平成31年3月24日(日)
先の三月二十二日付け「時事通信」
「火山の噴火口の上にいるのが分からんのか」に続き、
戦後の連合軍による占領下で誕生した「日本国憲法」を如何にするか、
について記すことにする。
まず、二月二十一日付けの「時事通信」
「御譲位は、真の日本、真の日本人を取り戻す恩寵」
に次のように書いた。
・・・
平成三十一年四月の今上陛下の御譲位と新帝の践祚は、
大正十五年十二月二十五日午前一時二十五分の
大正天皇の崩御と昭和天皇の践祚の情景から
如何に変容されたものなのかを見つめねばならない。
そうすれば、
その変容をもたらした「日本国憲法」とは何か?
という戦後の根本問題、
即ち
戦後の根本的疑念に帰着することになる。
ここに、「日本を取り戻す」つまり「日本の再興」という
我が国家の存亡をかけた課題があるのだ。
斯くして、我らには、
今上陛下の御譲位を、「国家の再興」に結びつける責務がある。
それは、まず第一に、「日本国憲法」第一条の
「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民の総意に基づく」というこの規定、
これは、そもそも真実なのかウソなのか、と問うことだ。
この第一条には、ウソが書かれている。
これが、答えであろう。
天皇の地位は、
天照大神の「天壌無窮の神勅」に基づいているのである。
日本人とは、神話に淵源するこの真実を確信をもって公言する者のことだ。
そもそも、
我が国が大東亜戦争の降伏文書に調印した昭和二十年九月二日から
日本国憲法が起案され施行される同二十二年五月三日までの
一年八か月の間に、
天皇を誰にするかどうかの「国民投票」でもしたのか?!
「日本国憲法」第一条はウソだ。
D・マッカーサーというGHQ(占領軍総司令部、以下同じ)のトップ自身が
昭和二十年九月二日、戦艦ミズーリ号艦上に
「大日本帝国天皇陛下及び日本政府の命によりかつその名において」来訪した
外務大臣重光葵を受け入れて大日本帝国の降伏文書調印式に臨み、
さらに、同月二十七日に、
天皇陛下の訪問を受けて謁を賜り、
退出される陛下を見送るとき、
彼は天皇陛下を
「ユアー・マジェスティー」
と呼んでいたではないか。
要するに、
昭和二十二年五月三日に「日本国憲法」が施行されて、
天皇が国民の総意で誕生したのではないのだ。
・・・
本稿を読まれる前に、
是非、この二月二十一日付け「時事通信」を再読していただきたい。
この通信では、
この度の今上陛下の御譲位と新帝の践祚という
「日本国憲法」が想定していない事態を
「日本国憲法」に盲従する安部内閣が如何に扱うかを述べたうえで、
「日本国憲法」が我が国の「憲法」ではなく
「GHQの日本統治基本法」であることを明らかにしたと思っている。
さて、現在の我が国には、
「日本国憲法」に関する護憲論と改正論があるわけだが、
両論共に、「日本国憲法」が、
日本の「憲法」として有効であることを前提としている点で一致しているようだ。
しかし、この度の、
今上陛下の御譲位によって、
「日本国憲法」の「GHQの日本統治基本法」という本質が
より一層鮮明になっているのに、
「日本国憲法」が、
我が国の「憲法」として有効なのか無効なのかの「戦後最大の課題」に目を閉ざして、
一途に護憲論や改正論だけを論ずるのは、
真実への背信であり、法律家としても不誠実で怠慢であろう。
三月七日、
大阪で産経新聞の「正論大賞」受賞記念大阪講演会があり、
受賞者の西 修駒澤大学名誉教授と、百地 章国士舘大学特任教授両氏の
「憲法改正論」を拝聴してきた。共に立派な改正論である。
しかし、
日本の存立を確保するという実践者の立場からは、
「そもそも、「日本国憲法」は、日本の憲法として有効なのですか?」
と質問したくてうずうずした。
この有効か無効かの決断に、
我が国の興廃がかかっていると確信しているからである。
私が、
一身の当落がかかる体験のなかで、肌で感じてきたものは、
①我が国を占領統治したGHQ(連合軍総司令部、以下同じ)の実施した検閲が如何に巧妙に現在も我が国の言論を統制しているか、
そのGHQの言論統制のなかで、
②GHQの日本国民に対して行ったWGIP(日本の戦争が悪であったというプロパガンダ)が未だに分厚く日本国民を洗脳し続けている、
ということである。
この中で、私は、
GHQの言論統制を突破して真実を訴えることを我が任務としてきた。
非難囂々だった。
そして私や田母神俊雄閣下は、共に危険人物とされながら、総選挙を戦ったのだ。
それ故、
次に私が言う結論に耳を傾けて欲しい。
憲法改正は、間に合わない!
