自然はともだち ひともすき

おもいつくままきのむくままの 絵&文

夜の訪問者

2013年06月12日 | 絵と文


一人きり、自室でくつろぐ一番無防備な時間を見計らって、ときどき訪れるものがいました。
大概は夜更けの暗闇から現れて、いつのまにか頭の奥に居座っている、影も形もない透明なもの。
あとから思いを巡らすと、多分幸せのエッセンスらしいものを置き土産にいつの間にか姿を消してしまいます。

初めのころは、気配を感じるたび全神経を集めて彼(彼女?)のコアの部分を何とか確かめてみたいと焦ったのですが
かなわぬまま、そのこと自体これも形容しようのない不思議な喜びとなっていました。
が、近頃さっぱり音沙汰がありません。

幸せ、などと口にするのも何か気恥かしいオとしごろです。
それでも、あのほんのりとあたたまってきて、胸にふっくらしたマシュマロでも抱くようなあの感じ
音もなくやってきて、それと気づいたころにはもう夢だったように消えている…



昨夜です
見るともなくテレビの画面を眺めて、その美しい色合いを作品の中に思い浮かべているとき
不意にふわっと胸が暖かくなりました。
首から上が雲に乗ってずんずん天に近づく感覚
あ、久しぶり!

四六時中絶えたことのない耳鳴りや雑音はどこへいったのか
透き通った世界に自分も浮遊しているみたいでした。
“ぼくを わすれていた?”
幽かに声だけ、聞こえたような気がします。


・・・・・・
突然揺さぶられるような思いで、彼を脳裏に見たいと念じました。
一定の環境が整ったとき、自然に表れるように自分で育てた偶像、とでも考えたらいいか
新生児みたいに無心で、ピュアで。
自分を鏡のように映し出すもの… きっとそうです。

私はその日朝からいろんなことで凄く満ち足りた思いの中にいたのです。
夢とも現実とも思えなかった不思議な感覚を、或いはコントロールできるかも!
この夜の訪問者の姿かたちを詮索するのは無意味なこと
そしてまたひとつ日々の暮らしに楽しさが加わったのに気付きました。


 
 



受験子

2013年02月02日 | 絵と文


次郎の大学受験で、息子一家は始めて受験子を抱えるピリピリした暮らしに遭遇しました。
用意のいい家庭なら、子供が小さなころからその準備を始めるところですが、
何しろ、次郎の父親たる息子は小学・中学・高校をのんびりのらり暮らした我が身の体験をもとに
かれ独自の教育方針を信じて疑いませんでしたから、
今になって思い通りに行かない次郎を見てはひとり青息吐息?
と思ったら…
そうとも言えないらしい
見たところそれほど案じてもいないよう、と見てほっと一息。
実は息子と孫とそろってのんびりのらくらの高校生活に、陰ながら賛同、後押していたもので。


   今でも笑い話の種になる話。
   期末試験の最中にはいつも中休みが設けてあります。
   40年も昔(◎-◎;)!! 息子は高校2年、一番大切な時期でした
   当日朝、何故か忘れたけど親子三人いそいそと車で出かけたのはボーリング場

   あの、試験で固まった頭をやんわりほぐすにはこれが一番、とまで考えたかどうか
   「あんなデッカイ球をごろごろ投げるだけで何が面白いんだか」
   と最後まで抵抗していた父さんが、ものは試しと皆に勧められていやいや投げてみたら
   案に相違してどれほど楽しかったのでしょう
   以来、人一倍、はまっちゃって。

   それにしても期末試験最中にまでゆくことはないでしょう
   それが息子本人は勿論ブレーキ役の誰かも含めて全員大乗り気
   なんと開場を待って朝からのお出かけで
   昼食に一度戻っただけ、夕方まで入り浸りだったとは。 w(☆o◎)w  


次郎は小さいころから漫画の虫。こればかりは内心大いに憂えていたら
漫画といえども文学作品を10巻くらいにまとめたものも沢山ありました。
チビッコが「赤壁の戦い」とか{五輪の書}とか口にするので、
へぇ~ こんなのもいいのかな…と。

