亀の歩みの旅日記、前回の投稿からまたも一ヶ月以上過ぎてしまったが、この間にも様々な事があった。
この拙い旅日記をマメに見て下さり、地図のイラストがいいね、とコメントを寄せて励まして下さった牧師さんが、突然天に召された。この先生も以前、ご自分のイスラエル旅行を後追いで振り返りながらFacebookに旅日記を投稿しておられた。先生を偲びつつタイムラインを眺めながら、もう一度丁寧に先生の旅日記を読ませて頂こうと思った。
そして、つい先日はこのツアーを主催したBridges for Peace Japanの20周年の記念会が。イスラエルツアーでご一緒した何人かの方々と会場で再会して、嬉しくて、あまり時間はなかったけれどワーワー大騒ぎ。
「イスラエルにいた時と全然顔が違うぅ〜〜。」←そうなんです、私、日によって顔の差が激しいんです。
「早く、同窓会をやりたいですねぇ〜〜。」←本当にそうですね、皆さん、お忙しい方ばかりだけれど。
さて、旅日記に戻って、三日目。朝ごはんをたっぷり頂いて、いざ出発!と思いきや、早々に具合の悪くなる方が・・・
どうやら水が合わなかったよう。
基本的にはイスラエルの水道水は飲めるので、レストランで出されるピッチャーの水も水道水。けれど、心配な人はそれを飲まずにペットボトルの水を飲むようにと予め言われていた。普段は体力に自信があっても旅は特別の環境下なので、大事に大事をとった方が良いようだ。
・・・とは言え、私はホテルの食事でもピッチャーの水をジャンジャンと飲んでいたのだが。
具合の悪くなられた先生は少し休んだら、回復されたようだ。良かった良かった。
乾燥の激しい気候ゆえ、一日につき少なくとも3本以上は500mlのペットボトルの水を摂るように、しかも一度口をつけて8時間以上経ったボトルからは飲まないように、と厳しく注意を受けていた。バスに乗っても降りても、ペットボトルは肌身離さずマストアイテムだ。
この日最初に向かったのは、ガリラヤ湖を見下ろす小高い丘の上に建つ「山上の垂訓教会」。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイによる福音書5章3節 新共同訳)」
あまりに有名なこの言葉から始まる山上の垂訓。大群衆がこの小高い丘に群がり、イエスの話を聞いたのだ。
イエスは30歳で公にご自分を表された。今風に言えば発信を始めたと言うべきか。神の国の到来を伝え、たくさんの病人を癒すと言う奇跡を行われた。その噂が口伝えで伝わり、周辺一帯からたくさんの人々がゾロゾロと付いて来るようになったのだった。その群衆に向かってイエスは語られた。
前述の「心の貧しい人々は〜〜」の言葉が英語で彫られて、庭の中に置かれている。
それに続く教え。
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。(マタイによる福音書5章4節 新共同訳)」
「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。(マタイによる福音書5章5節 新共同訳)」
「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。(マタイによる福音書5章6節 新共同訳)」
カトリック教会が管理しているが、ここのシスターは日本人の賛美をいつも楽しみにしていて下さると言うので、礼拝堂で皆で歌う事になった。残響が長く、とても美しく響くのだ。
練習もなく、旅のしおりに載っている歌詞だけでぶっつけ本番だが、そこはさすが牧師さん。気づけば自然に三声にハモって、美しい歌声が礼拝堂いっぱいに響き渡った。
愛する 我が主よ
御前に 捧げます
感謝と 我が賛美は
あなたに きよく 慕わしい
まるで天と繋がっているような、至福の時であった。
ところで、この時私たちの他にもツアーのグループが見学していた。
出口の所でドイツからだと言うご婦人に声を掛けられた(英語で)。
「あなたたち、聖歌隊なの?」
「いえ、日本のあちこちから来た旅行者のグループです。」
「え?だって、あなたたち、歌っていたじゃないの!」
そして、美しい歌をありがとうと言って下さった。
日本語の歌詞はもちろん分からなかったと思うけれど、スピリットが伝わったんだと思う。
