知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

貧富の差があって、何が悪いのか。

2011年01月30日 | 国家論
人は国家財政の観点からは平等ではない。

これが、僕の見解です。
人は、人間としての価値の観点からは平等であるが、
 国家を運営する財源という視点からは、平等ではない。

 自分で稼ぐことができる、努力するタイプの人間が尊い。
その帰結として、貧富の差はあってよい。
むしろないほうが、不自然であり、不平等である。
 努力したものと努力しなかったものの結果を、国家が意図的に平等にするというのは、
 努力したものからすると、不平等な結果を国家が招いたことになる
わけです。

憲法は、努力できる機会を同じように与えるという機会の平等は保障するが、
それによって生じた貧富の差という結果の平等は是認している。

貧しいものが、豊かなものに、
 お前は豊かだから、俺たちにカネを払うべきだ
というのは、
 誤りである。

政治家がこんなことを言おうものなら、袋叩きにあうかもしれません。
しかし、弱者の味方だと善人ぶっているメディアも、
 弱者のために何かをしているわけではない。

 あなたの団体は、弱者の救済のためにがんばっておられるんですね。
 弱者保護のために、無償で30秒のスポットCMをゴールデンタイムに提供しましょう。
などとは、言わない。

ビジネスだからです。

他の国民もそう。
弱者だからといって、お金を恵んでやる人はそんなにいない。
募金箱にお金を入れる人もそれほど多くない。

自分のお金は大事だからです。
それが、税金という形で、自分のお金でなくなった瞬間、
 弱者にお金をばらまかなければいかない
というような、
 「善人の暗示」にかかってしまう。

 累進制を高めて、お金持ちからたくさん取って、貧しい人に配ることは善である。
そのように主張しだす。その背景には、自分は関係ないという真意があります。

富の偏在に悩んでいたイギリスは、累進性を高め、富を平準化しました。
その結果、格差は小さくなったわけですが、
 富を作る強者がいなくなってしまい、国家が停滞しました。

それにより、強者から税を取れなくなってしまい、結果として、財源不足に陥り、弱者も苦しむようになりました。
また、強者がいなくなったことにより、仕事が減り、失業率が上がり、国際競争力もなくなりました。


必要なのは、強者を育てる戦略です。
強者を育て、仕事をたくさん作ってもらう。グローバル市場で戦ってもらう。

弱者にお金を配るくらいなら、強者を育て、弱者を採用してもらい、弱者を強者に換えるための機会を与えるべきです。

この方が、ずっと健全であり、希望もあります。
弱者にお金をばらまいても、日々の生活が維持されるだけで、希望は生まれません。
弱者に仕事を与えれば、そこで、スキルアップが図られ、人間的にも成長でき、成り上がっていく機会が与えられるわけです。

今、就職活動に苦しんでいる学生なら、イメージできるはずです。
生活保護を国からもらって、生きながらえる生活よりも、
 大変かもしれないけれど、仕事がある生活
を選ぶはずです。

仕事をさせるには、仕事を作る強者が必要です。
そのためには、貧富の差という結果の不平等は認め、スキルアップにより成功した人をたたえる文化が必要です。

そして、成功した人には、ノブレスオブリージュの思想を持ってもらう。
 スキル(能力)がある人には、責任が伴う
という意味です。

自分が生活できるようになったら、その能力を他の人のためにも使う責任があるということ。

 神から、すごい才能を与えられたんだから、それに感謝し、周りの人にも恩恵を与えてあげなさい。
貴族の思想です。

これは、僕の思想の核にあるのですが、どの哲学、宗教にも出てくる考え方です。

儒教でいえば、仁がそうです。思いやりの心。君子は仁が不可欠。
仏教でいえば、利他。お布施の考えもそう。
イスラム教でいえば、ザカードやサダカ。
ちなみにイスラム教は、テロの影響から怖いというイメージが大きいですが、
ムハンマドの教えは、キリスト教同様、慈愛に基づくものが多く、寄付行為もさかんだと言われています。


つまり、貧富の差をなくすために、累進性を高め、少数の金持ちから、略奪して、貧困層にばらまくのではなく、
貧困層が暮らしていけるための仕事の創出を行わせたり、
出資をしてもらい、教育施設を建設したりすべきであるということです。

あしなが基金をたくさん作って、授業料に悩む子供を支える。
出資をしてもらい、特別養護老人ホームと託児所を一緒にできる施設を作ってもらう。
施設には、出資者の名前をバネルで彫り込む。地元名士の名前が並ぶ。慈愛の精神に富んだロータリーやライオンズの人が協力してくれるはず。

