平成30年11月15日(木)
十一月十二日、
遙か朝鮮半島南端の山々を望める対馬の上見坂の高台から、
眼下の小雨にけぶる浅茅湾と芋崎の方向を見つめ、
遙か北方の樺太を思った。
そして、同行の仲間に言った。
十九世紀半ばに一貫したユーラシア東進政策の結果、
太平洋に達したロシアという熊が、
太平洋に面して、東に両手を広げたとき、
右の手で握ろうとしたのが、この対馬であり、
左の手で握ろうとしたのが、樺太だ。
事実、ロシアは、ほぼ同時に、対馬と樺太に上陸してきた。
対馬は太古から我が国の島であり、
樺太も十七世紀以来日本領としてきた島である。
対馬では、
かろうじてロシア兵を退去させて日本領として確保できたが、
北方の樺太は、
遂に上陸してきて二十年しか経っていないロシアに、
明け渡すこととになった(一八七五年、明治八年、千島樺太交換条約)。
日本の外交的敗北だった。
一八六一年、文久二年、
ロシア軍艦ポサドニック号が、
対馬の浅茅湾に侵入し芋崎に接岸して兵員が上陸し兵舎を建て始め
さらに付近の村落から物品を略奪して居座った。
その時、ロシア兵と交戦して死亡した対馬藩士二人は、靖国神社に祀られている。
ロシアの樺太侵攻も、
プチャーチンが長崎に来航した一八五三年、嘉永六年以降のことである。
対馬と同じように武器を持って上陸してきて居座り、
日本漁民の家を焼き払い日本人を追い出した。
それから二十年でロシアは、全樺太を手に入れた。
その三十年後の一九〇五年、明治三十八年、
日露戦争のポーツマス講和条約によって
我が国は樺太の南半分を取り戻し日本領とした。
さらにその四十年後の一九四五年、昭和二十年八月九日、
ソビエト(ロシア)は日ソ中立条約を破って対日戦争を開始し、
我が国がポツダム宣言を受諾して連合軍が対日戦争を停止した八月十五日の後の
八月十七日から
突如千島侵攻を開始して八月三十一日にウルップ島までを占領し、
また八月二十八日に択捉島に侵攻して
九月一日に国後島と色丹島までを占領した。
さらに、我が国と連合国が降伏文書に調印した九月二日以降も
ソビエトは我が領土への侵攻を停止せず、
九月五日に歯舞島を占領した。
南樺太に対しても、
ソビエトは、八月十五日以降も侵攻を止めず、
南の豊原と大泊を占領したのは八月二十五日である。
その間、千島と南樺太の日本人住民に対して無差別の暴行殺戮を行った。
以上、対馬で遙か北の樺太と千島を思い、回想したことである。
対馬には、偶然にも、
長勢了治氏の近著「知られざるシベリア抑留の悲劇」芙蓉書房出版
を持参いていたのだ。
この書は、千島最北端の占守島で終戦の二日後の昭和二十年八月十七日深夜、
突如侵攻してきたソビエト軍と敢然と戦い、
ソビエト軍に死傷約三千名の犠牲を強いて勝利し、
この勇戦奮闘によって、
スターリンの迅速な北海道侵攻を不可能とした日本軍将兵の勇士たちが
ソビエトによって報復的にシベリアの最も過酷な地獄の収容所に抑留され、
そこで斃れていった記録である。
このようにして我が国は、
樺太と千島と北方領土をロシア・ソビエトに奪われたのだ。
そして、韓国に竹島を奪われ、
中共に呆然としたなかで尖閣を狙われている。
この無念極まりない歴史と現実を念頭において、
外務省のソ連課長として一九七三年、昭和四十八年の
田中・ブレジネフ会談を取り仕切った新井弘一氏が
若い頃に自らの国際認識に一つの啓示となったと言われる
十九世紀のドイツのイエリングの「権利のための闘争」のなかの次の言葉を
我々も思い出さねばならない。
「隣国によって一平方マイルの領土を奪われながら、
膺懲の挙に出ない国は、
その他の領土を奪われてゆき、
ついに領土を全く失って国家として存立することをやめてしまうであろう。
そんな国民は、このような運命にしか値しないのだ」
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
このような思いの日々を過ごしていて迎えた本日十五日、
朝刊は一面で、
安倍総理とロシアのプーチン大統領は、
シンガポールで会談し、
三年以内に日露平和条約を締結することで合意した、
と報じている。
そこで、現時点において、
次の懸念を表明しておく。
(1)そもそも日露平和条約とは何か?
