Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

モノの片付けは、心の片付け

2017年10月04日 | おうちのこと
Yahoo!ニュースでふと気になるコラムを見つけたので。

「ごみ屋敷」とたたかう人々――解決の糸口はどこにあるのか




「片付けすぎると、精神のバランスを崩してしまう人もいる」
「ごみの処分ではなく、心の片付け」
「背景に『セルフ・ネグレクト』」


・・・すごく、納得。


「断捨離」とか、「片付け」が、
私の胸にすごく響く理由。


それは、やっぱり心の在り方に直結しているからだと思う。


ここ1年近く、自宅の不用品を
ネットオークションとか、フリマアプリとか、Amazonとかで販売して来た。


古本は二束三文のモノもあるけれど、
思わぬ高値がつくモノもある。


ベストセラーほどブームが去れば買い叩かれ、
地味〜なニッチ本はまさかね?って言うほど高い。


最近の、ちょっと興味深い所では、
「キャンディ・キャンディ」のイラスト集が、
(これ、分かる人、何人いますかー!?笑)
出品した途端、速攻で買い手がついた。

オドロキ。



そんなこんなで、家にある本はそろそろ在庫が尽きて来た。


そこで、今は実家に触手を伸ばしている。
ここにはニッチ本が結構眠っているはず。。。


けれども、ここで思わぬ抵抗が。

母が、嫌がる。
そこにあるだけで、いいんだと言う。

もう、本を読むこともない生活。
狭い団地の部屋をますます狭くしているだけの本なのに。。。


以前、父にも同じような事があった。


私が子供の頃に買った百科事典。

いまだに居間にデーーーンと居座っている。

情報も、古くなってる。
決してもう開く事はない。
重い。
これがなくなれば、ずいぶん部屋もスッキリするはず。



・・・でも、



「とりあえず、置いておく」んだって!



実家の小さな団地は、、、


きっと、片付け過ぎると両親の心のバランスを崩してしまうのかもしれない。





私は今、ピアノの譜面を次から次へと手放している。


もう、何十年も持ち続けて来たピアノの譜面。

自分がレッスンを受けた時に買ったものもあれば、
自分がレスナーだった時分に資料として買ったもの、
興味だけで、いつか弾いてみたいと買ったもの。



もう、弾かないな。


・・・寂しい?

ううん、寂しくはない。

ピアノを弾かなくなるわけじゃないからね。



だって、「いつか譜読みして弾いてみたい」

その「いつか」って、
いつ!?



本当にやりたいことなら、何を差し置いても
もうやってるはず。

誰でも、そう。



「いつかやりたい」を手放す事は、
自分の肩の荷物を軽くする事ではないかと思う。

もし、また一から譜読みをして、時間を掛けてでも弾いてみたい!
そんな曲に出会った時は、
そんな心境になった日には、

もう一度、改めて譜面を手に入れよう。



モノの片付けは、心の片付けなのだ。



それにしても、、、


こんなにみんなモノと格闘して、
中には近所から苦情が来るほどモノを溜め込んでしまっても、
行政のお世話になる程、手に負えなくなったりしても、、、


この地上からその人がいなくなれば、
その場所はすぐにリセットされて
真っ新になって次の人に渡されて行く。



私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。
しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。
それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。
(詩篇90:10)



この聖書の言葉が妙に思い出される、この頃。

それでは、私たちは、いかに生きるべきだろうか?

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ほんとうにそのとおりなのに、、、 (伊藤 博康)
2017-10-10 11:42:59
Hallelujah❗️ 片付ける、整理する、きちんとする、言葉は、簡単、言うも簡単、言うは易く行うは難し、とは、当に、この事。
そして、それは、心が先にあっての事、分かっちゃいるけど、だれがやる。ですね。{
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