どうしても、生活できないような人に対しては、お金で支給する必要がありますが、
仕事があれば、生活できるという人には、仕事を与える。

 魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える。
その方が、本人のためになるからです。


貧富の差をなくすべきだと叫ぶのは、
 みんなで貧乏になるべきだ
と言っているのと同じことです。

大企業から税金をたくさん取るべきだという共産党の主張も同じです。
大企業を仮想敵国として、貧乏な人の票を集めるという手法は、そろそろやめた方がいいと思います。

まぁ、ばらまいて票を買おうとする民主党も、利権を失ってみじめさを実感している自民党も(巻き戻しに必死です。利権なき自民党は自民党ではない。政権を奪って、利権を取り戻せ。パーティー券を買ってもらえないままじゃ浮かばれん。)、
特定宗教に頼りっぱなしの公明党も、理念なき集合であるたくさんの新党も大差はないですが。


この強者に資源を集中するというのは、経営戦略としては、基本です。
弱点を補うために資産を遣っても、他者と差別化ができないので、結局売れず、資源が無駄になります。
強みに特化して希少性が生まれれば、利益を上げることができ、その利益を遣って、弱い部分の補強もできるようになります。

強者の論理だと言われそうですが、強者の論理が重要です。それについて、議論する必要はないと思います。
強者の論理で何が悪いのですか?
 強者の論理こそが、みんなを幸せにする。

 強者の論理は、弱者を食い物にするものだ。
というのは、直ちに結びつくものではないというのが、僕の考え方だからです。

強者が、孔子の言う仁を備え、弱者に配慮できれば、すべての人が幸せになれる共同体が生まれます。

弱者の論理に従えば、みんなが弱者になって、競争に敗れてしまいます。
 ばらまきの弱者の論理では、すべての人が不幸せになってしまいます。

どちらを選択するか?
今日本は、あまり状況を分析することなく、
 多数になりつつある弱者の票が欲しくて、後者を選択しようとしています。

僕の思想は、
 小さな国家を基本として、
 成熟した知的な国民が、自助努力に励み、イノベーションを起こす。
 その結果、うまくいったものが豊かになり、失敗したものが貧しくなる。
 貧しくなったものも、うまくいったもののビジネスがあるため、仕事にありつける。
 そこで、仕事をしながら、知的に成長し、第2回戦に臨むことができる。
 今度は、そのものが成功をおさめ豊かになる。そのころ、時代の流れから、前回うまくいったものが失敗をする。
 そのときには、2回戦でうまくいったものが、1回戦ではうまくいったが、その後失敗したものに仕事を提供して、再チャレンジのための準備をさせる。

 こうして、社会は助け合いながら、成長を遂げていく。
 そういう自助努力と慈愛に満ちた国家が僕の理想とする国家像です。

その国の国民は、知的能力が高いので、
 選挙には必ず行き、政治にも関心を持っています。
 自分の政治思想も、自分の理想の国家像も持っています。

判断する際には、自分の利益のみならず、他の仲間の国民の利益、他国や地球規模の利益、
 これから生まれてくる将来の国民の利益
を考慮し、
 何がみんなの利益になるかを考えて、判断します(無知のヴェール+功利主義的思想)。

会計スキルの高く、会計監査院を通して、無駄がないかを確認します。

ずるをして自分さえ儲かればいいという人はいないので、天下りや談合、随意契約などもなくなっています。

自分の特性に合わせた仕事について、
 ライフワークバランスをとって、仕事とプライベートを楽しんでいます。

休日には、ボランティアなど他の人のためにも行動して、エネルギーをもらいます。

みんな職につくことができ、コミュニティーもしっかりしていて、
 みんながお互いを配慮しているので、孤独死も児童虐待も存在していません。

気軽に相談できるので、おれおれ詐欺にも引っかからずに済みます。

効率的な国家運営のため、税金も安く、規制がない分物価も安い。
比較的広い家に住み、安全でおいしい食べ物を食べ、自分の好きな洋服でおしゃれを楽しむ。

効率的な福祉運営により、介護施設が充実しているので、老後の心配をしなくてもすむ。


そのためには、どうしたらよいのかを考えていけば、
きっといつか実現できると思います。

そのための第一歩が、若い世代が政治に関心を持って選挙に行くということです。
おかしいものは、おかしいと文句を言う。
こういう制度を作れと国に言う。 
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地方財源の充実こそが、生活を豊かにする。

