

いつしか窓外に黒い帳が下りているのに気づいて、残りを明日にとマイルームに戻ったときは、ホッと安らぐのですが、このところ何かもの足りなくて変な気分でした。
一日を終えた充足感、安心感はいつもと変わらなく膨らんでくるのに、まるで穴のあいた袋へ詰め込むようにいつまで経っても満たされないのです。
改めて部屋を見まわすと、分かりましたテレビボードの上のぽっかりあいた空間、それでした!
図体ばかりデカい、縫いぐるみのヌーボー、レオが消えた
馬づらのワンちゃんスヌーピーがいない
とぼけた狸吉もラブ猫の姿もない
黙って当然のようにそこに鎮座していた彼らがいない
あったかくて柔らかくて、あのさわり心地は誰もに覚えがあるでしょう。
思えば幼なかった孫たちの、これも縫いぐるみと変わらない小さな手にぴったりと収まって、もうほっぺたに押し付けるやら、抱きしめるやら乗りかかるやら。
それがいつのまにか必ず、かわいいお尻を突き出してへたばっていたり、仰向けに天井を見つめて伸びていたり、情けなく机の端に引っかかった姿で部屋の四方に散らばっていて、片付けけ役のバァバはそのたび不思議な幸せを目いっぱい感じたものでした。
可愛がって撫でさすって、最後には何故放り投げずにおれないのか、それも私には不思議な事に思えます。そのせいか本能なのかどうかは知りませんが、二人の孫は今でも球を投げるのが好きと来ている…
待ち望んだ孫の誕生よりずっと先、ジィちゃんがどこからか景品にもらってきたレオは、とボケ顔に変わりないけど相当くたびれていたはずです。一番愛されてうすよごれたスヌーピーはじめ、どこからともなく集まってきた似たもの同士の一族を、孫たちが成長したあともなんとなし離しがたく、広いテレビボードの上に飾ってから、驚くほど早い時間が経ちました。
その間空気か水みたいに意識もせず、長い付き合いだったのを突然絶つのはそれなりに勇気の要ることでしたよ。
一隅から黙って私のすることなすこと見つめながら、そこにいるだけで慰めや励ましをどれほど与えてくれていたか、今になって分かりました。
また新たに彼らを必要としてくれる子どもたちにめぐり合えるといいな、叶わぬ願いと知りつつも、虫の知らせか写真に残していた一枚を眺めては、使命を終えて去った同士のように偲んでいるのです。