Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

ゴスペルとキャロリング

2012年12月09日 | 日記
今日は洋光台キリスト教会のアドベント礼拝で
洋光台ゴスペルクワイヤが二曲賛美させて頂きました。

10月から12月まで6回の練習で新曲2曲を仕上げました。
そのうちの1曲はオリジナル曲だと言う事は前にブログに書きました。
ちょっとメンバーのみんなに無理をさせてるかなぁ~とも
チラッと思いましたが(笑)、
それぞれが個人練習にもしっかり励んでくれました
12月の声を聞く頃には、ほとんど暗譜まで行ってたので、
曲想の方に時間を割く事が出来ました。

来年の3月で結成3年です。
今日の本番では熱く歌えました。

熱く歌う、と言うのはちゃんと曲が身体に入ってないと出来ません。
不安な所があちらこちらにあると、頭があれこれ考え出すので
歌の中に入って行けないのです。
今日は、指揮をしながら、みんなが歌に入ってるなぁ~と言うのが、
よく分かりました

こういう体験を一回一回積み上げて行く事が宝物だと思います。

礼拝の後、たくさんの方から年々良くなっているよ、と
励ましの言葉を頂き、とても嬉しかったです。

若いお母さんが何人もいるクワイヤです。
練習の時はいつもお子さんたちを見ていて下さる方がいます。
たくさんの人たちに支えられてこそ、
こうして続けて行けるんですよね。
ありがたい事です。

さて、午後は洋光台の駅前で教会の皆さんと一緒に
キャロリングをしました。
馴染みのクリスマスキャロルを皆で声を合わせて
道行く人たちに歌うのです。

キャロリングをしたのはもう10年以上ぶり。
とても懐かしい感じがしました。
子供の頃から毎年やってましたから。

それにしても寒かったですね。
今年の冬は厳しくなりそうです。

Till We Have Faces

2012年12月09日 | 
C.S.ルイスと言えば「ナルニア」ですが、

でも、、、これは、もっと(?)いいです
オススメ。

「愛はあまりにも若く」(原題:Till We Have Faces)



昔から夫がこれはいいよいいよ、と言っていました。
何故かヤツの蔵書の中に邦訳の単行本があったのですが、
(何ででしょう?日本人の友人にでも勧めようと思ったのかな?)
今まで全く触手が動きませんでした。

・・・が、読み始めてみるとみるみる引き込まれ、
久しぶりに何をする間も惜しんででも、
早く続きを読みたいと思わせる本でした。

ギリシア神話「サイキとキューピッド」の話を下敷きにした小説で、
姉と妹、二人の王女の物語です。

姉は醜く生まれつき、非常に内省的な面を持っています。
妹は世にも稀な美貌を持ち、天真爛漫な非常に良い性質をも兼ね備えています。

姉はこの妹をこの上もなく愛し、
妹もまた、姉を純粋に、一心に慕っています。

けれども、、、



これから読む方のためにあらすじを書く事は控えますが、
心の中の動きをこれほどまでに的確に言い表している事に
恐ろしさすら覚えました。

何故なら、確かにそれは私の心の中にもあるものだからです。

人は様々な動機で様々な事をします。
これこそは自分の内の最も良い源泉から出ているに違いないと、
疑いもしない事柄。

けれどもそこに掛かっている覆いを一枚一枚剥がして行くと
恐ろしい真実(本当の動機)が顔を覗かせます。

人は自分自身すら巧妙に欺いているのです。

そして、その真実に向き合う事は途方もなく恐ろしい事のはずです。
それはあまりにも醜いからです。

けれども、その気づきから救いが始まる事が希望なのです。。。

それぞれ、心に響く所が違うでしょう。
この本を絶賛していた夫の一押しの箇所と
私がゾクッとした所は、やはり違いましたから。

この本はルイスが晩年結婚したジョイ・デイヴィッドマンに
捧げられています。

そして、ルイスはこの話の姉のイメージを、
ジョイの中に見ていたと思われる、、、と
訳者あとがきにありました。

それを聞くと、ちょっと胸がほっこりと温かくなりますね。

姉娘の一人称で書かれたこの物語、
読み終わる頃には、この主人公に限りない愛着を感じている私なのでした。

師走だ。。。

2012年12月07日 | Information
モモを読んで自分を戒めたはずなのに、
なのに。。。

師走に入ってますます走っているような。
しかし、どこかにそういう自分を見ている
もう一人の自分というものを
持っていたいものです。

さて、今度の日曜日は洋光台キリスト教会にて、
アドベント礼拝です。

洋光台ゴスペルクワイヤが賛美します。
ステキなチラシも出来ました。
11時からです。




来週は11日火曜日が恒例の歌声ペトラ

15日土曜日が去年も伺った、吉見キリスト集会こひつじゴスペルクワイヤ
ゴスペルクリスマス。

そのまた翌週の21日金曜日はいつもお世話になってる
フライデーナイトのクリスマス。
メッセンジャーはアーサー・ホーランドさん。
私は特に何かやる、と言う訳ではありませんが、
その場にはいます!