2011年01月30日 | 国家論
ライフスタイルを考えた場合、
 最も大切なのは、実は地方の生活
です。

一日のライフプランを考えてみてみるとよいと思います。

朝起きて、朝食をとり、
歯磨きをし、
通勤電車に揺られ、
仕事に行く。
仕事をして、昼食。
その後、仕事をして、夕食。
団欒。
テレビを見て、睡眠。

多くのサラリーマンのライフプラン。
主婦は、ゴミを出す。
子供を送り出し、
洗濯をしたり、
掃除をする。
子供を迎えに行き、
夕食の買い出し。
夕食の準備。

子供は、学校へ行く。
帰りに友達の家に遊びに行く。
戻ってきて、夕食。
勉強。
睡眠。

行政サービスはほとんどが地方自治体が提供するものです。

仕事も、学校も、買い物に行くスーパーも、
 地方経済
です。

つまり、国家などは、それほど重要ではない。
地方がしっかりしていていればよい。

 地方が財源を有し、行政サービスを提供できるスキルを持っていれば、住民は幸せに暮らせる。

そういうことです。
これが、新たな時代です。

今までは、国民国家といって、
 国家対決の時代
でした。

そのため、国家レベルでの運営が不可欠な時代だったわけです。
安全保障、冷戦、国家の高度成長。

しかし、ある程度国家が成熟した場合、次は、暮らしの豊かさを追求する段階に入ります。

その段階では、
 日々の生活
に焦点を移すことになります。

それが、地方自治の発想です。

国会を見ていれば分かると思います。
彼らに何ができるのか?
何を決めて、何を実行できるのか?

どの政党も、自分たちの権益のことしか考えていない。
このことは、審議拒否で解散に持ち込もうという卑しい野党の考え方を見てみれば、良く分かります。
審議拒否をするのであれば、歳費を返す必要があります。
議員報酬も、労働の対価である以上、
 審議を拒否しておいて、給料をもらおうなどということはできない。

ちなみに、労働法上も、ストなどの場合、給与を支払う必要はありません。
ストをする権利は認めていても、仕事をしていない時間に対する労働の対価を支払う負担までは認めていないわけです。


そのため、こういった国会議員の権限をはく奪するために、
 権限を地方にどんどん移譲させる
べきです。

これによって、何が変わるのか?
一つは、地方で優秀な経営者が首長となることで、地方が再生するということ。
これは、必ず、起こります。
理由は、再生を阻害しているボトルネックが外れるからです。

そして、次に起こることは、市民の政治に対する関心が高まり、民主主義が実現されるということ。

今、若者が選挙に行かない理由は、投票しても意味がないと考えているからです。
これが、優秀なリーダーを選べば、自分の暮らしが豊かになると分かれば、
 真剣に政治のことを考えるようになる
はずです。

ばかな自治省OBを当選させたがために、住民税が来年から30パーセントアップだってさ。

隣の自治体は、あの企業を再生させた社長さんが主張になったから、財政が健全化して、10パーセントダウンしているのに・・・隣の自治体に引っ越そうかなぁ。

うちは、去年家を買っちゃったから、簡単には引っ越せないよ。次の選挙では落とさないとな。

そういえば、次の選挙のために、経営者の擁立を掲げているらしいよ。
ユーチューブで趣旨説明が見えるらしいから、チェックしてみなよ。僕は、ブログもチェックしているけど、かなり優秀だと思うよ。


会社法を勉強すると、国家機構と同じということを学びます。
株主が国民。取締役会が国会。代表取締役が総理大臣。監査役が裁判所。

この考え方で、地方自治を考えると、
 住民は自分で代表取締役を選べる(首長の直接公選制)
という特徴があります。

これが、地方自治の最大の特徴であり、この閉塞的な国家を改変する可能性を秘めています。

住民が優秀なリーダーを選び、経営をしてもらう。
経営の結果は、良いものも、悪いものも受け入れざるを得ない。
経営の結果が悪い自治体からは、人が去っていく。
経営できなくなった知自体は、M&Aのように、吸収合併させられる。
勝ち組自治体と負け組自治体が登場する。
負け組自治体は、勝ち組になるために、知的に成長するようになる。
その過程で、既得権益を排除していかざるを得ない(随意契約の廃止、競争入札化)。
競争により切磋琢磨することで、サービスがよくなっていく。

これは、民間でも同じ。吉野家や松屋やすき家が戦うから安くて、質がよいものが生まれる。

ただ、この戦いの前提として、
 自分たちで戦うための権限と財源が必要です。

 よし、うちの自治体はこの豊かな観光資源を生かしてアジアからの観光客を呼び込もう。
と観光戦略を練っても、
 建築基準法に引っかかるのでそのような建物は立ちませんよ。
 国道なので、自治体は自由に利用できませんよ。
といろいろ規制で動けずに、
 財源は独自財源がない
ので、なんともならない。

これが、今の自治体の現実です。

中央は、自治体に権限を渡したくない。天下り団体が減るからです。
議員の数も減らされたくない。当選しにくくなるからです。

国家は自治体ができない対外的な業務と、全国共通に定めなければならない限定された業務を行うだけで十分です。
そうなれば、数は圧倒的に少なくてもよい。

その代わり、地方へ人員を回して、地方の再生に本気でかかるべきです。


国力を高めるのに、一番大切なのは?

