浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

岐阜市議会・H30/3月議会質問

2018-05-22 13:58:01 | 国際・政治
H30新年度予算について
・ 財政状況について 今議会の新年度予算が、義務的経費や施設管理費などの経常的な経費や継続事業にかかる経費で組み立てられた骨格予算(ある意味必要最低限の歳出を前提にした予算)であることを前提に、財政規律に関する質問をしました。高齢化などの状況を見る限り義務的経費である社会保障費関連の経費増が続きます。その意味で、歳入増加が見込めない中、平成30年度の収支も厳しい状況が続きます。しかしながら、この15年公債の発行を抑えながら、負債の減少を図ってきたことで、必要な事業への投資は今後必要になるであろうと思われます。
・ 市長の政策判断について 以上のような状況で、市長としての政策判断、いわゆる投資的事業に対する考え方を問いました。基本的には、財政調整基金の取り崩しを前提にしながら、財政規律として、財政調整基金と繰越金の合計が120億円を下回らないように、投資的事業を行うということです。つまり、基金と繰越金を維持することですが、負債の基準がないままで、基金と繰越金の基準は意味をなさないことになります。そのバランスが大切になるのではないでしょうか。
・ 特定目的基金について 新年度予算では、教育施設整備基金の取り崩しがあっても、新規の積み立てが十分になされているかどうか疑問が残るところです。負債にて充当すればよいという考え方もありますが、特定目的基金である以上、長期的な展望の上で、一定の基金積立が必要ではないかと考えます。

岐阜市信用保証協会では
 岐阜市信用保証協会は、戦後の混乱から、中核都市では珍しく、長年にわたって岐阜市の中小企業を支えてきた貴重な存在です。一方で、保証協会としては、全国的に最も小さい規模であり、県協会との競合によって、存在意義が問われているとも言えます。
そのような状況の中、効率的であると同時に、きめ細かな対応やサービスが要求され、岐阜市ならでは貸付事業が行われなければなりません。金融業界の競争激化に伴う対応も含め、今後の貸付業務の取り組みが注目されます。

保育事業の外部監査で
 外部の公認会計士による監査が、毎年、特定の事業に対して行われます。平成29年度は、子ども未来部の保育事業に対する監査であり、指摘や意見がなされ、そのことに対する質問をしました。公立保育所では施設ごとの収支管理が行われていないこと、小規模保育所などの施設増加が見込まれる供給過多の懸念について、そして保育料の滞納対策について、の3点についてです。
 収支管理については、収入が一括管理で、施設ごとの収支管理はあまり意味のないこと、三歳未満児の利用者が増加していることから、当分は供給過多の恐れはないとしています。滞納対策では、保育システムの改修と同時に「滞納処分要綱」を作成し、差し押さえも視野に入れて対応するとの事です。

子どもたちのスポーツ振興について
・ 子どもの基礎体力向上について 残念なことに、岐阜市の子どもたちの基礎体力は、全国平均の比較でデータによると、跳躍力、脚力、持久力、瞬発力のどれをとっても下回っている状況です。教育委員会の分析によれば、スポーツをする機会が少ないという比較データがあり、入塾率が極めて高いという結果を示しているそうです。つまり、体を動かすことよりも勉学に力を入れているのではないかと推察されます。それぞれの個人や家庭の考え方があるのかもしれませんが、データにとらわれるわけではありませんが、体力低下にはならないように指導していくことを願っています。
・ 部活動におけるスポーツの強化について 生徒数の減少やスポーツの多様化によるクラブ活動における強化という点で競争力が低下しているのではないと尋ねました。勝利至上主義とは言わないまでも、競争の原理があってこそスポーツの意義があり、部活動の在り方や指導者の対応をもっと考えるべきではないかと思います。



文教委員会での発言(討論採決にて)

2017-10-10 10:12:37 | 国際・政治
議案そのものに反対するものではありませんが、決算認定でありますので、政策執行について、少し、以下の3点の意見を述べたいと思います。

