
グループでスケッチとは無縁ののんびり温泉旅行に出かけました。
いずれも画歴30年以上、ではあるけれど、アマチュア以上プロ未満とはいうもおこがましい顔ぶれです。
そうでない立派な人のためには一応謙遜してということで。
お風呂につかって夕食も済んだあと、お定まりのカラオケから卓球へと移動する中を、Aさんと二人くたびれて一足先に部屋へ引き揚げることにしました。
次々にトシの順で抜け落ちて、いつの間にやら二人はグループの最高年なのです。
「さすがのAさんもトシね」と同行相哀れんで冷やかしたら、ふん、と鼻で笑っています。
素敵にしつらえられたステージで、大阪から来た落語家の熱演にみなが笑い転げている最中も、ひとりへの字の口だったAさんと、私はすることなすこと水と油。
何故か会うたび必ずチクチク嫌味を言う。その時ばかりはとても楽しそうな笑顔で。
イヤなヤツ。心中カチンときてもそこはそれ、大人のお付き合いだからいつも笑って聞き流していたのですが、ある時あんまりうるさいので
「それって、イジメの一種ね」と返したら、以来ぴたりと嫌味が止まりました。
いじめが社会的問題になり始めたころで、彼女は元教員です。
元管理職というのも自慢の種で、教室の中でもときどき高圧的な態度が顔を出し、大概の人は避けて通ります。
けれども意外に腹の中はカランとしているので、それほど憎めないのがうまくできているところ。
若しこのブログが目に入ったとしても、「ふん、なるほど」とあっさり読み流すでしょう。
部屋に戻って向き合ってふと話題が戦時中にと飛びました。
そして初めていつもと異なる彼女の表情をはっきり目にしたのです。。
戦火に追われ逃げ惑った子供の頃、遺体もそのままの焼け跡にはぐれた妹をひとりで探しまわったこと。
焼け焦げた人体に残った衣服の切れはしを確かめる大人たちの仕草のこと。
65年さかのぼってなお鮮烈に刻印された記憶でした。
今まで他人には話したことがなかったと彼女は言いました。
同じ時代を生きた者のみが理解できるとの思いがあったのでしょう。
悲しみも極まれば言葉にならないのを私は知っているつもりです。
水と油が、ふっと溶けあったような気がしました。
。。。。。
翌朝駅前で解散となりました。。
どんな時であれ、別れはなにかさびくて、それぞれが惹かれながら左右に散ってゆきます。
「さよなら」
またね、とも言わず相変わらずのへの字に口を結んだまま、Aさんは一度も振り返えることなく淡々と去っていったのでした。
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