3日目、いよいよ旅の最終日です。
萩は慶長9年(1604年)に開府して以来
およそ260年にわたって毛利36万石の城下町として発展したところ
その後天災や戦災を免れたため町割りや建物、道など当時のたたずまいが
そのまま残っています。
そのため萩の町は今も江戸時代の地図がそのまま使えます。
萩城遺跡や武家屋敷、町家、維新の志士の旧宅、寺社などが現存し
その中で今も引き続き人々の生活が営まれているところが魅力です。
この日は平日だったこともあり
それ程観光客もいなく寂しいくらいでしたが
却ってその方が雰囲気が伝わります。
維新の志士たちの旧宅は一部を除いて内部も公開されています。
髙杉晋作の生家に立ち寄りました。
意外にこぢんまりした家でした。
家屋には入れませんが庭には産湯に使った井戸もそのままです。
城下町の江戸屋横丁にあった円政寺
高杉晋作や伊藤博文が幼い頃に通っていた寺として知られています。
この通りには木戸孝允や吉田松陰の旧宅もあり
こんな狭い町の中に日本を動かした人たちの家が多数あることにことに驚きました。
吉田松陰が主宰した私塾「松下村塾」の家屋
ここで高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など幕末に日本の近代化に重要な役割を果たした
人たちが学んだんですね。
初めは狭い小屋にしか見えなかったのですがこの奥座敷で
机を囲んで若者たちが熱い議論を交わしていたようです。
松陰は、階級や身分に関係なく塾生を受け入れ
学問とは人間はいかにあるべきかいかに生きるべきかを学ぶことであり
知識を得るだけの学問ではなく志ある人材を育成しようと
講義より討論を重視した塾を目指していたようです。
室内にはここで
松陰と関わりのあった人物の写真が展示されていました。
そうそうたる顔ぶれです。
松陰の実家
松蔭が下田で海外渡航に失敗し萩に送られ野山獄に入れられ
翌年釈放となりここで謹慎生活を送ったという幽囚の旧宅
松陰は家族からの薦めもあり幽囚室で孟子や武教全書などを講じ
次第に多くの若者が参加するようになり、松下村塾を主宰するようになったそうです。
これも実際に行かないと分からないことで
こんな小さな建物で学んだ人達が新しい日本を作っていったのかと思うと
感慨深いものがありました。
。。。。。
午後は萩から広島へ
萩から宮島までは3時間ほどの長距離です。
バスの運転手さん、結構年配の方でしたけど3日間体力あるな~と感心しきり!
最初の目的地、厳島神社へ宮島口からフェリーに10分ほど乗ります
私は2度目、以前訪れたのはいつ頃だったか古いアルバムを引っ張り出すと
何と31年も前でした。
厳島神社の正面入り口の大鳥居が見えてきました。
この鳥居埋められているのでなく自らの重みで立っているところが凄い!
向こう岸に到着していよいよ神社に入るのですが
30年前訪れた時とだいぶイメージが異なり可なり鮮やかな朱色に見えて
あら、こんなふうだったかな?と
予想はしていましたが結構人も多くて賑やかで
あの頃とは全然別の神社に来たかのような錯覚に陥りました。
本殿では結婚式が行われていたのでそこはもう人だかり
以前登った豊国神社や五重塔が見えて
やっと少しずつ記憶が蘇ってきました。
本殿の方から眺める大鳥居
みくじ奉納所
能舞台
ここはもみじの名所でもあり
紅葉の盛りには遅かったようですが
もみじ山にも登りたかったな~
帰りの集合場所はお土産屋のだいこん屋さんで
もみじ饅頭とお茶をいただきました。
宮島を後に帰りのフェリーから眺めた夕日が やけに神々しく見えました。
これですべての観光が終了
意外にアッと言う間の3日間でした。
今回の旅、たくさんの名所にバスが運んでくれて気楽でしたが
やっぱりもうちょっと自由時間が欲しかった
それから私としては時期的に旅先の草花にも触れたかったな。。。
そうなんですよ~ツアーならではの満載旅でした。
行く先々のスケジュールもお任せですから気楽でした。
それにバスの中ではウトウトすることが多く
あまり歩いていないので全然疲れることの無い3日間でしたよ。
でも移動時間より滞在時間が短いって物足らないです。
30年前の宮島は11月の初め紅葉がとても綺麗でした。
そのころは個人でしたからのんびりと夕方
紅葉谷公園のライトアップまで楽しんできたんです。
最後に紅葉も期待していたんですけどね!
山陰山陽の旅の3日間 ツァー旅ならではの満載旅でしたね。
私もこの地には5年ほど前に行ってます。
その時出雲大社には行かなかったので去年改めて乗ったことのない寝台列車サンライズ出雲で行きました。
そうなんですよね。もう少し自由時間が欲しい 好きな草花も見たいってついつい思ってしまうのは私も同じです。