多賀城(宮城県多賀城市)は、奈良・平安時代の陸奥の国府といわれている。
古代東北地方の行政や経済のみではなく、軍事の中心であったそうである。
JR国府多賀城駅で下車、観光案内所に立ち寄り、周辺のマップや資料を入手し城跡に向かう。
駅からゆっくり15分ぐらい歩くと、「外郭南門」に着く。
現在も復元工事中であることは分かっていたので、ひょっとしたら、工事用の幕に覆われていて見られないかもしれないと覚悟はしていた。
着いてみると幸いにも覆われていた幕は外され、完成後の姿にほぼ近い形で見ることができた。
二階建てで、白壁、朱に塗られた柱、堂々とした美しい門であるが、まだ、周りには建築資材や重機が置かれている状況である。
工事中の門を周りこんだところに、お堂に入った「多賀城碑」(重文)が建っている。
観光案内所で頂いた資料を読み、勉強する。
この碑は江戸時代に土中から発見されたと伝えられ、多賀城の位置や創建や改修の歴史が刻まれているという。
ちなみに、碑文には「多賀城は京を去ること一千五百里」とある。
但し、奈良時代の一里は約535mとあり、一千五百里を換算すると802.5Kmとなる。
比較材料として、鉄道の時刻表から「京都⇒東京」、「東京⇒国府多賀城」の距離を拾いだし、足してみると881.6Kmとなった。
「外郭南門」を背にして、ゆっくりとした丘陵を登り「政庁」を目指す。
南門から政庁まで広い道がまっすぐに続いていて、登りきったところが「政庁跡」となる。
政庁跡から振り返って外郭南門方向を望む。
正面、遠くに外郭南門が見える。
政庁跡は約100m四方が土を盛り上げた築地(ついじ)で囲まれていて、政庁正殿跡の基礎部分などが復元されている。
政庁正殿(せいでん)をほぼ中央に置き、外郭を築地で囲んだ一辺900mの平面をイメージしてみる。
そこに工事が進んでいる建物や、復元された遺構などを重ね合わせて、往時の姿を想像してみるのも楽しい。
仙台から一足伸ばす必要があったが、その甲斐はあった。