本年九月、
ロシアのプーチン大統領は、突然、
「本年中に日露平和条約を締結しよう。
そして、
信頼の水準を上げてから領土問題について議論しよう。」
と言った。
この度のシンガポールの安倍・プーチン合意は、
九月のプーチン発言の
「本年中」を、
安倍総理の任期である「三年以内」
に変えただけではないのか?
仮に、そうなら、
このシンガポール合意は、
プーチンの、
「安倍総理の足下を見た詐術」だ。
つまり、プーチンの欺しだ。
「安倍総理の足下」とは、
安倍さんが
「自分の任期中に北方領土問題を解決する」
と日本国民に表明していることだ。
安倍総理、
ロシアを相手にした領土返還問題で、
自分の任期内にと固執すれば、ことを誤る。
では、プーチンの詐術・欺しとはなにか。
それは、法学部の学生ならわかることだ。
そもそも二国間の平和条約とは、
戦争をした二国間で
領土問題を含む戦後処理が最終的に終わったから結ばれるものではないのか。
それをプーチンは、逆転させて、
平和条約を締結してから領土問題を解決しようと言っている。
これは「平和条約」ではない、
三年の任期内に固執する安倍総理を引っ掛ける
プーチンの「レッテルの詐欺」だ。
再度、原則を言う。
日露平和条約とは、
断じて、
歯舞、色丹、国後、択捉の北方領土の返還によって結ばれなければならない。
(2)国後・択捉をどうするのか?
シンガポールの安倍・プーチン合意において、
六十二年前の昭和三十一年日ソ共同宣言が亡霊のように強調されているが、
この意図は、
日ソ共同宣言が、歯舞・色丹には触れても国後・択捉に触れていないのと同様に、
国後・択捉には触れない、
つまり、
国後・択捉の返還がない日露平和条約締結に向かうということではないのか。
国後の面積は、沖縄本島の1・3倍、
択捉の面積は、沖縄本島の3倍であることを忘れてはならない。
(3)日本とロシアの北極圏防衛協力とはなにか?
ロシアは、北極海とオホーツク海をロシアの聖域として
その海域に原子力潜水艦を遊弋させて核抑止力の基盤としている。
よって、ロシアは、
このオホーツク海という「ロシアの聖域」を確保するために
我が国から強奪した千島を確保し、
さらに、我が国の国後・択捉にミサイル基地を保有しているのだ。
従って、
このロシアの聖域である北極圏の防衛に我が国が協力するということは、
我が国が、アメリカと我が国に向けられたロシアの核を守ることであり、
我が国の国後と択捉にあるロシアのミサイル基地を守ることであり、
それはつまり、
ロシアの国後・択捉の領有権を認めることではないのか。
(4)プーチンは信頼できるのか?
安倍総理は、日露会談後の記者会見においても、
「(プーチン大統領との)信頼の積み重ねの上に領土問題を解決して平和条約を締結する」と発言している。
では、プーチンは信頼できるのか?
