平成31年3月9日(土)
千数百年以上まえから只今現在まで、
同じことが繰り返し起こる朝鮮半島は、
我が国にとって、
不安定で厄介なところである。
斯くして、現在、平成三十一年の二月の末、
北朝鮮の労働党委員長という肩書きの三代目の独裁者金正恩が、
平壌から長い列車を連ねて川を渡って中共領に入り、
三日間かけて、昔の表現で言えば、シナ大陸を北から南に打通してベトナム領に入り、
二月二十七日と二十八日に、米朝首脳会談が行われるハノイに行った。
その金正恩が乗った旧式の車両を見て、
九十一年前に北京から奉天に向かう満州軍閥の張作霖が乗った長い列車と同じ代物だと思った。張作霖が、数十の車両を連ねた長い列車に乗ったのは、
自分がどの車両に乗っているか分からなくして暗殺されるのを回避する為であった。
しかし、奉天郊外で、彼が乗っている車両が爆破され殺された。
金正恩も、自分がどの車両に乗っているか分からなくする為に、
多くの車両を連ねた長い列車に乗ってハノイに向かったのだろう。
つまり彼は、暗殺の恐怖を拭えないのだ。
それ故、三日間、中が見えないように封印された車両の中にいて、
外の景色を眺めることもなく過ごしたことになる。
ちなみに、
張作霖がどの車両にいるかが分かったのは、
彼が妾を同行させており、
その妾が乗っている車両が分かったからだという。
張作霖は妾とともにいるところを爆殺された。
金正恩が、
封印列車に誰を乗せて何をしていたのか知らないが、
数日間、実に退屈して、またビクビクしながら、列車の中にいたのだろう。
そして、
情報の閉ざされた封印列車の中の
三日間の鬱屈した拘禁状態から、解放されて、外に出たら、
そこは南のハノイで、
ベトナム政府に大歓迎された。
さらに、この開放感に浸る金正恩の前には、
世界一の超大国の大統領トランプが笑顔で待っていたのだ。
嬉しく得意になっただろう。そこで、朝鮮人特有の癖が出た。
つまり、丁寧な相手には尊大になり、
自分も超大国と対等な世界を動かす指導者であると舞い上がった。
そして、アメリカ側の席には
最強の敵であるボルトン大統領特別補佐官がいるのを無視して、
核廃棄は約束せずにトランプ大統領に対して、
制裁の全面解除を要求した。
この金正恩の態度を見たトランプ大統領とボルトン特別補佐官は、
これ以上、このチンピラと話し続ける必要はないと見限り、
直ちに席を蹴ってエアーフォースワンに乗ってアメリカに帰ったのだ。金
正恩が往復六日をかけてハノイに行った結果は、
北朝鮮に対する全面制裁継続となった。
我が国のマスコミは、このハノイの米朝首脳会談が決裂したと報道した。
しかし、北朝鮮が相手である会談では、
マスコミが期待し評論家が予想したような、
双方が譲り合って合意することこそが会談の「失敗」で、
決裂することが「成功」なのだ。
何故なら、北朝鮮の合意は、「守る意思がない合意」つまり「嘘」であるからだ。
かつて、アメリカのクリントン大統領もブッシュ大統領も、
北朝鮮の「守る意思のない合意」、「嘘」に欺された。
そして、北朝鮮は、
その「嘘」によってアメリカや日本からせしめた資金で、
核とミサイル開発を続けた。
ボルトン特別補佐官は、
この北朝鮮の騙しの手口と、その結果、北朝鮮の核ミサイル開発が、
大いに進展したからくりを知り尽くしている人物であった。
我が日本においても、
平成十四年九月十七日に、
小泉総理と二代目の金正日が合意して署名した平壌宣言は、
小泉総理と外務省が北朝鮮に欺されたことを示す証拠文書にすぎない。
小泉総理一行は、
平壌で金正日に欺された後、
金正日からトラック二台分の松茸をもらって、
意気揚々と政府専用機で帰ってきたというわけだ。
では、何故、北朝鮮とは会談決裂が会談の「成功」なのか。
その理由は、単純明快、
北朝鮮の嘘に欺されなかったからだ。
その結果、
対北朝鮮全面制裁継続が確認され、
それが、北朝鮮の金独裁体制崩壊の可能性を拡大するからだ。
そして、
この金独裁体制の崩壊こそ、
北朝鮮に拉致された日本人同胞全員の解放につながり、
同時に北朝鮮の独裁者が
核とミサイルを保有する脅威から世界と東アジアが解放される道である。
