入口戦略では、孟子が役立ちます。
悉く書を信ずれば則ち書無きに如かず
書(本)そのまま信じてしまうのであれば、
書をまったく読まない方がよい。
よい本を選んで、よく考えて読むべきだということ。
ただ、よい本かどうかは、読んでみないと分からないため、
疑いを持って、批判的な目で読む
自分で考えながら読む
とよいということです。
これは、
経路(分析・思考)
についてのことでもあるのですが、
インプットの際にも、これはいいな
というものを集めるとよいと思います。
ニュースも同じで、
報道しているんだからすべて正しいんだろう
等と思うと、
人に操られてしまう
わけです。
そうであれば、ニュースなど見ない方がよい。
疑ったり、考えながら、
その情報をさらに入手するか
を検討する。
重要でないニュースなどは、無視する(忘却)。
入手する情報は注意が必要であるということです。
ただ、難しいのは、
無駄な情報と有益な情報の取捨選択
です。
よい情報を入手するには、
たくさんの情報に接する
というのが一番の方法だからです。
人から情報を得て入手する。
尊敬する人やうまくいっている人が、勧めてくれたものを読む。番組を見る。
→おそらく、これがインターネットで口コミが流行る理由。kakaku.com,amazon,居酒屋,旅館など
商品や情報があふれすぎていて、選ぶことが難しくなってしまっているので、
信頼できる人や多くの人(統計)がよいというものを選択する。それが集中する。
多くに接するが入手しない。
これが、多読。
多読について、ショウペンハウエルは、自分で考えなくなると批判していますが(「読書について」
読書について 他二篇 (岩波文庫)
)、
個人的には、多読は必要だと思います。
理由は、現在のように本がいっぱいある時代や、複雑化している時代には、
多読しないとよい本に出会う確率が減る
ということと、
考える際には知識の一定量が不可欠
だからです。
一定ラインの知識を詰め込んだ上で、
自分で考えることができるようになる
ので、
ショウペンハウエルが言っているように多読は危険だ
といって、本を読まないと
いろいろなチャンスを失ったり、よい思考ができなかったりする
と思います。
そのため、
入口では、
価値ある物を、ある程度入手する。
(そのためには、多読もある程度必要。読んでいて使えないと思えば、売ったり捨てる。)
(ただし、テレビやニュースは、ある程度予見できるので、選択する。)
ただし、情報を集めすぎると、次の経路(分析・思考)や
アウトプット(表現)に使うエネルギーがなくなってしまうので、
そのバランスに注意する
とよいと思います。
司法試験の受験生は、
司法修習生
ではなく、
資料収集生
になってしまう人がいるそうです。
過去に出た問題や予備校の予想問題を集めまくって、
内容の理解が不十分であるとそうなってしまうそうです。
入口戦略は、
かなり難しい
ですが、とても重要なので、
初めにきちんと考えておく
とよいと思います。
使いこなせないほどの資料は必要はない。
質の高い有益な資料に出会うためには、ある程度の量は必要。
この量と質のバランス、ジレンマをどう対処していくのか。
おそらく、
多読か精読かの論点と関連して問題となる困難なテーマ
です。
悉く書を信ずれば則ち書無きに如かず
書(本)そのまま信じてしまうのであれば、
書をまったく読まない方がよい。
よい本を選んで、よく考えて読むべきだということ。
ただ、よい本かどうかは、読んでみないと分からないため、
疑いを持って、批判的な目で読む
自分で考えながら読む
とよいということです。
これは、
経路(分析・思考)
についてのことでもあるのですが、
インプットの際にも、これはいいな
というものを集めるとよいと思います。
ニュースも同じで、
報道しているんだからすべて正しいんだろう
等と思うと、
人に操られてしまう
わけです。
そうであれば、ニュースなど見ない方がよい。
疑ったり、考えながら、
その情報をさらに入手するか
を検討する。
重要でないニュースなどは、無視する(忘却)。
入手する情報は注意が必要であるということです。
ただ、難しいのは、
無駄な情報と有益な情報の取捨選択
です。
よい情報を入手するには、
たくさんの情報に接する
というのが一番の方法だからです。
人から情報を得て入手する。
尊敬する人やうまくいっている人が、勧めてくれたものを読む。番組を見る。
→おそらく、これがインターネットで口コミが流行る理由。kakaku.com,amazon,居酒屋,旅館など
商品や情報があふれすぎていて、選ぶことが難しくなってしまっているので、
信頼できる人や多くの人(統計)がよいというものを選択する。それが集中する。
多くに接するが入手しない。
これが、多読。
多読について、ショウペンハウエルは、自分で考えなくなると批判していますが(「読書について」
読書について 他二篇 (岩波文庫)
個人的には、多読は必要だと思います。
理由は、現在のように本がいっぱいある時代や、複雑化している時代には、
多読しないとよい本に出会う確率が減る
ということと、
考える際には知識の一定量が不可欠
だからです。
一定ラインの知識を詰め込んだ上で、
自分で考えることができるようになる
ので、
ショウペンハウエルが言っているように多読は危険だ
といって、本を読まないと
いろいろなチャンスを失ったり、よい思考ができなかったりする
と思います。
そのため、
入口では、
価値ある物を、ある程度入手する。
(そのためには、多読もある程度必要。読んでいて使えないと思えば、売ったり捨てる。)
(ただし、テレビやニュースは、ある程度予見できるので、選択する。)
ただし、情報を集めすぎると、次の経路(分析・思考)や
アウトプット(表現)に使うエネルギーがなくなってしまうので、
そのバランスに注意する
とよいと思います。
司法試験の受験生は、
司法修習生
ではなく、
資料収集生
になってしまう人がいるそうです。
過去に出た問題や予備校の予想問題を集めまくって、
内容の理解が不十分であるとそうなってしまうそうです。
入口戦略は、
かなり難しい
ですが、とても重要なので、
初めにきちんと考えておく
とよいと思います。
使いこなせないほどの資料は必要はない。
質の高い有益な資料に出会うためには、ある程度の量は必要。
この量と質のバランス、ジレンマをどう対処していくのか。
おそらく、
多読か精読かの論点と関連して問題となる困難なテーマ
です。