今年は毎日の勉強パターンを狂わせたくないからとお正月休みも返上して
無人の学習室にひとり籠って勉強を続けたのです。 (エンジンかかるのが遅すぎよ)
息子がそっと覗いてみたら
次郎は漫画の本に熱中していたよ、パターン通りにね、と感心していました。 
頑張れ次郎。


家族全員それなりに暖かく見守っているようです。
みんな御苦労様。

画集後日

2013年01月30日 | 絵と文


「もし七十さいまで生きのびられていたら・・・」
75歳を過ぎて芥川賞を受賞した黒田夏子さんの一言は、目に見えぬ大きな力を与えてくれました。

最強の寒波とかに襲われても部屋の中は暖かく、自由気まま好きなことにときを費やし
そこそこ病気もせず、冷蔵庫はいつも満杯、欲しいものは電話一つでいつでも手に入る。
この恵まれた環境にもあとたった一つ欠けてはならない要素がありました。

ふとしたことから体調を崩して以来、それまで念頭になかった自分の年齢が、
今度は一転頭から離れなくなって、何事にもすぐにブレーキがかかります。
個展の開催も体力気力に自信がなければいつしか実現の予定も遠のき
デスクワークで仕上がる画集の編集が面白くなって、最近はそれが目的だったように過ごしていました。
描きためたものの70%くらいを1冊にまとめて、
完成のあとの自分の姿がちょっと想像できないくらいでした。

ところが最終的にまったく無知だった「製本」の工程で行きつ戻りつ、画集はなかなか完成しません。
夢は宙ぶらりんで、それは悪循環しながらいやに寒さが身にしみる今年の冬となり、
何かが欠けているのでは?と無意識のうち暗中模索していたみたいです。

そのときでした
「もし七十さいまで生きのびられていたら」

その年をはるかに超えながら、当たり前のようにトシを忘れて生きてきたことに反省が生まれました。
同時に、これからも生き延びられたら、今まで同様作品を描き続けて、いつかまた「画集」を作ろう! 
そんな自分の姿が見えてきました。

現金なものです
朝の目覚めが明るく快適になりました。
滞っていた作品づくりの日々が楽しくなりました。

 
 次回、イメージに近づく本作りがしてみたい!

画集始末

2013年01月17日 | 絵と文


「製本は芸術である」 とある業者が言った。 なるほど。
知らなかった。もう少し早くに聞いていれば。
でもこれは仕様がないか。ふつう日常にはあまり関係ない言葉だもの。

画集など作ってみようかと、ふと思い立ったのが1年前。
だんだんと現実味を帯びてきて、実行に取り掛かったのが3か月前。
それからデータ作りの1ヶ月間は楽しかった。
朝も昼も誰からも文句の出ないマニアックな暮らし。やや色あせてるけど夢も見たし。

印刷に多少の文句も付けてさて製本に回し
出来上がる予定の吉日のあたりからきれいな虹が薄れてきた。
一定の時間が過ぎれば目の前に予想通りのものが現れる…はず。

…なんて今まで無関心でいたのだろう!  製本という技術。

四隅をそろえて。
カバーはぶかぶかさせないで。  などは序の口。
表紙が反り返り閉じてピタっと収まらず。
折り返しが滑って手に持てば中身がずり落ち。
天と地の開きが狂って矢の字型になり。
やがてパクッと糊が剥がれる。     
これで上製本?

出来上がった本の山を横目に見ながら何もできないうつろな2週間。
湿気のある寒い部屋で重しを乗せて1週間。
或る日急に猛然と闘志が湧いて起き上がり、いくつもの業者に当たりを付けた。
もう、満足できれば費用が増えようと(?)なんだろうと構わない!

......


もうそろそろ1カ月。
今更ながら動画を見ながらの勉強なども連日してみたけれど。
出来る範囲の努力はしたつもりだけれど、いずれも帯に短したすきに長し。
何度目かのやり取りで、遂にここらで妥協したらと最後通告。

本当に芸術って気難しい。


(本を作るときがあればいらっしゃい) 

トイレに神様

2012年12月19日 | 絵と文
 

 3年前お風呂場をリフォームしたついでに、玄関横の申しわけみたいな坪庭を家屋内に取り込んで、少しばかり居住範囲を広げました。
 かねがね考えていたとおりの、ご不浄ではなくリラックスできる小さな小部屋として作り変えたトイレ、きっとトイレの神様も安住していただけるでしょう。