中央の官僚の待遇を良くする?
議員の研修制度を充実させる?

実は、国民を豊かにするということです。

戦争をする際に、国民が豊かで土地や財産を持っていると、一致団結して闘うので、非常に強い。
アレクサンダー大王が征服地に大幅な自治を認めたのも、元が服従した国家に寛大だったのも同じ理由からです。

国民が豊かで、財産を取られてなるものか!と思うと、外敵から自分の財産を守るために、必死で戦う。

これは、今の時代でも同じです。

国民が豊かで、幸せで、今の生活に満足していれば、国家や地方を信任して、協力する。
今までの日本国民がおとなしいと言われてきた理由も、それなりに暮らしていけたからです。
国民がそれなりに豊かであれば、国家や地方と自分との利害が一致するので、必死に頑張るわけです。

ところが、国家が自分たちの利益や自分たちの政策の失敗の穴埋めのために、
国民から搾取を始めると、
 国民は国家に対し刃を向けます。

これが、反政府デモであったり、海外進出であったり、サボタージュ(働かないことも含む)です。
今後、日本でも職がない若者が暴徒化する可能性は十分にあり得ると思います。
特に、生活保護の受給資格が厳格化され、頼るべき親の資産が尽き果て、日本にもスラムが誕生するようになると、
貧しい学生は、はけ口を求めるようになるはずです。今の北アフリカの混乱はこのような理由からです。

では、どうしたらよいのか?
国家は、国民に約束をする。
 不当に搾取はしませんし、自由にやってもらってよい。
 その結果、うまく行ったり利益の多くは、あなたの利益になりますよ。

これは、国土開発のために、王が地方の豪族に、開墾地を税の支払いを十件に自分たちのものとしてもよいと約束して、
領土を広げた戦略と同じです。
特に、財源が乏しい国家が、領土を開発したい時に使われたものです。
これにより、各豪族は自分たちの費用で開墾を始めます。将来のためにがんばるわけです。

これは、国民が自分たちの費用で、勉強するのと似ています。
費用を出して、将来のためにがんばるわけです。
国民が教育により、知的に成長して、稼げるようになると税収が得られるので、国家の利益になります。
開墾によって、領土が増えるのと似ています。


この約束を、地方と国民、両方に行う。
税配分を地方に譲る。
国民には税率を上げないことを約束する(税負担を軽くすることも、恩恵を与える効果)。

その結果の貧富の問題は、地方と国民の助け合いの精神の教育で補う。
福祉主義も教育も、地方に委ねるのが本当はよい。
効率の問題と、チェックがしやすいという利点から。

今は、福祉予算を4兆円組んでも、そのうちのかなりの部分が、人件費や印刷代など別の支出に出ていっているはずです。
実際に、支給されている金額は、圧倒的に少ないはず。つまり、公務員の給与に消えている部分があるということ。
地方でやれば、そういった負担を減らせる(財団法人なんとか協会に回らなくすることができる)。



