皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ

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塚本三郎元民社党委員長の卒寿を祝う。

2016年10月26日 | 日本・国士




平成28年10月25日(火)

 昨日の十月二十四日、名古屋で、
 塚本三郎元民社党委員長の卒寿を祝う同窓会があった。
 塚本三郎先生ご夫妻を中心にして、
 かつて民社党の旗の下で衆参議員を務めた十一人の面々が集まった。
 昭和二年四月二十日生まれの塚本三郎先生が最年長で
 昭和二十三年七月七日生まれの私が最年少であった。

 民社党は、
 昭和三十五年一月、左右の全体主義、
 特に共産主義と戦うために結成された。
 そして、
 企業に入り込み企業を解体して国の産業を崩壊させ、
 共産党独裁政権樹立のための基盤である
 「社会の疲弊と民衆の不満による無秩序」を造ろうとする
 共産主義労働運動の撲滅に闘志をみなぎらせた。
 その為に、富士の裾野の御殿場の神馬に、
 共産主義労働運動と戦う理論武装教育を行う
 富士社会教育センターを創った。

 民社党の創業者たちは、
 GHQがイタリアで皇帝制度を廃止させた手法にならって、
 我が国の労働運動指導者を煽って天皇を廃止させようとしたとき、
 敢然と、飛ぶ鳥を落とすGHQに対して、
 「天皇がおられるから我が国の勤労者は勤勉なんだ」
 と反論して、GHQの天皇廃止路線を拒否し断念させた。
 その時、戦時中は大政翼賛会に属して偉そうにしていた「保守層」は、
 手の平を返してGHQの従順なイエスマンになっていた。
 つまり、終戦直後の
 「天皇廃止という日本の真の危機」を阻止したのは、
 民社党の創業者たちである。
 そして、民社党は、
 平成六年十二月九日、解党してその歴史を閉じた。
 その解党前の思い出は、党として、
 「集団的自衛権行使は当然である」
 という認識がほぼ確認されたことである。
 
 昨日の会で、
 私は、大きな声で(塚本委員長が耳が遠いので)、
 蓮舫という奴といっしょにいるやつは馬鹿で、
 日産のゴーンという奴とともに車をつくっているやつの気が知れん、
 と言ったが、誰も異議を示さなかった。
 塚本委員長の誕生日を山車にして集まる同窓会を、
 これからも開くことを申し合わせ
 塚本先生ご夫妻のご健勝を祈り、
 参加者全員の健勝を期して散会となった。

 以上のとおり、
 民社党出身者であることを誇りとして歩んできたが故に、記した次第だ。
 近い将来、圧倒的な危機の前に、戦後体制は崩壊する。
 その時、日本解体を狙い続けてきたコミンテルン路線は、
 様々に姿を変えていまも生きおり、
 日本解体の目的を達成しようとする。
 しかし、民社党はなくとも、
 民社党の路線も必ず生きて日本を救う。
 全国の愛国の同志と共に、再び、民社党の党歌、
 「いまぞ集う 勤労の同志!」、また、「いまぞ集う 愛国の同志!」
 を歌う日が来ることを目指す。



西村眞悟の時事通信より。





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