ここにおいて、我々は、
金独裁体制を崩壊させることによって
拉致された同胞を救出すると強く覚悟を固めなければならない。
さらに、
金独裁体制の崩壊は、独裁体制下で抑圧されている北朝鮮人民の幸せにつながる。
北朝鮮内では、
日本統治時代の時のほうが豊かで明るく幸せだったと思っている年寄りが多くいたと聞いている。しかし、戦後から七十四年が経った今、日本時代を生きた人が少なくなっているのが残念だ。
とはいえ、
この北朝鮮の金独裁体制が、
朝鮮の歴史において「特異な体制」であると思ってはならない。
この金独裁体制は、
数百年続いて朝鮮人民を絶望的に疲弊させた李氏朝鮮に回帰したうえで、
李氏朝鮮と共産党独裁が混合したものだ。
従って、一九一〇年に、
この朝鮮半島を日韓併合により統治することになった我が日本は、
この李氏朝鮮の民衆を、疲弊から救出する為に朝鮮の近代化に努力した。
その結果、三十五年後の一九四五年には朝鮮の人口は二倍になっていたのだ。
しかし、それから、
独自に歩み始めた朝鮮の歴史は繰り返す。
金独裁体制という「李氏朝鮮」に戻った北朝鮮は、
金独裁体制崩壊と共に再び「近代化」しなければならないということになる。
しかし、ここで歴史は教えている。
我が国は、
この朝鮮の再建に再び当事者として手を貸してはならない。
体制の崩壊した朝鮮救済に向かうのは、
全面制裁を北朝鮮に実施した国連であり、
我が国は傍観するに如かずである。
次に、この北朝鮮の南の韓国であるが、
現在の文在寅大統領になってから明確になったのは、
韓国は、我が国との国家間の合意は、守らなくてもよいと思っていることだ。
そして、
歴史は事実ではなくファンタジーだと思っている。
それ故、文在寅大統領は、
建国以来数百年間支那の従属国で絶望的に疲弊した李氏朝鮮は、
韓国映画でみるような豪華絢爛たる国であったにもかかわらず、
二十世紀に日本が
過酷な植民地支配によりその富を収奪したという歴史観ファンタジーを掲げて、
国民が日本を恨み、反日意識を強めるように煽っている。
この裏返しとして、
韓国は、親中共であり、北朝鮮の現代版李氏朝鮮体制である金独裁体制に親近感をつのらせている。
つまり、文在寅は、反日と親金独裁体制による南北統一を掲げて政権を運営している。
このまま進めば、
韓国は、文在寅によって、北の金独裁体制に吸収合併される。
斯くの如く、いつまで経っても、朝鮮の民衆は哀れである。
とはいえ、
これが韓国の「普通の状態」なのではないか。
むしろ、
日本の陸軍士官学校を卒業した朴正熙氏が大統領で
日本と緊密な関係を結んだ時代が、
韓国の「特異な時代」だったと見るべきだ。
というのも、
現在、韓国人が、
ソウルの在韓日本大使館の前に日本を侮辱する為に建てている
「従軍慰安婦像」を見る度に、
明治維新によって、我が国の新政府が、
李氏朝鮮と国家同士の外交関係を樹立しようとした際に、
朝鮮が釜山の日本公館の前に立てた侮日告示を思いだす。
小中華を自慢していた李氏朝鮮以来、
朝鮮人は一貫して反日侮日だと思う。
この時、朝鮮との修交を求めて朝鮮に渡った外務省員佐伯白茅は、
数ヶ月朝鮮に滞在して帰国し、
朝鮮について、「その人、固陋傲岸、これを覚ますも覚めず」と報告した。
今も朝鮮半島は、この時と同じだ。
従って、三十八度線は、
既に対馬と釜山の間の海峡に南下しており、
我が国は明治の日清日露両戦役前夜の地政学的状況下に置かれている。
そして、
朝鮮半島も、金独裁体制の崩壊と韓国内の混乱で李氏朝鮮末期の情勢になろう。
その時、我が国は、
かつて一九九七年にアドリア海に面するアルバニアが無政府状態に陥った際に、
ドイツが軍特殊部隊を派遣して
断固としてドイツ国民と日本国民を救出したように、
断固として、
北朝鮮に拉致された日本国民を含む日本人および救援を要する友好国国民を
朝鮮半島から救出しなければならない。
その上で、
古田博司筑波大学大学院教授が言われるように、
「助けず、教えず、関わらず」
の非韓三原則で朝鮮半島に対応し、
文字通り対岸の火事を見る如く、
そして、
動かざること山の如く対処しなければならない。
