕事を提供する。それにより、幸せのエネルギーを交換する。
みんなが自分の役割をもち仕事をし、さらに人に喜ばれるように創意工夫をして、商品やサービスを改良する(イノベーション)。
その改良された商品やサービスをほめたたえ、お金を払う。
経済がうまく回り出せば、きっと楽しい世界になるはずです。
老子は、欲を捨て、山にこもる。
ここからは、イノベーションは生まれません。
それはそれで、一つのライフプランでしょうが、それこそ、ひとそれぞれで、僕にはまだ早すぎます。
もっと、知らないことを知りたいし、職人の技で感動したいし、おいしいものを食べたいし、
よい映画を見たいし、巧妙に設計された温泉を楽しみたい。
海外にもどんどん行ってみたいし、いろいろな人と話をしてみたい。
こういった適度の欲は必要だと思います。
欲にとらわれすぎるのは、不幸になりますが(手放す勇気。所有から利用へ。)、
欲をうまくコントロールできれば、
他人の努力に敬意を払い、自分も楽しめる(エネルギーが増える)
ということになるからです。