 大好きなあずき色の濃淡と淡いベージュを組み合わせた壁面床天井、大きめの鏡も置いてちょっとした着替えもできる空間があります。
 本なども置きたかったけど、それでは家中図書室になってしまうので、もっぱら空想を楽しむための場所として取りやめました。
 「マットとかスリッパなど置くのもったいないみたいね」 「そう。床はほっぺたすり寄せてもいいほど磨いてあるから」
 息子と二人で笑い合ったのに、なんと思いもよらず今年、我とわが身で実行しちゃう派目になるなんて。



お昼に野菜たっぷり煮込みラーメンを一人分平らげて1時間後。
しくしくおなかが痛み始めてお気に入りのトイレへ駆け込みました。しばらくいたら気分は回復できるはずです。
なのにお腹の中は、まるでスパイクつけた靴で遠慮会釈もなく蹴りつけ暴れまわるように、
強い吐き気も見舞うし我慢は限界、というところでなにかさーっと水様のものが。

この辺りから記憶がはっきりしていません。
不意に体中氷漬けになったみたいに冷たくなり、くたくた崩れ落ちそうになる体を両手で支えの棒を必死につかんだのは覚えています。
あああったかいお部屋で横になりたい! でもその前にこの姿何とかしなくちゃ!・・・
…次に気が付いたとき、トイレの床にぺったりと自分のほっぺたとおでこがくっついていたのです。

ほんの2、3秒だったのでしょうか? 2、3分? それとも2,30分? 
それから長いことかかって部屋の暖かいマットに倒れこみ、しばらくうとうとしたようでした。
服装だけはきちんと直っていたのは我ながら感心です。痛さにしっかり閉じた目では多量の下血があったことにも気づかず、
何度目かに覗きこんでようやくあっと驚いたのって、きっと神様の心遣いだったかもしれません。

どんな勢いで倒れたのやら。
1か月近くもたつのにいまだに痛い頬骨とおでこ。
左手親指が付け根から10センチ余り紫色の痣になって残っているのも不思議です。
若しトイレの壁が狭くて、何か障害物でも置いてあったとしたら、最悪の場合はあの世行き。 
それが痛くもかゆくもなかったんだから楽チンこの上なし、なんだけど~   




 もひとつ、おまけがあるのです
 ○○年1カ月違いの生まれのPちゃんとは、ふたりまとめて毎年ささやかな誕生会をするのですが
 その時この話をしてびっくりしてしまいました、なんとPちゃんも同じころ同じ失神の経験をしたというのです。
 ただ彼女の場合、結婚式の会場の晴れ着姿で、エスコートされた男性にしっかり抱きかかえられて気が付いたのだから、
 それは美人の彼女にいかにもふさわしく、
 それに引き換え…
 やっぱりトイレには神様がいらっしゃって、ちゃんと公平に見守っているんですねぇ ( ̄▽ ̄)。o0○

母娘 は おやこ

2012年12月06日 | 絵と文


「やぁ、おかァちゃんとそっくりになってきたね」
しばらくぶりで再会した兄が第一声と同時にまじまじ見つめてくると、なんだか照れくさいような少しは誇っていいような。
2年前ちょっと体調を崩して以来、一挙に年相応の健康不安やらあきらめやら落胆やら入り混じり
感謝しつつも揺れ動いている地へ、それだけ加味されたらとても表現はできない複雑な気分。

女の社会的地位は無きに等しいころ
父が亡くなったあとは明けても暮れても髪ふりみだして内職に精出す母の後ろ姿しか知らないから
きれいなお母さんねと友達にうらやましがられるまで、客観的に母を見ることができなかった。
あれを柳腰と言うのか顔もからだもほっそりと、歩けば内股で見るからになよなよしているのに
後家さんになったとたん町長に直会見、進学をあきらめた姉を町役場へ強引に押し込んでしまった。

年に一度のお墓参りには三人の子供に真新しい服を着せて、
三里離れたM町から、乗り合いバスに乗っては親子ではしゃいでいた幼いころの記憶がある。
バスでT市に出てお墓参りを済まし、そのあと活動写真を見るのが唯一の楽しみだったらしい。
当時としてはかなりのハイカラさんだったけど、よく見た映画はその情報源だったのかもしれない。