平和の祭典であるソチ冬期オリンピックの最中に
密かにウクライナのクリミア武力侵攻の準備を整え、
突如クリミアに侵攻して、
武力によって国家間の領域を変更しないという第二次世界大戦後の国際秩序を、
何食わぬ顔で平然と破ったのがプーチンである。
信頼する相手ではない。
昔から言われているではないか。
ロシア人は、約束を破るために約束をする、
シナ人は、そもそも約束は守らねばならないとは思っていない、と。
ソビエト・ロシアが日ソ中立条約を破って我が国民に与えた惨害を忘れてはならない。
さらに、
プーチンがKGBでのし上がった共産党エリート、
つまり、スターリンの子分であったことを忘れてはならない。
そこで、
戦後十一年間もソビエトに抑留されてロシアを骨身にしみて知っている
北海道大学教授の内村剛介氏の次の言葉を記しておく(同氏著「ロシア無頼」)。
「無理難題に処してたじろがず、手段を選ばない者が共産主義的エリートコースに乗る」 「当然、親友を裏切ることを屁とも思わない」
これ、プーチンのことである。
西村眞悟の時事通信より。
十一月十二日、
遙か朝鮮半島南端の山々を望める対馬の上見坂の高台から、
眼下の小雨にけぶる浅茅湾と芋崎の方向を見つめ、
遙か北方の樺太を思った。
そして、同行の仲間に言った。
十九世紀半ばに一貫したユーラシア東進政策の結果、
太平洋に達したロシアという熊が、
太平洋に面して、東に両手を広げたとき、
右の手で握ろうとしたのが、この対馬であり、
左の手で握ろうとしたのが、樺太だ。
事実、ロシアは、ほぼ同時に、対馬と樺太に上陸してきた。
対馬は太古から我が国の島であり、
樺太も十七世紀以来日本領としてきた島である。
対馬では、
かろうじてロシア兵を退去させて日本領として確保できたが、
北方の樺太は、
遂に上陸してきて二十年しか経っていないロシアに、
明け渡すこととになった(一八七五年、明治八年、千島樺太交換条約)。
日本の外交的敗北だった。
一八六一年、文久二年、
ロシア軍艦ポサドニック号が、
対馬の浅茅湾に侵入し芋崎に接岸して兵員が上陸し兵舎を建て始め
さらに付近の村落から物品を略奪して居座った。
その時、ロシア兵と交戦して死亡した対馬藩士二人は、靖国神社に祀られている。
ロシアの樺太侵攻も、
プチャーチンが長崎に来航した一八五三年、嘉永六年以降のことである。
対馬と同じように武器を持って上陸してきて居座り、
日本漁民の家を焼き払い日本人を追い出した。
それから二十年でロシアは、全樺太を手に入れた。
その三十年後の一九〇五年、明治三十八年、
日露戦争のポーツマス講和条約によって
我が国は樺太の南半分を取り戻し日本領とした。
さらにその四十年後の一九四五年、昭和二十年八月九日、
ソビエト(ロシア)は日ソ中立条約を破って対日戦争を開始し、
我が国がポツダム宣言を受諾して連合軍が対日戦争を停止した八月十五日の後の
八月十七日から
突如千島侵攻を開始して八月三十一日にウルップ島までを占領し、
また八月二十八日に択捉島に侵攻して
九月一日に国後島と色丹島までを占領した。
さらに、我が国と連合国が降伏文書に調印した九月二日以降も
ソビエトは我が領土への侵攻を停止せず、
九月五日に歯舞島を占領した。
南樺太に対しても、
ソビエトは、八月十五日以降も侵攻を止めず、
南の豊原と大泊を占領したのは八月二十五日である。
その間、千島と南樺太の日本人住民に対して無差別の暴行殺戮を行った。
以上、対馬で遙か北の樺太と千島を思い、回想したことである。
対馬には、偶然にも、
長勢了治氏の近著「知られざるシベリア抑留の悲劇」芙蓉書房出版
を持参いていたのだ。
この書は、千島最北端の占守島で終戦の二日後の昭和二十年八月十七日深夜、
突如侵攻してきたソビエト軍と敢然と戦い、
ソビエト軍に死傷約三千名の犠牲を強いて勝利し、
この勇戦奮闘によって、
スターリンの迅速な北海道侵攻を不可能とした日本軍将兵の勇士たちが
ソビエトによって報復的にシベリアの最も過酷な地獄の収容所に抑留され、
そこで斃れていった記録である。
このようにして我が国は、
樺太と千島と北方領土をロシア・ソビエトに奪われたのだ。
そして、韓国に竹島を奪われ、
中共に呆然としたなかで尖閣を狙われている。
この無念極まりない歴史と現実を念頭において、
外務省のソ連課長として一九七三年、昭和四十八年の
田中・ブレジネフ会談を取り仕切った新井弘一氏が
若い頃に自らの国際認識に一つの啓示となったと言われる
十九世紀のドイツのイエリングの「権利のための闘争」のなかの次の言葉を
我々も思い出さねばならない。
「隣国によって一平方マイルの領土を奪われながら、
膺懲の挙に出ない国は、
その他の領土を奪われてゆき、
ついに領土を全く失って国家として存立することをやめてしまうであろう。
そんな国民は、このような運命にしか値しないのだ」
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
このような思いの日々を過ごしていて迎えた本日十五日、
朝刊は一面で、
安倍総理とロシアのプーチン大統領は、
シンガポールで会談し、
三年以内に日露平和条約を締結することで合意した、
と報じている。
そこで、現時点において、
次の懸念を表明しておく。
(1)そもそも日露平和条約とは何か?