22日土曜日はマスタードシードのクリスマス会。
マスタードシードは中高生のために、
英語クラス、ホームステイツアー、留学サポートをしています。
今年はなんと夫と二人で伺います。
私はクリスマスの歌をちょっと歌い、
夫はメッセージを。
それで、恐ろしい事に、通訳が私です
今シーズンの数々の催しの中で、
これが一番緊張するかもしれません!

翌23日日曜日は、私の通っている教会
ミッション・エイド・クリスチャン・フェローシップのクリスマス賛美礼拝です!
お茶の水クリスチャン・センター8階チャペルにて。
朝10時からです。

どれも、とても楽しみにしています。
走り回っている割には元気。
喉の調子も悪くありません。

せかせかしても短縮できる時間なんて、
ホントにたかが知れています。
急いでいる時ほど、フッと深呼吸。

その方が絶対効率もいい。
これは経験則。

なので、やり残した事への後ろ髪は
バッサリ断ち切って寝る事にします(笑)。



久しぶりに「モモ」を読む

2012年12月03日 | 日記
ミヒャエル・エンデ作の「モモ」



確か二十代のはじめ頃読んで、
そのまま実家の本棚に。
先日から何故か気になって、
実家に行ったついでに持って来ました。

この年齢になってから読む「モモ」は
感じ入る事ばかりでした。

成功のために、
ひとかどの人物になるために、
もっと良い暮らしのために、

人々は時間の節約を始めます。
節約した時間はすべて
時間どろぼうに盗まれてしまうと言う設定なので、
人々は節約で浮いた時間を楽しむ事も出来ず、
どんなにあくせくしても、
どんどん一日が短くなって、
だんだん不機嫌になってゆくのです。

子供たちすら例外ではありません。
「将来のために」なる事ばかりを強いられるあまり、
彼らは持ち前の想像力で今に没頭する事を忘れて行きます。

モモは小さな女の子で、
施設から逃げて来て、廃墟に住んでいます。
学校も行きませんから、時間がたっぷりあって、
しかも傾聴の才能がずば抜けているので、
誰もモモ相手では自分の本音を隠しおおせる事が出来ません。

そして、どんな社会の仕組みにも組み込まれず、
隙間にそっと生きているこの子が、
盗まれた時間を人々の元に取り返す、、、と言うストーリーなのですが。

それにしても、この話が書かれた1970年代に
著者はよくぞここまでの事が見通せたなぁと、
敬服してしまいます。

時間を節約して生きている人々の姿は、
まさに21世紀の現代人だし、
そのまま私の姿です。

これを使えばさぞかし時間の節約になるだろう、という
利器を私たちは次々と買います。
元々はその節約した時間で楽しい事をしたり、
好きな人と過ごすためであったりしたはずです。

けれどもその代金を支払うために、
時間を引き換えにします。
なので結局、時間は自分の手元には残らないのです。

まぁ、ちょっと強引に単純化すれば
こんな感じじゃないですか?

しかもその労働そのものも、
どんどんスピードとスキルが要求されるようになっています。
ですからただ単に時間を提供するだけでは、
それなりに生活を成り立たせるだけの
対価を頂くのは難しくなっている、
そんな状況です。

そう言えば、数年前には私にはまだ
行きつけの店と言うものがありました。

行けばいつでも名前を呼んでもらえて、
誰かしらに会えて、気の向くままにおしゃべりを楽しむ、、、
そんなお店です。

今の私。
目的もなくどこかの店で時間を過ごすなんて、
全くと言っていいほどなくなりました!

心の向くままに道に迷いながら近所を散策。。。
なんて事もとんとご無沙汰です!

2ヶ月前からは犬もいなくなったので、
その分時間が増えるのかな?と思ったら、とんでもない!
いつの間にかその穴は何事もなかったかのように
埋まってしまいました。

いったいどうした事でしょう。
テレビもない我が家だと言うのに、
時間はどこへ消えるんでしょう?

私も知らぬ間に時間どろぼうにやられちゃったんでしょうか?



・・・モモは、どこにいるんでしょうか?

それは、忘れられた、昔の私でしょうか。