長い時間とお金をかけて、美しく結いあげた丸髷や二百三高地と称する当時の髪形を
家に戻るなり惜しげもなくばらばらに崩して、好きな形に結いなおしたという若いころの母。
里帰りをして呉服屋に表れるたび、近所のおかみさんたちが覗きに来ては騒いでいたと、
これは伯父さんがのちのち聞かせてくれた。

責任は誰にあるのかは知らないけど、この親に対してひそかに申し訳ないと肩身の狭かった私。
いつも美容院から帰るとセットした髪形へ指を突っ込み、くしゃくしゃにかき乱さずにはいれないので
ふと気がついた。  やっぱりおかァちゃんの子だ!
美容院なのにこのセンスの無さ。私だってもっと自分のよさを引き出せるわ
昔手製のワンピースやブラウスを着ていたら、友人たちも言ったじゃない「人形みたいに可愛いい」って。
それって鮮やかなブルーや紫のちりめんの服に対してではないよね。 



矢のように月日が流れて、この年、亡くなった母の年齢に追いついた。
ヘアダイの色があせてきて、しょぼしょぼとまぶしい眼で鏡を見ればそこに晩年の母がいる。
にこっとウインクして、つい本音が出てしまう。
人さまには見えないくねくね曲がった道、よくこけずに歩いてきたねぇ
ほんと。 これも女の一生、満足してるけど、疲れちゃったぁ… (*^^*)

遊びをせんとや…

2012年09月20日 | 絵と文


約束の時間待ちちょいとのつもりでネットサーフィンをしてみたら、風変わりなサイトが目に留まった。

形容詞がない。センテンスは極端に短くて、てにをは を抜いたたどたどしい文章はガイジンだろうか
ハンドルネームはみやびなおみな風、中身におとなの日本女性はまるきり感じさせないが
描写の目配りは確かに日本独特の細やかなものがある。
ものうい、舌足らずの言葉の中身が、ときに深く重く
甘ったるさの一歩手前でキチッと止まるあたり、ひょっとしたら文章の達人かしらん。

故意か、あるいは痛烈な批判精神の持ち主とか?
なんでもいい、あれこれ想像するより先に
あっさりした麻薬(そんなものがあるなら)を飲まされたみたいな不思議な陶酔の中へと誘い込まれた。

本文のあとのコメントがまた読むほどに、各々の想いがあちこちで顔を出し
ツィッターとかチャットとかの書き込みなどに縁のない古い頭は
右に左に掻きまわされて熱くなったり冷たくなったり。
こんな風に、世の中は、変わってゆくんだ…


勉強になるけど遊び呆けもできる
ネットの世界では、悪意も善意もどんなうそっぱちも、見る人の受け止め方次第
気付いて不穏な世相をよそに、波のただようままに遊びを続けた  ((((((☆o◎)

約束の時間は・・・とうに過ぎている



☆想像してご覧 あのブログの主
昼もカーテンを開けない暗い部屋
散らかし放題足の踏み場もない狭い部屋で
毛むくじゃらの汚いすねを投げ出して、ビール片手にニタッとキーを打ちこんでいるとしたら。。。



チェルノブィリの赤と黒

2012年09月02日 | 絵と文


   おばあさんが市場で、トマトを売っていた。店の前には大きな字で張り紙がしてあった。
   「チェルノブィリ産のトマトだよ!」
   客がやってきて尋ねた。
   「おばちゃん、こんな張り紙したら、誰も買わないんじゃないの?」
   「お若いの、人生修行が足らんね。皆、たくさん買っていくよ。ある者は義理の父用に、ある人は姑用にってね….」


ロシアンジョークだかアメリカンジョークだか以前どこかのブログで見た、はい、ブラックユーモアです。
沢山買いたい!私なら夫に毎日たべさせるわ。と同調するコメントあり
チェルノブィリのトマトってよっぽど赤いの?ととぼけたものもあり、
女房の出す食事は怖い!とビビる亭主もぞろぞろと。
読みながらただクスクス笑うだけだった私はなんて無知な単細胞だったんでしょう!