よって、
憲法無効を宣言して、
「日本国憲法」ではなく、
国際の法規及び慣例に従って
我が国家を防衛し国民を守る!
即ち、「日本国憲法」を有効とした前提で、
チンタラ議論を重ねて国民投票にかけて「改正」しようとしても、
間に合わず、
我が国家の危機を克服できないということだ。
GHQの検閲とWGIPに洗脳された状態で国民投票など無理だ。
亡国の結論しか出ない。
国が滅びて日本がなくなっても、
「日本国憲法」が残ればいいのだ、と確信している者は論外であるが、
「日本国憲法」が「現実」より「現実的」だと洗脳されている国民はわんさといる。
従って、このような状況下で、
「日本国憲法」の「改正」さえすれば、
「日本を取り戻せる」、「国家の安泰を確保し得る」と思っている政治家(実践者)は無責任だ(学者はともかく)。
「日本国憲法」を前提にして「改正」すれば、
さらに悪くなるのが落ちだ。
無効なものを「改正」すれば必ずそうなる。
現内閣は、
我が国の歴史と伝統による「譲位と践祚」
そして三種の神器の継承である「剣璽渡御の儀」と
「新帝による元号の裁可」という神事ともいうべき不可分一体の儀式を、
「譲位」ではなく「退位」とした上で、
その不可分一体性を無視して神事性を消去してバラバラに分解している。
その理由は、「日本国憲法」を、
我が国の皇位の継承という神聖な儀式よりも上位に置き優越させているからである。
もっと、露骨に言えば、
現内閣は「日本国憲法」を盲信して、その枠内でしか動けないのだ。
この現内閣の首班である安倍総理、
靖国神社に参拝できない安倍総理が唱える「改正」で、
「日本を取り戻し」危機を克服することができると思われますか?
ここで確認しておきたいことは、
私は、以上のことを、
「日本国憲法」の次元では克服できない危機が襲来することを前提にして書いているということだ。
つまり、私は、憲法九条、そして、安部さん主導で改正された憲法九条、では克服できない危機が我が国を襲うことを前提にしている。
即ち、これから来る危機は、「改正」の次元ではなく、
「日本国憲法」を捨て去らなければ克服できないと言っているのだ。
何故なら、
先の三月二十二日付け時事通信で書いたように、
我が国は「活火山の噴火口の上」に乗っているからだ。
私は、いたずらに危機を煽っているのではない。
一千年に一度の津波を予見すべきであるとして東京電力の責任を認定した判事がいるし、一万年に一度の地震を前提にして原発の運転禁止を命じた判事もいる。
これらの判事の判断を大真面目に受け入れるならば、
私の指摘する危機は、
明日に起こっても不思議ではない直近の具体的危機であると判断されるべきだ。
仁徳天皇陵の西に、
大阪府立の農学校跡地の公園がある。
その公園の桜の木の下に三坪ほどの地面を囲って人が入れなくしてある土地がある。
その理由は、土壌からヒ素と鉛が検出され、
その濃度が「土壌溶出量基準値」を超えて危険であるからだという。
その危険か安全かを分ける基準値は、0.01㎎/ℓで、
それは、
「七十年間、毎日、2リットルを飲用しても健康に対する有害な影響がない濃度」だという。そして、その場所はヒ素が0.011㎎/ℓで基準値より0.001㎎/ℓ多く、
鉛が0.027㎎/ℓで基準値より0.017㎎/ℓ多かったので立ち入り禁止だという。
散歩の途中に、
我が国の行政が使っている危険か安全かを分ける
「70年間毎日2ℓ飲み続けて健康に害がない基準値」の説明を見て、
行政が、ここまで国民の健康に気をつかうならば、
国民の命がかかった国防力強化にさらに何十倍も気をつかってしかるべきだと思った。
既に、何度も、
「日本国憲法」の「無効宣言」は、
古来のアレキサンダー大王の[ゴルディアスの結び目]を切断する伝説を引用して説明した。
To Cut The Gordian Knot!
