選挙から3か月ほどの、ちょうど1月の15日ころだったか、
前の記事にも記したように、気持ちが吹っ切れたというか、前に向かい始めたと実感するようになった。
それまでは気持ちはずっと選挙のことに拘泥(こうでい)していて、時間は止まったままだった。
(でも、能登地震の被災者のことを思うと、そんなの何でもない。
被災者の方々こそ時間があの時のまま止まっているのだと思う。)
写真は箱入れ前のブロッコリー 24個/箱に入れる大きさ
その3か月の間に、自分は「原点に戻る」つもりで、福島は南相馬の農園でブロッコリーの収穫の手伝いに参加させていただいた。
「東日本大震災と原発事故、あの時誰もが感じたあの思いを決して忘れず、「人と人の絆」・・・・・そんな所沢、日本で行こう!」
何度語ったであろうあの言葉、市長を志した原点に戻ることで、自分を振り返って今後を展開していきたい。
そんな気持ちだったのである。
寺本教育委員のご紹介で、身分は隠して、私は南相馬の篤農家、福田さんの農園に入らせていただけた。
11月19日に南相馬に入って、最終は1月12日まで、
その間、お葬式が入ったり、いろいろで、所沢に戻ることも多く、正味20日間くらいしか手伝えなかったが、働かせていただいた。
ブロッコリー畑 南相馬は被災者の移住先として小開発がされていて 人口増
畑や田んぼの中に大きな新築住宅が結構ある
ブロッコリーの収穫は、機械ではできない。
刈るか否か、判断しながら畝を進み、出荷できる大きさのものは適切な長さに包丁で切り、
周りの葉を削いで、リヤカーに乗せられた4つのかごに順次それを入れていく。
1台のリヤカーを真ん中に、リヤカーの車輪の内側3列を担当する引き手の1人と、リヤカーの左わき2列、右わき2列の畝を担当する2人、計3人で収穫しながら前へ前へと進んでいく。
1台のリヤカーが進むと合計7列の畝の収穫がなされていく。
リヤカーを引く福田さん この時は一人 ふつうは両脇に1人ずつ付く
畑は広い。成長は気候任せ。
ゆえに最盛期になると人手が必要になるのだ。
リヤカーの上のかごがいっぱいになると軽トラの荷台に移す
とるべきか否か、その判断が難しい。とると判断しても、適切な長さで切ることも難しかった。
私以外の皆さんは、福田さん親子に親戚知人、新規就農者もおられるが、仕事はみな正確で速い。
強豪ソフトボールチームのような一糸乱れぬ動きで作業は進んでいく。
私が迷っているとリヤカーはどんどん前に行ってしまう。
自分の脳裏には常に運動会の音楽が流れていた。 心が急(せ)いた。
それでも青空の下の作業は、汗もかき、すがすがしいものだった。
息子さんと新規就農の方を除けば、みな70歳代以上の方々だが、正確で速い。
ブロッコリーでいっぱいの籠も平気で持ち運ぶ。
リヤカーの上のかごは、いっぱいになると軽トラの荷台に移され、それがいっぱいになると
「おーし、けぇんべぇ」
福田さんの号令で農地での作業は終わりとなる。
農家に帰って、小屋で一息、コーヒーやおいしい菓子やミカン、
その日に出される柿やチョコなどを食べながら談笑して、しっかり休憩する。
多才な黒木さん手作りのケーキ 奇しくも自分の誕生日に提供された
そののち、今度は軽トラの上のブロッコリーを発泡スチロールの箱に詰めていく。
農家の庭での作業となる。
その際、大きさによって、ひと箱16個入り、20個入り、24個入りのどれに値するか判断しつつ、
形をそろえながら、詰めていくのであるが、これもまた正確さと速さが求められるのだ。
だが、これもまた、私は遅く、ほかの人より処理する箱数が、10箱分以上少ない。
さらに、途中で小便に行きたくなる。 そうするとさらに差が出る。迷惑がかかる。
ジャンバーを上に重ね着して、しまいにはカイロも付けた。
それでも行きたくなる。作業中足踏みしながらこらえる。
自分は今まで小便は したいときに行ける環境だったのだろうか?
冬の日陰の作業ではあるが、改めて感じた尿意の存在には、自分は本当に閉口してしまった。
これから発泡スチロールの箱に仕分けする前
そして、収穫したブロッコリーが発泡スチロールの箱にすべて詰められたら、
それをトラックでJAに運んで終わりとなる。自分はそこには同行しない。
この工程を午前に一回、午後に一回。
新年は1月7日から従事したが、お世話になった方のお葬式で一時帰宅。
最盛期を終え、しかも、安値が続いているようで毎日の従事は不要とのことで、
12日をもって終了となった。
正味20日間ほどの参加ではあったが、福田さんには寛大な心持ちの中で大変お世話になりました。
また、皆さんには、よそからの参加者を温かく迎えていただき、時に叱咤していただき、感謝しています。
スーパーでブロッコリーを見ると、それ以来、必ず手に取って、値段を見ては「高値になれ!」と念じています。
本当は、貢献をして役に立って、南相馬を後にしたかったところでした。
実は所沢の市長をしていたんです。そんなことも最後は正直に明かして、きちんと帰りたかったでした。
が、現実は足手まといになること多く、戦力にはなれず、
それゆえ身分など明かすこともできず、消沈して所沢に戻ったことにはなりました。
ああ、自分は、他人とペースを乱さず、正確に速くやるってことが、昔から苦手だったんだ!
いわゆる職人に求められる質に欠けていた、ということを改めて思い出しました。
p.s.その後、政府はブロッコリーを「指定野菜」(現在は14品目あって国民生活に欠かせない野菜。
価格が下落した時など支えてもらえる。)に令和8年から追加することが決まったそうで、
うれしく思っています。
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