四半世紀にもなる現在、チェルノブィリの原子力発電所を丸ごと覆った石棺は劣化して、
放射能を防ぐためその上から再び新たな石棺で覆うという事実を知っていますか?
生き延びるためには、その作業を延々半永久的に繰り返さなくてはいけないと知っていましたか?

この大事故で地図にも載っていなかった機密都市チェルノブィリは一躍世界中にその名を知られ
今度はうつくしまと呼ばれた福島が悲運のくじを引き当てて世界中から成り行きを見守られています。
時を経るにつれて原発の闇はただ深まるばかり
何時になったら以前の平和な生活が戻るのか、正しい回答を知る者は誰一人としていないという事実を知っていますか?



少しは聞き知ってその恐ろしさに思わず体が震えたことはあり…
それなのに白状すれば、いつか我が身にあらず忘れていました…



ああ私も、チェルノブィリのトマトを半個ほど齧りたい… w(☆o◎)w

たとえば君

2012年08月28日 | 絵と文


   たとえば君 ガサッと落ち葉すくふやうに 私をさらって行ってはくれぬか

   逆立ちしておまへがおれを眺めてた たった一度きりのあの夏のこと



愛唱する歌人河野裕子の、死に至る晩年の家族生活をテレビで見て、歌集のひとつ「森のように獣のように」を初めて読んだときの衝撃を思い出す。

与謝野晶子の再来と言われたその歌人は、私の胸中にま新しいページを開かせて、
これほど簡潔に潔く心を表現できる才能とは、一体どこから生まれ、どのように選ばれ与わるのかと思い巡らさずにはいられなかった。
そしてそのわずか二年後に、はかなくも散り急ぐとはこれはまた何んと不条理な。

テレビで、10年余のがんとの闘いのうちに凄絶な心の葛藤の時期があったことを初めて知って
人間の弱さを見事に昇華させた歌人一家の前に、二度三度うなだれてしまう。

類まれな才能を与えられたからこそ、尋常でない心の揺らぎは常軌を逸し
愛情といたわりの権化みたいな夫も、たった一度耐えきれぬ悲しみ怒りを噴出させたときの様相はすさまじい
余命を知った当人と、周りの人たち
突然訪れる苦痛と悲しみを、極限まで嘗めつくした人もこの世には数多いと思うけれど。

その修羅のごとき一時期を経て、平安を取り戻したあとには
より崇高な人間の営みがあったに違いないと私は思った。
息絶える瞬間まで歌を詠んだ歌人と、永劫の別れをじっと受け入れる家族たちの姿が尊い。


  あのときの壊れた私を抱きしめて あなたは泣いた泣くより無くて

  あなたらの気持がこんなに分かるのに 言い残すことの何ぞ少なき





自分にもそれに近い苦しい経験があった。
二十年経った今、残せるものは、なんだろう?

ふるさとに、川トンボ

2012年08月20日 | 絵と文


家の横を流れる用水に、珍しく羽黒トンボが遊んでいました。
朝の涼しい大気の中に鮮やかな黒点が二つ三つ、柔らかな曲線を描いて行き来するさまが愛らしい
たまらずそっと手を伸ばすと、直前にすぃと逃げるのがまた楽しくて、しばらくの間は童心に返ってやんわり追いかけっこです。

視界が透明になり、タイムカプセルから現れてくるように、幼い頃の風景が浮かんできました。
大きく高い両側の家に囲まれた暗い路地をたどると、突然目の前に展ける小川と岸辺の小さな洗濯場
雑草や葦やいっぱいの緑に覆われて、何時もひんやり気持ち良かった
草と水と隙間から見る青空と、そして繊細な羽根を震わせて飛び交っていた数えきれないほどの川トンボと。

たまらなく懐かしい幼時の記憶です。
小川の淵の洗濯場は、日頃家庭婦人たちの小さな社交場でもあり、ほんのちょっとの憩いの場ともなっていました。
雨が降ればすぐさま不通になるひと一人やっと通れる細い路
曇りの日は魔物が出そうで怖くて通れなかった暗い路
だからそのあとに晴れ晴れと胸いっぱい憩えた自然の恩恵
そして、そこで見聞きした様々な社会の縮図は、わけのわからぬ子供心にも理不尽で悲しいものに映ったのですが、でも
こどもは、なにもいえない いわない

