シルバーウィークの最中、
いかがお過ごしですか?
我が家は夫が英語教育関連のカンファレンスで
週末からずっと出ずっぱり。
私も月末までにライブも含め、いくつか気の張るイベントがあるので、
家にいてもそんなにユルユルの気持ちにもなれませんが…。
昨日の日曜日は朝から教会。
午前中は日本語の礼拝へ。
午後からは英語の礼拝へ。
英語礼拝では、有名なマタイによる福音書6章から
明日の事を思い煩うな、というお話がありました。
メッセンジャーはパスターKaz
何か心の中にずっしりと重いものがあったり、
自分の悩みや苦悩に翻弄されてしまう時、
ちょっと、外側へ目を向けてごらん、
それは空の鳥であったり、野の花であったり。
その時、ホンのちょっと、自分の問題から気持ちが離れる瞬間がある。
それは自分の状況を俯瞰する瞬間でもあり。
働きもせずとも、自由に生きる鳥を目にする時、
ふと、自分も何とかなるんじゃないか、と言う気になる。
とにかく、それをくり返す事。
そして、一日ずつ生きる、という事。
悩みは昨日から今日へ、エンドレスに途切れず続くように感じるけれど、
床についたら、一旦、今日を店じまいする事。
「あ~。今日一日、出来る事はしました。
不十分な所もあるけれど、ここから先は神様、あなたにお任せします。」
きちんと区切りを付ける事が大切、と。
今日のタスクをやり残したなぁ~という後ろめたさから、
ベッドへ行く事ははばかられ、
かと言って、もう一仕事するにはエネルギー切れ。
気がつけば、うたた寝のまま朝を迎える…。
私がよくやってしまうパターンですが
これは信仰者としては、あるまじき事だったわけですね。
聖書は実践的な生きる知恵が詰まっているのだなぁ、と再確認しました。
世に出回っている数ある生き方本は、
結局はこういう知恵を、ピックアップして解説しているに過ぎないのだなぁ。
人として、自分の分を生きると言いますか、
幻想から離れ、日々の具体性の中に生きる、と言いますか、
この辺に、骨太に生きるコツがあるような気がします。
いかがお過ごしですか?
我が家は夫が英語教育関連のカンファレンスで
週末からずっと出ずっぱり。
私も月末までにライブも含め、いくつか気の張るイベントがあるので、
家にいてもそんなにユルユルの気持ちにもなれませんが…。
昨日の日曜日は朝から教会。
午前中は日本語の礼拝へ。
午後からは英語の礼拝へ。
英語礼拝では、有名なマタイによる福音書6章から
明日の事を思い煩うな、というお話がありました。
メッセンジャーはパスターKaz
何か心の中にずっしりと重いものがあったり、
自分の悩みや苦悩に翻弄されてしまう時、
ちょっと、外側へ目を向けてごらん、
それは空の鳥であったり、野の花であったり。
その時、ホンのちょっと、自分の問題から気持ちが離れる瞬間がある。
それは自分の状況を俯瞰する瞬間でもあり。
働きもせずとも、自由に生きる鳥を目にする時、
ふと、自分も何とかなるんじゃないか、と言う気になる。
とにかく、それをくり返す事。
そして、一日ずつ生きる、という事。
悩みは昨日から今日へ、エンドレスに途切れず続くように感じるけれど、
床についたら、一旦、今日を店じまいする事。
「あ~。今日一日、出来る事はしました。
不十分な所もあるけれど、ここから先は神様、あなたにお任せします。」
きちんと区切りを付ける事が大切、と。
今日のタスクをやり残したなぁ~という後ろめたさから、
ベッドへ行く事ははばかられ、
かと言って、もう一仕事するにはエネルギー切れ。
気がつけば、うたた寝のまま朝を迎える…。
私がよくやってしまうパターンですが
これは信仰者としては、あるまじき事だったわけですね。
聖書は実践的な生きる知恵が詰まっているのだなぁ、と再確認しました。
世に出回っている数ある生き方本は、
結局はこういう知恵を、ピックアップして解説しているに過ぎないのだなぁ。
人として、自分の分を生きると言いますか、
幻想から離れ、日々の具体性の中に生きる、と言いますか、
この辺に、骨太に生きるコツがあるような気がします。
夏さんの年頃は、まだまだ何かを一から始めても充分間に合うし、
また同年代の人たちと比べると、それぞれ大きく道が分かれる頃でもあるし、
加えて、周りから期待される役割とか、何だか大きな渦に飲み込まれそうになって、
自分が心から望んでいる事が見えにくくなる頃でもあるかもね~。
まずは、空を見上げよう~