先日、新聞のコラムで、「実用重視な教育は、自由な問いや考えを閉ざそうとする傾向にある」とし、「そして、基礎学力の低下は、考えることの力を低下させる。」のではないかと述べています。付け加えていえば、先日、国語の読解力の低下もニュースになったところです。
そこで、学力向上ぎふプランの中の習熟度別少人数学習についてです。状況をお聞きしたところでは、算数や数学、また学習支援ソフトを使った、少人数のみならず全体に対して、学習を行っているとのことでした。現在、新たな教育事業全体の内容を見てみますと、英語教育をはじめ、理科・科学教育、IT教育、キャリア教育などの実用重視の施策が多く目立ちます。時代の流れともいうべき、こうした施策を必ずしも否定するものではありません。しかし、一方で基礎学力の充実という面で懸念されます。そこで、少人数学級についてお尋ねしたところ、小学校高学年からは、少人数教育の効果はあまりないというお答えでした。そうであれば、この「習熟度別少人数学習」が基礎学力の充実という点で、重要になってくるのではないかと考えます。現状では十分に行われているとは思いませんし、特に出遅れてしまった生徒児童に対するフォローが大切ではないかと思う次第です。「教育の事務の管理及び執行状況報告書」が示すように、もっと積極的に、成績下位10%の児童生徒に対するきめ細かな指導を行っていただくことを要望します。義務教育では、基礎学力の底上げを含む全児童生徒の学力向上が目的であって、学力テストはあくまでも手段なのではないでしょうか。

 つぎに、ハートフルサポーターに関して要望いたします。「教育の事務の管理及び執行状況報告書」では、採用要件の緩和にもかかわらず、現場のニーズにこたえられていないような問題点が指摘されています。もちろんニーズに対応していくこともさることながら、採用要件の緩和が、子供たちに対する影響が心配されます。教育現場である以上、教育の専門家がすべきことと福祉的視点を持つ専門性も必要になってくる大切な仕事です。特に療育を必要とする児童生徒にとっては、教育と福祉の両面からの指導が必要です。療育では、早期発見が早期療育に繋がっていないとか、治療・教育・訓練のプログラムが確立していないとかの問題点が指摘されており、個々の状況によって多様なケースの問題点も考えられ、専門性が要求されることになります。多くの課題を抱える現状を考えた時、現在の資格要件は、教員、養護、幼稚園、ヘルパー、栄養管理、の資格とそれぞれのエキスパートではあると思うのですが、必ずしも共通の対応ができるとは思えないところがあります。研修も行われているとお聞きしますが、ハートフルサポーターとして、専門性を持ち共通した課題に対応できる態勢で臨んでもらいたいと要望します。

 最後に、スポーツ及び体力についてのお願いです。
スポーツの効用は言うまでもなく、部活動の重要性は認識されるところですが、その課題も多く、(ここではあえてその課題を取り上げませんが)、部活動が縮小傾向にあることは間違いないようです。しかし、児童生徒の思いとともに、ハード、ソフトともにスポーツ環境を整えることは行政の役割でもあります。部活動施策の一つとして、学校またはスポーツの種類によって柔軟な合同部活が必要だと感じています。今、国や岐阜県でも検討に入っているようですが、地理的にコンパクトである岐阜市においては、最も可能性がある施策ではないかと思います。多様性、競争性、社会性という多面的な要素によるスポーツの効用を考え、その課題の一つの環境整備として合同部活を前向きに検討していただきたいと考えます。そして、体力面での懸念を指摘させていただきます。平成28年度の岐阜市新体力テストの結果を見て驚きました。小学校3年生から中学3年生までの、50m走、立ち幅跳び、ボール投げ、20mシャトルラン、持久走のデータが、平成27年度比とはいえ、多くの学年で全国平均を下回っているのです。競争ではなく劣っているという事実が何を意味するのか、いろいろあると思われますが、子供たちの健全な体力、精神に及ぶとなれば心配しなければなりません。分析を急ぐとともに、どうあるべきかを考えていただきたいと思います。これも学力と同様に、体力のない児童生徒にどう対応するかが重要になってくるのではないでしょうか。

 以上、義務教育において、少し出遅れてしまった児童生徒に対する教育という視点で指摘させていただきました。よろしくお願いいたします。



岐阜市議会・3月議会質問

2017-04-13 09:10:37 | 国際・政治
地方交付税が減っている理由は?
歳入面から見ますと、地方交付税が昨年に比べ25億円の減額になっており、将来補填されるとはいえ借金となる臨時財政対策債が15億円増え、バランスは取れています。そもそも生活保護自給の算定ミスによって毎年15億円の返還を余儀なくされている地方交付税の減少が懸念されます。といえども、市税収入が増える(プラス9億円予定)ことによって、交付税が減少する国の地方財政計画の仕組みに問題があり、借金の臨時財政対策債が積み増しされることは、将来、大きな問題になることは間違いありません。今後、地方に跳ね返ってくる負担になりかねません。