貧しかったあの頃の家族制度は、過去へしっかり閉じ込めて二度と日のめを見ないように。
早朝珍しい羽黒トンボの飛来は、追想の中のふるさとを、トンボ飛び交う理想郷として再現してくれたようでした。

もうすぐお盆

2012年08月08日 | 絵と文


「たそがれの雑踏の中あゆむとき 孤独がそっと肩に寄り添う」  細川嘉久恵

朝刊の文芸欄に載っている短歌会入賞句を斜め読みしていたら、ひときわ大きな文字となって目の中に飛び込んできた一首がありました。
見る間に涙が盛り上がってぽとぽとこぼれ落ちもする不思議な現象も、あら、らと思う間もなく起きていました。

感情の伝達は知覚するより先に脳から現象へと先走ることがあるらしい
どうもそれは日頃殆ど自覚しないのに、心の奥底には強烈に棲みついているものであるらしい。
“孤独がそっと肩に寄り添う“   ひとつのイメージが鮮やかに浮かんでいました。

京都の名勝地周辺の雑踏
行き交う人々の流れに任せるようにゆらゆら目の前を横切ったひとりの男性
背中にしっかりと背負った細長いお軸の錦の袋。
…この人も、きっと人生の大切な伴侶を失ったばかりに違いない。
無数の人波の中から顔さえ見えぬただひとりの、まわりを包み込む孤独の影をはっきり見たのは私だけのようでした。



…彼が三十三ヵ所霊場のご集印軸作りを初めたのは、相次いで亡くなった両親への供養のほかに
何か予感でもあったのかもしれません。
三体の観音様の掛け軸を仕上げて仏事の床の間に掛けるのを目標に、憑かれたように休日になると私を乗せてお寺巡りのドライブを始めました。
まず手じかなところからと北陸三十三か所霊場の軸をあっという間に完成し、
ついで西国三十三ヵ所めぐりに取り掛かったところで、これは遠方であるうえ離れてもいるため思うようにはかどらず、病魔のほうに追いつかれてしまったのでした。

未完成のお軸と御朱印帳を見るたび思うのは、遺志を継いで少しでも完成に近付けたい
祖父となるはずの彼が、たれよりも誕生を待ちわびていた孫の太郎はそのとき生後6カ月。
観光で溢れかえる京都の街中を、小型の乳母車におとなしい太郎を乗せ、
車の通れぬお寺の石段では私がしっかり背中におぶい、御軸を握りしめて登り
四人家族そろって一年後に京都の近辺七か所を一気に追加することができました。
彼の生前幾度か二人で訪れたこともあって、清水寺の境内では雑踏の中ひとり追憶にふけったりもしました。
そしてあの巡礼の男性が人ごみの中に消えてゆくのを見送ったのです。
少しは悲しさ苦しさを紛らわせたのでしょうか。




記帳とご朱印をもらうお軸には、中央に観音さまが気高くおわします。
…「出来上がったら、お顔だけ取り換えようか」… 
…にや、二コ、の彼
…あ、とんでもないことまで思い出してしまいました お軸はまだ数か所残して未完ですし…

いたずらっぽい彼のことば、そのときはお神酒が入っていたのでお許しください神様、仏様。
でもおかげで、あの深い悲しみも遠いところへ、気分もすっきりと今日一日過ごしたのでございます。

ファッション

2012年07月20日 | 絵と文


ピンクのコーデュロイのジャケットが見つかりました。
ビニールのカバーに包まれてそれは大事そうにクローゼットの奥に収まっていました。
最近お尻に火がついたように身辺整理の気分に追いたてられ、
ここ数年めったに覗いたことのない二階の箪笥部屋まではるばる遠征したときのこと。

襟山や袖口にうっすらと浮き出たしみが郷愁をくすぐってきます。
よく活躍してくれたっけ。処分する前に皆勤賞をあげなくちゃ。


既成品などは限られていて標準的なものがほんの数えるほど、好みを仕立てるにしても生地の品数は少なく、
目的のグレーイッシュピンクのコール天の反物を見つけたときは、飛び上るほど嬉しかったのをおぼえています。
早速時代の先端、ではない古びたシンガーミシンで、気に入るまで丁寧に仕立てました。
それからお出かけのたび愛用したのはいうまでもありません。
ややくすんだ色合いとはいえ、当時としてはかなり目を引くいでたちだったと言えるでしょう!
そのとき私は・・・おお!花のアラフォーだったのです!

