裁判所に許可をえて、今の住まいに移ってから3ヶ月余りになる。
31年余、慣れ親しんだ家や事務所は、静かな住宅地の中に570坪程の高台に建ち、住まいや仕事場には申し分のないものだった。が、私らが引越して1週間後には、平屋60坪の住宅、3階建て47坪の事務所が、跡形もなく消え更地になった。今更のように驚いた近所の人から、何故か励ましの言葉が届いた。
夫は、1DKアパートがどんなものか想像できなかったらしく、黙々と荷物を運び入れていた。このアパートの企画、設計に当たった私のこだわりは、若い働く女性が暮らしやすいイメージだった。まさか、自分達が住むことになるとは、夢にも思わなかったが十分な収納と180cmのシステムキッチン、広いベランダ9畳位の部屋を広く感じさせ、窮屈感がなく快適だ。
このアパートは、結局子供達が協力し、競売を銀行融資で切り抜けた。管財人が間に入る条件として、債権者集団への納付金、司法書士への支払、固定資産税等それらのお金の工面が条件だった。
私は、子供らと相談しながら融資先を当たらせた。勿論、迷惑をかけてない金融機関がいいことは、重々承知していたが当たってくだけろと言い聞かせ、どの銀行も訪問させた。正直に事情と状況を話して、長い付き合いでも迷惑をかけた銀行には、当然のごとく断られたが、丁寧な対応は子供らには勇気になったようだ。一方で、同じ長い付き合いだったが最後借金の返済をした(担保をはずす為)迷惑をかけなかった金融機関は、理由も曖昧に断りを入れてきた。私には、悔しさや不快さが残る。そんな中で、融資を受け入れてくれた銀行には、本当に感謝だ。
子供らの協力と頑張りは、この1DKのアパートを、私らに安心して住める住まいにしてくれた。
管財人に、収めた金の合計¥1,042,407と司法書士費用¥705,330は、予想外の出金だったが子供らの実質上借金の1部になった。人にとって住まいは「生きていく箱」だと実感した。
31年余、慣れ親しんだ家や事務所は、静かな住宅地の中に570坪程の高台に建ち、住まいや仕事場には申し分のないものだった。が、私らが引越して1週間後には、平屋60坪の住宅、3階建て47坪の事務所が、跡形もなく消え更地になった。今更のように驚いた近所の人から、何故か励ましの言葉が届いた。
夫は、1DKアパートがどんなものか想像できなかったらしく、黙々と荷物を運び入れていた。このアパートの企画、設計に当たった私のこだわりは、若い働く女性が暮らしやすいイメージだった。まさか、自分達が住むことになるとは、夢にも思わなかったが十分な収納と180cmのシステムキッチン、広いベランダ9畳位の部屋を広く感じさせ、窮屈感がなく快適だ。
このアパートは、結局子供達が協力し、競売を銀行融資で切り抜けた。管財人が間に入る条件として、債権者集団への納付金、司法書士への支払、固定資産税等それらのお金の工面が条件だった。
私は、子供らと相談しながら融資先を当たらせた。勿論、迷惑をかけてない金融機関がいいことは、重々承知していたが当たってくだけろと言い聞かせ、どの銀行も訪問させた。正直に事情と状況を話して、長い付き合いでも迷惑をかけた銀行には、当然のごとく断られたが、丁寧な対応は子供らには勇気になったようだ。一方で、同じ長い付き合いだったが最後借金の返済をした(担保をはずす為)迷惑をかけなかった金融機関は、理由も曖昧に断りを入れてきた。私には、悔しさや不快さが残る。そんな中で、融資を受け入れてくれた銀行には、本当に感謝だ。
子供らの協力と頑張りは、この1DKのアパートを、私らに安心して住める住まいにしてくれた。
管財人に、収めた金の合計¥1,042,407と司法書士費用¥705,330は、予想外の出金だったが子供らの実質上借金の1部になった。人にとって住まいは「生きていく箱」だと実感した。