消防の広域化が始まる?
 今、瑞穂市の消防を事務委託で岐阜市が引き受けています。さらに山県市、本巣市、北方町の消防の広域化を進めようとするものです。この広域化によって岐阜市や市町にとってのデメリットを懸念しました。地理的な広がりによって従来の消防範囲内に与える影響を心配し、一方で責任範囲の広がりが他の市町にサービスの低下となって大きく影響しないかという問題です。ただ、広域化といっても、あくまでも事務委託の契約であり、その契約の範囲内の責任に限定されるということです。果たして、広域化の意義があるのかは明確ではありませんが、しっかりとした協議を求めるものです。人口減少時代においてはこうした広域行政の時代になるのかもしれません。

債権の中身は何か?
包括外部監査(第三者による特定事項の監査)が行われ、債権(将来の収入)の取り扱いについての指摘が行われました。平成27年度の収入未済額(取り立てを必要とする債権)は153億円であり、うち69億円が産廃不法投棄事案に関する行政代執行の費用です。このように収入未済額といっても、取り立て困難な債権もあり、その管理をどうすべきか問いました。5年で不納欠損として帳簿から消えます。徴収努力はもちろんのことですが、こうした回収ハードルが高い債権の取り扱いを考えなければならないと思います。

「岐阜市公共施設等総合管理計画」について?
現在ある公共施設の建て替えや統廃合問題を考えるもとになる資産データが整理され、それに基づく財政負担の軽減や平準化を図るための管理計画です。人口減少の時代には、従来通りのサービスの維持は困難であり、将来30年の基本的な指針が必要です。基礎となる資産が会計上のシステムと連動しておらず、またその資産評価がされないことは大きな問題です。計画自体は国からの指針で作成するものですが、効果あるものにしなければ意味がありません。

市民病院は大丈夫?
 民間企業に準ずる公企業の会計基準の変更によって、赤字経営になっています。改革のための『新改革プラン』では、収益の改善に限界があり、黒字化が見込めない状況であります。単なる会計処理の変更であるため、旧方式であれば黒字であるとしています。しかし、基準が変わる意味を考えていないようです。結局は新基準で累積損失が膨らむだけになります。経営形態の変更も視野に入れ、外部委員も含めた抜本的改革が必要です。また、他都市のように基準を超える一般財源の投入を検討しなければならないかもしれません。その際、どこまで許容されるのかの議論が必要になります。

職員の公正な職務を確保する条例は問題ない?
心配されるのは、条例制定によって職員の公正な職務が確保される一方、市民要求が阻害されるような事態にならないか、また不当要求行為者に対する氏名の公表は基本的人権の問題にならないか懸念したところです。法律は解釈によって意見が分かれるように、取り決められる法の境界がしっかりと定まるわけではありません。公正な職務とはなんであるか、不当要求行為の線引きはどこにあるのか、氏名を公表するにあたっての審査会は機能するのか、人によって対応が違ってもよいのか、など実際の運用面の懸念を示しました。


法令遵守の向こう側

2017-04-13 09:05:03 | 国際・政治
 法令遵守(コンプライアンス)は、「法律や社会的通念を守ることを前提に、企業や組織がそのルールに従って、公正・公平な業務を遂行すると。」と定義されます。 
 今、「忖度(そんたく)」が議論の対象になっています。この言葉がどれだけ政治家や公務員にとって法令遵守の範囲内であるのか、それとも法律や社会的通念を超えた違法性になるのかの議論です。本来、「忖度」があったとしても、法治国家である以上、法令に反しない限り、違法性を問えません。社会通念として是正するのであれば新たなルールを作ることが必要になります。ただ、「忖度」を突き詰めてルールを変えていくことに問題も起きてくるのではないかと思われます。「忖度」を認めないとすれば、必要とされる声や要望が届かない危険性もあります。
 法令遵守の向こう側にある「忖度」は、極めて政治的であるがゆえに、日本社会にある独特の『空気』をどう考えるかと思います。


船橋洋一「湛山読本」を」読んで

2016-02-03 09:08:35 | 国際・政治
戦前のジャーナリストで戦後政治家、石橋湛山の言論を改めて見直したまとめ本になっています。

歴史は繰り返すとよく言われます。戦争に突入していく状況と現在よく言われる右寄りの言動が幅を利かしていく状況が全く同じとは言えません。しかし、世論が持つイデオロギー的観念的振幅の類似性を感じながら読むと、湛山の言論がいま私たちに教えてくれることは多いと思います。世論と輿論の違いを感じながら、SNSの利点と危険性を感じながら、政治に携わるものとして確かな発言をしていかなければと考えます。

この本に続き、船橋洋一さんの日本再建イニシアティブの「戦後保守は終わったのか」を続いて読んだため、今の政治状況を見つめなおすいい機会になりました。この本については別の機会に紹介します。


ブログの再開です。。