今の日本を救う一つの方法は、
 政治に経営の手法を取り入れる
ということです。

大企業病に陥り、倒産寸前の会社を再建するためには、
 大規模なリストラが不可欠である
ことは、経営を学んだことがある人にとっては常識です。

国家で行う場合、それは地方分権です。
ツムラが漢方だけに絞り、再生をしたように、
 国家は国家規模で行う業務に専念し、人員をリストラして再生を図る
べきです。

切り離されたバスクリンも小さな組織で、
 努力して、開発に取り組み、何とか再建へ向かっています。


地方を切り離し、独自の権限と財源により、
 地方も経営のスキルを取り入れて、再建を図る
必要があります。

それを可能にするのが、
 株主と同じような権限を持つ国民なわけです。

このままでは、
 株の価値はどんどん値ベリして、紙くずとなってしまいます。

株の価値を上げるためには、
 株主総会に出席して、よい経営者を選ぶ必要があります。

それが、
 選挙なわけです。

選挙で、自分の未来を託せるリーダーを選ぶ。
仮にいないのであれば、擁立して作り上げる。



コントロールできることとコントロールできないことに分け、
コントロールできないことはそのまま受け入れ、
コントロールできることに集中する(第一原則)。

コントロールできないことも時間軸をさかのぼらせることにより、
コントロールできるようになる可能性がある(第二原則)。

コントロールできないことも他の人の力を借りることにより、
コントロールできるようになる可能性がある(第三原則)。


僕にとって、日本がうまくいかなくなることはコントロールできません。

そのため、そのまま受け入れて、破綻後に備えて、スキルアップに励んできます。
破綻しても、スキルがあれば、何とかなるからです。その試みは今のところうまくいっています。

ただ、国家についても、まだ何とかなるかもしれないという希望もあります(第2)。
そこで、方法を考えると、若い世代が投票をすることで、
年寄りが古い時代の論理で行う、時代遅れの政治が変わる可能性があるかもしれないという仮説を立てました。

ブログで書いているのも、読んでくれている他の人が、そういう問題があるのかと認識してくれるだけで、
その人が友達に話をして、投票に行ったり、スキルアップをすることにより、
国や地方が少しずつ変わってくるかもしれないとの期待があるからです。

おそらく、何も考えないような人もいるのでしょうが、
少しの人でも、問題意識を持って、よい社会になればいいと考えて毎日を行動するだけでも、
長期的に見れば、かなり変わってくると思います。

残念ながら、メディアはまじめな内容は面白くないので伝えません。視聴率が取れないからです。
でも、本当は、努力であるとか、スキルアップであるとか、道徳だとか、人格形成という
当たり前のことが大事であると思います。


最近の政治家や、経営者を見ても、尊敬できる人格を兼ねそろえている人はあまりいません。
子供が道徳を軽んじるのも、そういう環境で育ってきているからだと思います。

子供が電車で席を譲ったときに、「次の駅で降りるから、結構だ」と冷たくいう高齢者を目撃しました。
子供は気まずくなって、席を立ったまま。

ここで、この高齢者が人格者であれば、仮に次の駅で降りるので、本当は面倒だと思っても、
「ありがとう。」と言って座っていたはずです。
 勇気を出して、よい行いをした子供を笑顔でたたえてやろう
という気持ちがあるからです。

それにより、その子供は一日がよい気持ちで送れます。エネルギーを受け取ったからです。
見ている人も、ほんのり優しい気分になれ、エネルギーを受け取ることができます。いまどき感心な子供だ。
高齢者は、一度座ると降りるのに面倒かもしれませんが、些細な労力です。

そのため、全体のエネルギーは高くなります。これは、功利主義的思考です。


それを、自分の都合で、迷惑そうに「結構だ」と言い放った。
それにより、子供は、もう席を譲ろうとは思わなくなる可能性があります。
勇気を出して良いこと(道徳的行い)をしたのに、迷惑がられたという負の結果になったからです。
子供の心は傷つき、他人に親切にしても、迷惑がられるだけだという情報がインプットされました。

他人の道徳的行為や、努力に敬意を払い、笑顔でよくやったとたたえてやることも、
思いやりであり、優しさです。

こういう優しさが欠けている高齢者が増えていることが、
 社会的無関心を生み、
その結果、
 独居老人を生み出し、孤独死を招いている
と考えることができます。

そして、高齢者に対する思いやりが欠如した社会では、
 高齢者は、お金を持っていて、だましやすいカモ
になるので、
 おれおれ詐欺のような卑劣な犯罪
が多発します。


やっぱり、年をとっている人は、経験豊かで考えることが深いよな。
人格も兼ねそろえていて、尊敬するよ。

こういう高齢者ばかりであれば、若い世代は高齢者を敬うようになります。
これが儒教の考えにつながります。

儒教でいえば、単に高齢者だから偉いというよりは、
 高齢者は徳を積み、仁の教えを実践してきた
から、敬うべき対象なわけです。

高齢の政治家を見ても、自分の利権ばかりでとても尊敬できるような言動をしていない。
高齢者にしても、自分たちの年金のことばかりで、子供や孫、今後の世代のことは気にしていない。

これでは、お年寄りを大切にしましょうといっても、
 弱い人間だから
という消極的な理由にとどまってしまいます。

高齢者は、弱者だから大切にするのではなく、
 人生経験を積み、知的に成長した存在だから、社会の宝として大切にする
必要があるわけです。

ジェダイからヨーダが尊敬され、大切にされているのと同じ理由です。

そのためには、高齢者も人格者としてふるまう社会的責任があると思います。
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