新潟県には日本百名城に選定されている城跡が、「春日山城」と「新発田城」の二か所がある。
新潟県は南北に細長く、それぞれを訪れるには移動距離は長くなる。
私は、春日山城を観た後、電車を利用して新発田城に行くルートをとった。
JR直江津から特急しらゆきに乗り、新潟まで2時間弱、さらに新潟で白新線に乗り換え約30分で新発田に到着する。
新発田駅から城跡までは、歩いて25分ほどで着いた。
かつては大きなお城だったのが、僅かな遺構を残しているのみである。
明治の廃城令により、多くの建物は破却され、堀は埋められてしまったという。
三の丸は市街地となり、本丸と二の丸の半分ほどは自衛隊の駐屯地になっている。
「表門」と「旧二の丸隅櫓」は江戸時代のものが現存し、新潟県では唯一の貴重な建造物である。
腰壁は海鼠壁(なまこかべ)となっていて、漆喰の白壁と調和して美しい。
石垣は隙間ができないように石の形を整えて積んであり(切込み接ぎ)、横の列を合わせてある(布積み)。
角は算木積が採用されている。
当時の高い技術を持った石工職人の仕事だそうだ。
辰巳櫓と三階櫓は平成になってから復元されたものであり、まだ新しい。
城の資料によると、次のようなことが紹介されている。
「辰巳櫓」は焼失してしまったのだが、当時の管理責任者は失火の責任を負い浪人になった。
その人は、赤穂義士の一人「堀部安兵衛」の父親である。
「三階櫓」は天守に相当するもので、屋根がT字型の構造になっていて、それぞれに鯱が載っている。
これは全国でも新発田城だけなのだそうだ。
ただし、入城する際、「この櫓は自衛隊の敷地内にあるのでそばには行けない」と注意があった。
仕方なく木々の梢の間から覗くように見ると、鯱が三匹あるのが分かる。
表門を出て、堀に架かる橋を渡ると土塁も残っている。
パンフレットの図を見ると、本丸の三方を二の丸が囲み、その先に広大な三の丸が展開している。
本丸、二の丸、三の丸のいずれもお堀に囲まれ、現在市役所があるすぐ近くまで三の丸のお堀があった。
歩いてみると、大きな城郭であったことが分かる。