「日本国憲法無効宣言」は一挙に可能だと!
これは、
手に負えない難問を誰もが思いつかなかった大胆な方法で一挙に解決してしまうこと、
難題を一刀両断に解くこと、
である。
アレキサンダーは、
何世紀も、誰も解くことができなかったゴルディアンの結び目を剣で一挙に切断して解き、ゴルディアンの予言通り、アジアの大王になった。
日本を永遠に武装解除されたままの状態に閉じ込める為に憲法九条を書いた
と起案者チャールズ・ケーディス本人が言っているのだ。
このように、
明確にGHQの日本統治目的達成の為に書かれた「日本国憲法」の鉄格子からの脱出は、
内閣総理大臣および日本人有志が、
「日本国憲法」の無効を宣言することによって一挙に成る。
占領下に外国人が書いた憲法の無効宣言、
これは、当然のこと、簡単なこと、ではないか。
そして、これこそ、救国なのだ!
西村眞悟の時事通信より。
先の三月二十二日付け「時事通信」
「火山の噴火口の上にいるのが分からんのか」に続き、
戦後の連合軍による占領下で誕生した「日本国憲法」を如何にするか、
について記すことにする。
まず、二月二十一日付けの「時事通信」
「御譲位は、真の日本、真の日本人を取り戻す恩寵」
に次のように書いた。
・・・
平成三十一年四月の今上陛下の御譲位と新帝の践祚は、
大正十五年十二月二十五日午前一時二十五分の
大正天皇の崩御と昭和天皇の践祚の情景から
如何に変容されたものなのかを見つめねばならない。
そうすれば、
その変容をもたらした「日本国憲法」とは何か?
という戦後の根本問題、
即ち
戦後の根本的疑念に帰着することになる。
ここに、「日本を取り戻す」つまり「日本の再興」という
我が国家の存亡をかけた課題があるのだ。
斯くして、我らには、
今上陛下の御譲位を、「国家の再興」に結びつける責務がある。
それは、まず第一に、「日本国憲法」第一条の
「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民の総意に基づく」というこの規定、
これは、そもそも真実なのかウソなのか、と問うことだ。
この第一条には、ウソが書かれている。
これが、答えであろう。
天皇の地位は、
天照大神の「天壌無窮の神勅」に基づいているのである。
日本人とは、神話に淵源するこの真実を確信をもって公言する者のことだ。
そもそも、
我が国が大東亜戦争の降伏文書に調印した昭和二十年九月二日から
日本国憲法が起案され施行される同二十二年五月三日までの
一年八か月の間に、
天皇を誰にするかどうかの「国民投票」でもしたのか?!
