諸兄姉!
現在の日本の空白を衝く、
次の本を是非読まれたし。
現在の日本は、大東亜戦争終結から七十七年経つも、
また、たとえ百年経っても、
目隠しをされた人間が、
その前に見えていた世界を忘れるように、
我が国にとって重要な地域を忘れている。
この日本が現在忘れている重要な地域を
眼前に見せてくれるのが、
既に写真で紹介した次の本だ。
「中国から独立せよ
帝国日本と蒙(モンゴル)・蔵(チベット)・回(ウイグル)」
著者・・・・小滝 透
発行者・・・川端 幸夫
発行・・・・集広舎
〒812―0035
福岡市博多区中呉服町5番23号
tel 092-271-3767
fax 092-272-2964
著者の小滝 透さんは、
京都の紫野高校を卒業し、大学を中退して、
サウジアラビア王立リヤード大学文学部
アラビック・インスティテュート卒業の経歴をもつ方で
本書を、
京都の旧制中学を卒業した伏見の造り酒屋の息子である
築山 力氏が、十六・七歳で
興亜義塾に入り、現地実習のために、一人、一年間、
モンゴル平原のラマ教寺院に入るところから始めている。
興亜義塾は蒙古善隣協会の教育機関で、
行程は三年間で、
モンゴル班と回教班(イスラーム班)に分かれ、
一年目は、モンゴル語、漢語、ロシア語、トルコ語と地理、歴史を学び、
二年目は、実習として単身でモンゴル人ラマ(僧侶)と一年間を過ごすことになっていた。
その目的は、日本の国家戦略に沿うものだ。
則ち、
敵対している中国国民党と共産党を
中国の外縁部(辺境)に居住する少数民族
モンゴル、チベット、ウイグルの各部族と連帯して
包囲殲滅することだ。
築山さんの興亜義塾卒業は、
昭和十七年十月五日で、既に大東亜戦争は始まっている。
そして、築山さんら卒業生は、
塾生の使命を果たそうとしていた。
それは、
「日本に帰ることなく、少数民族の友となり、そこで骨を埋めよ」
ということだ。
その上で、本書は、
彼らが赴いた
モンゴル、チベット、ウイグル(東トルキスタン)の
歴史と現状と日本との関わり、
そして中国国民党と共産党との闘争史を述べる。
現在進行中の中共による
ウイグル人に対するジェノサイドや
チベットへの弾圧を知る日本人は多いが、
清朝の版図に入った彼らが、
これまで、
如何にして数百年間、民族の歴史と誇りを守らんとして
支那帝国と戦ってきたかを知る人は少ない。
しかし、
戦前は、西方と北方に対する諜報活動が盛んで正確であり
日本政府と特に軍は、この地域の実情と重要性は把握していた。
それ故、国家戦略としての
「北進論」が現実味をもっていたのだ。
独ソ戦が開始された時(一九四一年、昭和十六年六月)
のことを回顧して、
イギリスの首相W・チャーチルは、
あの時が、日本が勝利する唯一の機会だった。
と語った。
則ち、日本が「北進」して、
西のドイツと東の日本が、
ソ連をユーラシアで挟撃していたら、
日本が勝っていた!
とチャーチルが語ったのだ。
その時は、当然、中共も誕生せず、
外モンゴルと内モンゴルはモンゴル人の統一国家を建国し、
チベットは本来のチベットの版図、
つまり、中共に奪われた
今の甘粛・青海・四川・雲南の
東チベットを含む本来のチベットとして独立し、
今、悲惨な惨害を被っている
ウイグル民族も独立しているであろう。
以上、本書の紹介と私西村の感想を述べたが
筆者の小滝 透さんと冒頭の登場人物築山 力さんが、
ともに京都の出身であり、
本書に、興安嶺を踏破して調査した
今西錦司さんも登場したので、
京都で学生生活を送った西村は、
懐かしい思いがする。
京大山岳部の面々がよく行っていた
鴨川沿い川端二条の「赤垣屋」は、
当時(昭和四十三年)、
五百円で
酒は飲み放題、
関東炊き(おでん)は喰い放題の店だった。
そこは昔、
若い今西錦司や西堀栄三郎が来ていた店だったので
山岳部員などは、
おい、今西錦司を呼べ、誰が電話しろ、
などと喚いていたことを思い出した。
最後に、本書を読んで、
旧制高校生が謳った次の歌を思い出したので紹介しておく。
「天山の歌」
広茫千里の蒙境を 見知らぬ国と言う勿れ 雲より出でて雲にいる
萬里の長城越え行けば 荒ぶる嵐砂を巻き 天つ日影も見えゆかず
天山寒き曠原を 無人の原と言う勿れ 遙かに遠くパオひとつ
煙の淡く昇る見ゆ・・・
諸兄姉も、どうか本書を読まれたい!
西村 真悟FBより