西村眞悟の時事通信より。
千数百年以上まえから只今現在まで、
同じことが繰り返し起こる朝鮮半島は、
我が国にとって、
不安定で厄介なところである。
斯くして、現在、平成三十一年の二月の末、
北朝鮮の労働党委員長という肩書きの三代目の独裁者金正恩が、
平壌から長い列車を連ねて川を渡って中共領に入り、
三日間かけて、昔の表現で言えば、シナ大陸を北から南に打通してベトナム領に入り、
二月二十七日と二十八日に、米朝首脳会談が行われるハノイに行った。
その金正恩が乗った旧式の車両を見て、
九十一年前に北京から奉天に向かう満州軍閥の張作霖が乗った長い列車と同じ代物だと思った。張作霖が、数十の車両を連ねた長い列車に乗ったのは、
自分がどの車両に乗っているか分からなくして暗殺されるのを回避する為であった。
しかし、奉天郊外で、彼が乗っている車両が爆破され殺された。
金正恩も、自分がどの車両に乗っているか分からなくする為に、
多くの車両を連ねた長い列車に乗ってハノイに向かったのだろう。
つまり彼は、暗殺の恐怖を拭えないのだ。
それ故、三日間、中が見えないように封印された車両の中にいて、
外の景色を眺めることもなく過ごしたことになる。
ちなみに、
張作霖がどの車両にいるかが分かったのは、
彼が妾を同行させており、
その妾が乗っている車両が分かったからだという。
張作霖は妾とともにいるところを爆殺された。
金正恩が、
封印列車に誰を乗せて何をしていたのか知らないが、
数日間、実に退屈して、またビクビクしながら、列車の中にいたのだろう。
そして、
情報の閉ざされた封印列車の中の
三日間の鬱屈した拘禁状態から、解放されて、外に出たら、
そこは南のハノイで、
ベトナム政府に大歓迎された。
さらに、この開放感に浸る金正恩の前には、
世界一の超大国の大統領トランプが笑顔で待っていたのだ。
嬉しく得意になっただろう。そこで、朝鮮人特有の癖が出た。
つまり、丁寧な相手には尊大になり、
自分も超大国と対等な世界を動かす指導者であると舞い上がった。
そして、アメリカ側の席には
最強の敵であるボルトン大統領特別補佐官がいるのを無視して、
核廃棄は約束せずにトランプ大統領に対して、
制裁の全面解除を要求した。
この金正恩の態度を見たトランプ大統領とボルトン特別補佐官は、
これ以上、このチンピラと話し続ける必要はないと見限り、
直ちに席を蹴ってエアーフォースワンに乗ってアメリカに帰ったのだ。金
正恩が往復六日をかけてハノイに行った結果は、
北朝鮮に対する全面制裁継続となった。
我が国のマスコミは、このハノイの米朝首脳会談が決裂したと報道した。
しかし、北朝鮮が相手である会談では、
マスコミが期待し評論家が予想したような、
双方が譲り合って合意することこそが会談の「失敗」で、
決裂することが「成功」なのだ。
何故なら、北朝鮮の合意は、「守る意思がない合意」つまり「嘘」であるからだ。
かつて、アメリカのクリントン大統領もブッシュ大統領も、
北朝鮮の「守る意思のない合意」、「嘘」に欺された。
そして、北朝鮮は、
その「嘘」によってアメリカや日本からせしめた資金で、
核とミサイル開発を続けた。
ボルトン特別補佐官は、
この北朝鮮の騙しの手口と、その結果、北朝鮮の核ミサイル開発が、
大いに進展したからくりを知り尽くしている人物であった。
我が日本においても、
平成十四年九月十七日に、
小泉総理と二代目の金正日が合意して署名した平壌宣言は、
小泉総理と外務省が北朝鮮に欺されたことを示す証拠文書にすぎない。
小泉総理一行は、
平壌で金正日に欺された後、
金正日からトラック二台分の松茸をもらって、
意気揚々と政府専用機で帰ってきたというわけだ。
では、何故、北朝鮮とは会談決裂が会談の「成功」なのか。
その理由は、単純明快、
北朝鮮の嘘に欺されなかったからだ。
その結果、
対北朝鮮全面制裁継続が確認され、
それが、北朝鮮の金独裁体制崩壊の可能性を拡大するからだ。
そして、
この金独裁体制の崩壊こそ、
北朝鮮に拉致された日本人同胞全員の解放につながり、
同時に北朝鮮の独裁者が
核とミサイルを保有する脅威から世界と東アジアが解放される道である。