「日本国憲法」第一条はウソだ。
D・マッカーサーというGHQ(占領軍総司令部、以下同じ)のトップ自身が
昭和二十年九月二日、戦艦ミズーリ号艦上に
「大日本帝国天皇陛下及び日本政府の命によりかつその名において」来訪した
外務大臣重光葵を受け入れて大日本帝国の降伏文書調印式に臨み、
さらに、同月二十七日に、
天皇陛下の訪問を受けて謁を賜り、
退出される陛下を見送るとき、
彼は天皇陛下を
「ユアー・マジェスティー」
と呼んでいたではないか。
要するに、
昭和二十二年五月三日に「日本国憲法」が施行されて、
天皇が国民の総意で誕生したのではないのだ。
・・・
本稿を読まれる前に、
是非、この二月二十一日付け「時事通信」を再読していただきたい。
この通信では、
この度の今上陛下の御譲位と新帝の践祚という
「日本国憲法」が想定していない事態を
「日本国憲法」に盲従する安部内閣が如何に扱うかを述べたうえで、
「日本国憲法」が我が国の「憲法」ではなく
「GHQの日本統治基本法」であることを明らかにしたと思っている。
さて、現在の我が国には、
「日本国憲法」に関する護憲論と改正論があるわけだが、
両論共に、「日本国憲法」が、
日本の「憲法」として有効であることを前提としている点で一致しているようだ。
しかし、この度の、
今上陛下の御譲位によって、
「日本国憲法」の「GHQの日本統治基本法」という本質が
より一層鮮明になっているのに、
「日本国憲法」が、
我が国の「憲法」として有効なのか無効なのかの「戦後最大の課題」に目を閉ざして、
一途に護憲論や改正論だけを論ずるのは、
真実への背信であり、法律家としても不誠実で怠慢であろう。
三月七日、
大阪で産経新聞の「正論大賞」受賞記念大阪講演会があり、
受賞者の西 修駒澤大学名誉教授と、百地 章国士舘大学特任教授両氏の
「憲法改正論」を拝聴してきた。共に立派な改正論である。
しかし、
日本の存立を確保するという実践者の立場からは、
「そもそも、「日本国憲法」は、日本の憲法として有効なのですか?」
と質問したくてうずうずした。
この有効か無効かの決断に、
我が国の興廃がかかっていると確信しているからである。
私が、
一身の当落がかかる体験のなかで、肌で感じてきたものは、
①我が国を占領統治したGHQ(連合軍総司令部、以下同じ)の実施した検閲が如何に巧妙に現在も我が国の言論を統制しているか、
そのGHQの言論統制のなかで、
②GHQの日本国民に対して行ったWGIP(日本の戦争が悪であったというプロパガンダ)が未だに分厚く日本国民を洗脳し続けている、
ということである。
この中で、私は、
GHQの言論統制を突破して真実を訴えることを我が任務としてきた。
非難囂々だった。
そして私や田母神俊雄閣下は、共に危険人物とされながら、総選挙を戦ったのだ。
それ故、
次に私が言う結論に耳を傾けて欲しい。
憲法改正は、間に合わない!
よって、
憲法無効を宣言して、
「日本国憲法」ではなく、
国際の法規及び慣例に従って
我が国家を防衛し国民を守る!
即ち、「日本国憲法」を有効とした前提で、
チンタラ議論を重ねて国民投票にかけて「改正」しようとしても、
間に合わず、
我が国家の危機を克服できないということだ。
GHQの検閲とWGIPに洗脳された状態で国民投票など無理だ。
亡国の結論しか出ない。
国が滅びて日本がなくなっても、
「日本国憲法」が残ればいいのだ、と確信している者は論外であるが、
「日本国憲法」が「現実」より「現実的」だと洗脳されている国民はわんさといる。
従って、このような状況下で、
「日本国憲法」の「改正」さえすれば、
「日本を取り戻せる」、「国家の安泰を確保し得る」と思っている政治家(実践者)は無責任だ(学者はともかく)。
「日本国憲法」を前提にして「改正」すれば、
さらに悪くなるのが落ちだ。
無効なものを「改正」すれば必ずそうなる。
現内閣は、
我が国の歴史と伝統による「譲位と践祚」
そして三種の神器の継承である「剣璽渡御の儀」と
「新帝による元号の裁可」という神事ともいうべき不可分一体の儀式を、
「譲位」ではなく「退位」とした上で、
その不可分一体性を無視して神事性を消去してバラバラに分解している。
その理由は、「日本国憲法」を、
我が国の皇位の継承という神聖な儀式よりも上位に置き優越させているからである。
もっと、露骨に言えば、
現内閣は「日本国憲法」を盲信して、その枠内でしか動けないのだ。
この現内閣の首班である安倍総理、
靖国神社に参拝できない安倍総理が唱える「改正」で、
「日本を取り戻し」危機を克服することができると思われますか?
