浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

浅野ゆうじの市議会報告②

2020-10-19 13:39:52 | 国際・政治
「岐阜市議会文教委員会の争点・論点」です。

<長良小プールの補正予算の何が問題で、なぜ修正をしなければならなかったのか> 
 この問題は、学校プールの在り方が提出されたことにより、長良小学校の問題であると同時に、岐阜市全体の学校プールの改修及び水泳授業にかかわる問題としてとらえなければならなくなりました。議員にとっては、議会初日の補正予算議案の提出によってはじめて知るものも多く、あまりの唐突感であったといえます。今年3月に建設予算を通し、そして9月に建設中止を知らせる、またその前にも地元説明化をしているなどの状況を考えると、議論の場である議会において、あまりにも拙速な議論になってしまうことが懸念されました。こうしたことに教育委員会は陳謝しましたが、議場でも委員会でも質問に対する回答は十分といえず、また議員側にもそれぞれの思いがあったりする状況の中で、早急な結論には至らないだろうという慎重な判断もありました。そこで、一度振出しに戻る形で議案の修正を提案したわけです。ただし、この修正が、直ちに従来の建設の方向ということではなく、あくまで議論をする上でという付帯決議付きの修正議案となりました。改めて、何が問題であったのか、絞ってまとめてみました。
●まず、不調の原因追及が十分になされていないことです。答弁では価格に乖離があったとだけでした。基本設計・実施設計までした計画においては適正価格が想定されているはずです。価格乖離の原因は何か、今後の対応も考え、詳細な不調の原因を明らかにすべきです。
●民間委託の詳細が明らかになっていません。答弁では、先生方の負担が減る、専門的な水泳指導が行われる、建設費及び維持費の削減となるなどのメリットばかりが強調されました。一方で委託費はどうなるの、移動を含めた時間配分をどうするのか、などのデメリットはないかなどに対する答えはありませんでした。やはり具体的に詰めなければなりません。
●先に述べましたように学校プールの在り方には、全体の方針がかかわってきます。各学校の老朽化度に合わせてどのような水泳授業を組んでいくのか、民間のプールでいいのか、近隣学校と共同で使うのか、それぞれの学校の方針を詳細に詰めていくことが必要です。
その他の問題もあり、議論が深まっているとは言えません。少しでも早く議論を進めるべきです。
<岐阜市いじめ防止対策推進条例(改正)制定について>
昨年の7月に中学生の自死という痛ましい事件から、原因の究明から様々な検討もしくは対応が取られてきました。そのような中で、かつてない多くのパブリックコメント(私も13項目の意見提出)が寄せられ、実質的な予防を目指した条例になったことを期待します。



歴史認識を考える

2020-08-19 08:41:35 | 国際・政治
8月15日、日本の歴史上の大きな節目にあたり、遺族の一員として、「歴史認識」を考えてみた。
現代につながる近現代史の流れの中で、対立を生む歴史認識を理解することは極めて重要である。
大沢保昭著中央公論新社の「歴史認識とは何か」を読んでみた。
外交政治では、主観的にならざるを得ない歴史認識において、所詮、平行線で交わることのない所をどのように理解して着地点を見つけるかに尽きるのだろう。
歴史的事実や歴史的理解という言葉はあっても、歴史認識と同じことがいえるということである。
事実ではないという歴史であっても、政治外交上では、歴史認識とせざるを得ない。
国益だけを考えれば、永遠にその認識が近づくことはないだろう。ただしお互いの約束は尊重し、守らなければならないのだが。

コロナ禍の財政規律

2020-07-30 09:21:11 | 国際・政治
第2波ともいうべきコロナ感染が拡大しています。
今までのかつてない財政出動に対して、日本の財政ポジションが全く議論されていないこと、そしてさらなる財政出動がどれだけ必要であるか、できるか、不安ででなりません。
救済策を否定するものではありませんが、あまりにも政治主導のバラマキといわれるような事態は避けるべきであることは言うまでもありません。また、過度の出費となれば、その財政のポジションがさらなる景気後退に結びついてしまうことも考えられるでしょう。
後遺症が出ないように財政規律を伴う慎重な政策判断が求められます。

弱者救済と自己責任論

2020-07-29 10:28:38 | 国際・政治
国民一人一人に支給された10万円の特別給付金の政策に対して、政治的思想の根拠が全くないままに実行されてしまったことに疑問を持っています。また、答えを見つけられないままでいます。
それはコロナ禍における緊急支援が、一律に行われることは、必ずしも弱者救済であるとは言えず、また、消費による経済活性の効果があるとは思えません。こうしたことが、ファシズム的とは言いませんが、国家主義的な政策に陥ることがあるのではないかと懸念します。
自由主義や資本主義思想の中では、自己責任の明確な線引きの中で、救済を行っていくことが基本だと思うのです。
コロナ禍といえども、現在の社会体制を考えれば、弱者救済を中心としたニューディール政策などの社会主義的政策を適切に行っていくことを基本にしないと、体制の秩序が保たれないことにもなりかねないと思うのですがいかがでしょうか。


漸進するということ

2020-07-20 14:54:33 | 国際・政治
本日の「日本経済新聞」のオンライン教育の記事から、教育に関し急進的な改革ではなく漸進的であるべきではないかと考えさせられました。
コロナ禍によってオンライン教育が進められることになるようですが、必ずしも否定するわけではなく、必要であったならばなぜもっと早くできなかったのか、世界に遅れた理由は何だったのか、オンライン教育そのものの効果と課題をしっかり議論されなければならないと思います。
それは拙速にならず、時間をかける必要あり、漸進的な施策であってほしいものです。急進的な副作用のリスクは極力抑えるべきです。
また、同時に今までの教育も検証をはじめ、変えてはならないものと変えなければならないものを議論する必要があるでしょう。