今はどこのブティックにもサイズ、色彩とりどりに服は溢れ、
この在庫の山、波、いつか始末がつくのだろうかと人ごとながら心配になるのですが
使い捨ての時代、結構ご婦人がたの需要は多いようで、余計な心配など無用、時代遅れと反省。

ついでに昔人間の目で見れば、最近のファッションのなんと頭のてっぺんから足先に至るまで、
ばらばらの個性、ハチャメチャ、自由奔放、支離滅裂…
そこらに落ちている有り合わせの継ぎ接ぎで間に合わせているんじゃないかしら?

そういえば先日のスケッチと観光を兼ねたバス旅行、
客のほとんどはスニーカー、洗いざらしのTシャツにGパン、と、見えた
着るものに悩んだのが馬鹿みたい、  あ~あ、そんなのが似合う時代に生まれたかったなぁ・・

   ・・・・・
   ・・・・・


古びたピンクのジャケットには、不思議な力が籠っているようでした。
ファッションにあまり興味がなくなっても、次々浮かぶいろんな思いが面白く、最後はまるで心も軽やかに~
何故か、ラッタッタ~ 体も左右に揺れているのでした。


ものごとすべて好都合な解釈をしていれば、それが柔軟な頭脳の持ち主というものです (●^曲^●) 

肉食系古女子

2012年07月06日 | 絵と文


最近冷蔵庫の中はいつも冷凍した肉類がブロックのままぎっしり詰まっています。
野菜や果物と少量の魚があれば満足していた食生活を長年続けたところで主人に先立たれ
健康でいたかったら絶対ニク食べないとダメだよ、と何度もあおりたてた息子はまるで忘れたような顔をして
肉食系のおばばどの、などと無責任に笑うのです。

野菜と干物やキノコ類などの好物をちまちま料理して、思い通りの味に仕上げる行程など独り暮らしの醍醐味です。
それが近頃思いもよらぬトンカツとかビフテキとか天ぷらなど、ときどき箸を休めて懐かしく想い描いているのに気付き
それは足りなくなった栄養分を体が要求しているのに違いない、とさっそく実行に移すことに決めました。

おいしー!!

・・・ただ若いころのように小気味よく平らげられないのがさみしいところ
ほんの一切れでスピードが落ち、もう満足、これ以上はおあとが怖いよとサインが出るので、
だから何時までたっても冷凍庫に空きができません。
息子が来たとき賞味期限を調べて、食べきれないからと持って帰るのはご随意に。
実はそれもひそかな快感なのですが、ひょっとして奴さん、それを見通していたのかな。

頭に浮かぶのがフランス料理でもなくイタリアンでもなく、ビフテキや天ぷらばかりなのってやはり昭和の人間だなぁ・・・
なんで好きだったラーメンが頭に浮かばないんだろう?
それなら昨日食べたばっかりじゃない
と馬鹿なこと考えているうちとんでもないこと思い出しました。 

彼の病状が人知れず進んでいたころに、食の好みが逆転していたこと。
大好きだった肉類にはまるで手を付けず、妙に野菜ばかり食べ始めて、それも年のせいかと深くも考えなかったこと…
日々の食べ物がそのまま人の体を作るという当たり前のことを忘れていたころ。

とするとヤバイ? いいえ、逆?
人生は物事すべて終盤にプラスマイナス零となるはずだから、
それまで見向きもしなかった分を急いで取り込もうとしているのかも。
・・・


どっちであろうと、もう大した影響はありません。
今となったら、自然のままに。
ビーフの一切れを、今度は焼こうか蒸そうか炒めようか…
週1くらいのプチ肉食系では上昇志向ともさらに縁がなく、
開き直って今日もあれこれ想像する・・・のはなんて楽しい時間なんでしょう!