ここにおいて、我々は、
金独裁体制を崩壊させることによって
拉致された同胞を救出すると強く覚悟を固めなければならない。
さらに、
金独裁体制の崩壊は、独裁体制下で抑圧されている北朝鮮人民の幸せにつながる。
北朝鮮内では、
日本統治時代の時のほうが豊かで明るく幸せだったと思っている年寄りが多くいたと聞いている。しかし、戦後から七十四年が経った今、日本時代を生きた人が少なくなっているのが残念だ。
とはいえ、
この北朝鮮の金独裁体制が、
朝鮮の歴史において「特異な体制」であると思ってはならない。
この金独裁体制は、
数百年続いて朝鮮人民を絶望的に疲弊させた李氏朝鮮に回帰したうえで、
李氏朝鮮と共産党独裁が混合したものだ。
従って、一九一〇年に、
この朝鮮半島を日韓併合により統治することになった我が日本は、
この李氏朝鮮の民衆を、疲弊から救出する為に朝鮮の近代化に努力した。
その結果、三十五年後の一九四五年には朝鮮の人口は二倍になっていたのだ。
しかし、それから、
独自に歩み始めた朝鮮の歴史は繰り返す。
金独裁体制という「李氏朝鮮」に戻った北朝鮮は、
金独裁体制崩壊と共に再び「近代化」しなければならないということになる。
しかし、ここで歴史は教えている。
我が国は、
この朝鮮の再建に再び当事者として手を貸してはならない。
体制の崩壊した朝鮮救済に向かうのは、
全面制裁を北朝鮮に実施した国連であり、
我が国は傍観するに如かずである。
次に、この北朝鮮の南の韓国であるが、
現在の文在寅大統領になってから明確になったのは、
韓国は、我が国との国家間の合意は、守らなくてもよいと思っていることだ。
そして、
歴史は事実ではなくファンタジーだと思っている。
それ故、文在寅大統領は、
建国以来数百年間支那の従属国で絶望的に疲弊した李氏朝鮮は、
韓国映画でみるような豪華絢爛たる国であったにもかかわらず、
二十世紀に日本が
過酷な植民地支配によりその富を収奪したという歴史観ファンタジーを掲げて、
国民が日本を恨み、反日意識を強めるように煽っている。
この裏返しとして、
韓国は、親中共であり、北朝鮮の現代版李氏朝鮮体制である金独裁体制に親近感をつのらせている。
つまり、文在寅は、反日と親金独裁体制による南北統一を掲げて政権を運営している。
このまま進めば、
韓国は、文在寅によって、北の金独裁体制に吸収合併される。
斯くの如く、いつまで経っても、朝鮮の民衆は哀れである。
とはいえ、
これが韓国の「普通の状態」なのではないか。
むしろ、
日本の陸軍士官学校を卒業した朴正熙氏が大統領で
日本と緊密な関係を結んだ時代が、
韓国の「特異な時代」だったと見るべきだ。
というのも、
現在、韓国人が、
ソウルの在韓日本大使館の前に日本を侮辱する為に建てている
「従軍慰安婦像」を見る度に、
明治維新によって、我が国の新政府が、
李氏朝鮮と国家同士の外交関係を樹立しようとした際に、
朝鮮が釜山の日本公館の前に立てた侮日告示を思いだす。
小中華を自慢していた李氏朝鮮以来、
朝鮮人は一貫して反日侮日だと思う。
この時、朝鮮との修交を求めて朝鮮に渡った外務省員佐伯白茅は、
数ヶ月朝鮮に滞在して帰国し、
朝鮮について、「その人、固陋傲岸、これを覚ますも覚めず」と報告した。
今も朝鮮半島は、この時と同じだ。
従って、三十八度線は、
既に対馬と釜山の間の海峡に南下しており、
我が国は明治の日清日露両戦役前夜の地政学的状況下に置かれている。
そして、
朝鮮半島も、金独裁体制の崩壊と韓国内の混乱で李氏朝鮮末期の情勢になろう。
その時、我が国は、
かつて一九九七年にアドリア海に面するアルバニアが無政府状態に陥った際に、
ドイツが軍特殊部隊を派遣して
断固としてドイツ国民と日本国民を救出したように、
断固として、
北朝鮮に拉致された日本国民を含む日本人および救援を要する友好国国民を
朝鮮半島から救出しなければならない。
その上で、
古田博司筑波大学大学院教授が言われるように、
「助けず、教えず、関わらず」
の非韓三原則で朝鮮半島に対応し、
文字通り対岸の火事を見る如く、
そして、
動かざること山の如く対処しなければならない。
西村眞悟の時事通信より。