心に残る出来事だった。
この拙い旅日記をマメに見て下さり、地図のイラストがいいね、とコメントを寄せて励まして下さった牧師さんが、突然天に召された。この先生も以前、ご自分のイスラエル旅行を後追いで振り返りながらFacebookに旅日記を投稿しておられた。先生を偲びつつタイムラインを眺めながら、もう一度丁寧に先生の旅日記を読ませて頂こうと思った。
そして、つい先日はこのツアーを主催したBridges for Peace Japanの20周年の記念会が。イスラエルツアーでご一緒した何人かの方々と会場で再会して、嬉しくて、あまり時間はなかったけれどワーワー大騒ぎ。
「イスラエルにいた時と全然顔が違うぅ〜〜。」←そうなんです、私、日によって顔の差が激しいんです。
「早く、同窓会をやりたいですねぇ〜〜。」←本当にそうですね、皆さん、お忙しい方ばかりだけれど。
さて、旅日記に戻って、三日目。朝ごはんをたっぷり頂いて、いざ出発!と思いきや、早々に具合の悪くなる方が・・・
どうやら水が合わなかったよう。
基本的にはイスラエルの水道水は飲めるので、レストランで出されるピッチャーの水も水道水。けれど、心配な人はそれを飲まずにペットボトルの水を飲むようにと予め言われていた。普段は体力に自信があっても旅は特別の環境下なので、大事に大事をとった方が良いようだ。
・・・とは言え、私はホテルの食事でもピッチャーの水をジャンジャンと飲んでいたのだが。
具合の悪くなられた先生は少し休んだら、回復されたようだ。良かった良かった。
乾燥の激しい気候ゆえ、一日につき少なくとも3本以上は500mlのペットボトルの水を摂るように、しかも一度口をつけて8時間以上経ったボトルからは飲まないように、と厳しく注意を受けていた。バスに乗っても降りても、ペットボトルは肌身離さずマストアイテムだ。
この日最初に向かったのは、ガリラヤ湖を見下ろす小高い丘の上に建つ「山上の垂訓教会」。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイによる福音書5章3節 新共同訳)」
あまりに有名なこの言葉から始まる山上の垂訓。大群衆がこの小高い丘に群がり、イエスの話を聞いたのだ。
イエスは30歳で公にご自分を表された。今風に言えば発信を始めたと言うべきか。神の国の到来を伝え、たくさんの病人を癒すと言う奇跡を行われた。その噂が口伝えで伝わり、周辺一帯からたくさんの人々がゾロゾロと付いて来るようになったのだった。その群衆に向かってイエスは語られた。
前述の「心の貧しい人々は〜〜」の言葉が英語で彫られて、庭の中に置かれている。
それに続く教え。
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。(マタイによる福音書5章4節 新共同訳)」
「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。(マタイによる福音書5章5節 新共同訳)」
「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。(マタイによる福音書5章6節 新共同訳)」
カトリック教会が管理しているが、ここのシスターは日本人の賛美をいつも楽しみにしていて下さると言うので、礼拝堂で皆で歌う事になった。残響が長く、とても美しく響くのだ。
練習もなく、旅のしおりに載っている歌詞だけでぶっつけ本番だが、そこはさすが牧師さん。気づけば自然に三声にハモって、美しい歌声が礼拝堂いっぱいに響き渡った。
愛する 我が主よ
御前に 捧げます
感謝と 我が賛美は
あなたに きよく 慕わしい
まるで天と繋がっているような、至福の時であった。
ところで、この時私たちの他にもツアーのグループが見学していた。
出口の所でドイツからだと言うご婦人に声を掛けられた(英語で)。
「あなたたち、聖歌隊なの?」
「いえ、日本のあちこちから来た旅行者のグループです。」
「え?だって、あなたたち、歌っていたじゃないの!」
そして、美しい歌をありがとうと言って下さった。
日本語の歌詞はもちろん分からなかったと思うけれど、スピリットが伝わったんだと思う。
心に残る出来事だった。