モモとサクランボ

2012年06月19日 | 絵と文


行儀よく品よく育てたはずの息子が、小学生になって母親のことをババァと言ったとき、私はハナの30台にもまだなっていなかったのです。
実の年齢よりも少なく見えるらしく、それでいいこと悪いこといろいろあったけど、概して得したつもりでいたときのこと。

鏡の前で見る限り、ちっとも崩れたとは思えない体の線
食べても太らず、反り返っても目は回らず、
ちゃんと出るべきところは出ているし、特にこの胸と両脇の曲線ときたら。

自信は失うまいと、無視してすごしたある日、ひとまわり下の姪っ子Yちゃんが遊びに来ました。
さんざんおしゃべりしてさてお風呂へ入る段になったとき、チラリと見た彼女の裸

輝く白桃と、愛らしいさくらんぼ、を一瞬に見たのです
思わずゴクンと鳴りました。
なんとまぁ!初々しく爽やかなこのふくらみ、これがほんとの若さなんだ!
そして神様が与えた処女のしるしなのだとこの上なく神聖に思えました。

しばらくの間、Yちゃんが尊いものの母体として愛しく誇らしく
あのみずみずしく胸に輝いた果実の形と色が脳裏から離れません。
当然、まだまだいける、ように見えた我が数々の曲線も比べれば歴然、
なので・・・、・・・昔のままと思っていたのはおめでたくも自分だけ、だったのだ・・・

幸いなことにときの力が、自分にもYちゃんにも等しく流れる自然の姿、と半ば厚かましく考えなおさせたようでした。
そして今年も桃とサクランボの季節になりました。



息子はのうのうと言うのです。
「ふ~ん、いくつだろうが関係なく、ボクには全然ババァに見えたんだよね」
わんぱく時代の話に及んでふたり笑い合ってしまったときは、息子はまだ新婚だった頃

「あのときはまだ、あんたのお嫁ちゃんより若かったんだから」  
とは、かなり恨みがましく聞こえたかしら  ( ̄□ ̄;)




会議は踊る

2012年06月12日 | 絵と文

 
幼馴染のさっちゃんから久しぶりの電話です。
懐旧談に花が咲いて、当時唯一の娯楽だった映画に話が及ぶと、一挙に10代の少女の気分にタイムスリップ、
どこまでいっても夢見心地が覚めません。


さびしい田舎の映画館で、乾ききった少女たちの心を砂漠の中のオアシスのごとく潤してくれたもの
映画「会議は踊る」~ といってももう知っている人はいないかも、
無声映画からトーキーになりがけのころ、私の生まれる前に制作されたミュージカル映画で
当時の同盟国だったドイツの作品は敵性文化として排除されなかったのは幸いでした。


まばゆいばかりの舞踏会におとぎの国を駆け抜けるシンデレラ・・・
貧しかった日本の娘たちにとっては、文字通り白昼みたゆめだったのです。
胸底深く残る名画のシーンは数々あるにしても
理屈抜きで、そのときめきに勝るものはないでしょう。


18世紀初め、「会議は踊る、されど進まず」と評されたウィーン会議
華々しさがないだけで何やら現代にも当てはまりそう。
ナポレオンがヘレナ島に幽閉された後、各国の首脳が一堂に会したものの、それぞれの思惑が絡んで会議は一向に進まない
主催者のメッテルニッヒ外相とロシア皇太子の駆け引きと、
そんな背景よりも皇太子と町娘クリステルのひとときの恋物語に、
見るものすべて余韻を胸にかき抱いたまま、声もなく家路についたものでした。

  

街中の人々に祝福されて迎えの馬車で歌うヒロイン
紳士淑女がキラ星のように群れて踊る舞踏会
無人の椅子だけが揺れている大会議場
今、見たらどんな感想が湧くでしょう?
大体は想像もつきますが、あのときめきだけは鮮やかによみがえって、いやでも時の流れを痛感することになりそうです。

二度とない、ただ一度
皇帝の使者が迎えに来たときの喜びと、ナポレオン脱出の報に帰国する皇帝を見送る悲しみに歌う同じ主題歌が、
まるで異なる歌のように聞いた15歳の頃、そして今の私 …うーん象徴的です ( ̄▽ ̄)。o0



電話口で時計の時報が聞こえてきました。

  あ~ぁ、よくおしゃべりしたねぇ
  今度会うまでお達者で・・・
からりと気分転換できたようで、私とさっちゃん、中身はともかく年齢だけはしっかりba~ちゃんでした。( ´△`)アァ-