ここで確認しておきたいことは、
私は、以上のことを、
「日本国憲法」の次元では克服できない危機が襲来することを前提にして書いているということだ。
つまり、私は、憲法九条、そして、安部さん主導で改正された憲法九条、では克服できない危機が我が国を襲うことを前提にしている。
即ち、これから来る危機は、「改正」の次元ではなく、
「日本国憲法」を捨て去らなければ克服できないと言っているのだ。
何故なら、
先の三月二十二日付け時事通信で書いたように、
我が国は「活火山の噴火口の上」に乗っているからだ。
私は、いたずらに危機を煽っているのではない。
一千年に一度の津波を予見すべきであるとして東京電力の責任を認定した判事がいるし、一万年に一度の地震を前提にして原発の運転禁止を命じた判事もいる。
これらの判事の判断を大真面目に受け入れるならば、
私の指摘する危機は、
明日に起こっても不思議ではない直近の具体的危機であると判断されるべきだ。
仁徳天皇陵の西に、
大阪府立の農学校跡地の公園がある。
その公園の桜の木の下に三坪ほどの地面を囲って人が入れなくしてある土地がある。
その理由は、土壌からヒ素と鉛が検出され、
その濃度が「土壌溶出量基準値」を超えて危険であるからだという。
その危険か安全かを分ける基準値は、0.01㎎/ℓで、
それは、
「七十年間、毎日、2リットルを飲用しても健康に対する有害な影響がない濃度」だという。そして、その場所はヒ素が0.011㎎/ℓで基準値より0.001㎎/ℓ多く、
鉛が0.027㎎/ℓで基準値より0.017㎎/ℓ多かったので立ち入り禁止だという。
散歩の途中に、
我が国の行政が使っている危険か安全かを分ける
「70年間毎日2ℓ飲み続けて健康に害がない基準値」の説明を見て、
行政が、ここまで国民の健康に気をつかうならば、
国民の命がかかった国防力強化にさらに何十倍も気をつかってしかるべきだと思った。
既に、何度も、
「日本国憲法」の「無効宣言」は、
古来のアレキサンダー大王の[ゴルディアスの結び目]を切断する伝説を引用して説明した。
To Cut The Gordian Knot!
「日本国憲法無効宣言」は一挙に可能だと!
これは、
手に負えない難問を誰もが思いつかなかった大胆な方法で一挙に解決してしまうこと、
難題を一刀両断に解くこと、
である。
アレキサンダーは、
何世紀も、誰も解くことができなかったゴルディアンの結び目を剣で一挙に切断して解き、ゴルディアンの予言通り、アジアの大王になった。
日本を永遠に武装解除されたままの状態に閉じ込める為に憲法九条を書いた
と起案者チャールズ・ケーディス本人が言っているのだ。
このように、
明確にGHQの日本統治目的達成の為に書かれた「日本国憲法」の鉄格子からの脱出は、
内閣総理大臣および日本人有志が、
「日本国憲法」の無効を宣言することによって一挙に成る。
占領下に外国人が書いた憲法の無効宣言、
これは、当然のこと、簡単なこと、ではないか。
そして、これこそ、救国なのだ!
西村眞悟の時事通信より。