本年九月、
ロシアのプーチン大統領は、突然、
「本年中に日露平和条約を締結しよう。
そして、
信頼の水準を上げてから領土問題について議論しよう。」
と言った。
この度のシンガポールの安倍・プーチン合意は、
九月のプーチン発言の
「本年中」を、
安倍総理の任期である「三年以内」
に変えただけではないのか?
仮に、そうなら、
このシンガポール合意は、
プーチンの、
「安倍総理の足下を見た詐術」だ。
つまり、プーチンの欺しだ。
「安倍総理の足下」とは、
安倍さんが
「自分の任期中に北方領土問題を解決する」
と日本国民に表明していることだ。
安倍総理、
ロシアを相手にした領土返還問題で、
自分の任期内にと固執すれば、ことを誤る。
では、プーチンの詐術・欺しとはなにか。
それは、法学部の学生ならわかることだ。
そもそも二国間の平和条約とは、
戦争をした二国間で
領土問題を含む戦後処理が最終的に終わったから結ばれるものではないのか。
それをプーチンは、逆転させて、
平和条約を締結してから領土問題を解決しようと言っている。
これは「平和条約」ではない、
三年の任期内に固執する安倍総理を引っ掛ける
プーチンの「レッテルの詐欺」だ。
再度、原則を言う。
日露平和条約とは、
断じて、
歯舞、色丹、国後、択捉の北方領土の返還によって結ばれなければならない。
(2)国後・択捉をどうするのか?
シンガポールの安倍・プーチン合意において、
六十二年前の昭和三十一年日ソ共同宣言が亡霊のように強調されているが、
この意図は、
日ソ共同宣言が、歯舞・色丹には触れても国後・択捉に触れていないのと同様に、
国後・択捉には触れない、
つまり、
国後・択捉の返還がない日露平和条約締結に向かうということではないのか。
国後の面積は、沖縄本島の1・3倍、
択捉の面積は、沖縄本島の3倍であることを忘れてはならない。
(3)日本とロシアの北極圏防衛協力とはなにか?
ロシアは、北極海とオホーツク海をロシアの聖域として
その海域に原子力潜水艦を遊弋させて核抑止力の基盤としている。
よって、ロシアは、
このオホーツク海という「ロシアの聖域」を確保するために
我が国から強奪した千島を確保し、
さらに、我が国の国後・択捉にミサイル基地を保有しているのだ。
従って、
このロシアの聖域である北極圏の防衛に我が国が協力するということは、
我が国が、アメリカと我が国に向けられたロシアの核を守ることであり、
我が国の国後と択捉にあるロシアのミサイル基地を守ることであり、
それはつまり、
ロシアの国後・択捉の領有権を認めることではないのか。
(4)プーチンは信頼できるのか?
安倍総理は、日露会談後の記者会見においても、
「(プーチン大統領との)信頼の積み重ねの上に領土問題を解決して平和条約を締結する」と発言している。
では、プーチンは信頼できるのか?
平和の祭典であるソチ冬期オリンピックの最中に
密かにウクライナのクリミア武力侵攻の準備を整え、
突如クリミアに侵攻して、
武力によって国家間の領域を変更しないという第二次世界大戦後の国際秩序を、
何食わぬ顔で平然と破ったのがプーチンである。
信頼する相手ではない。
昔から言われているではないか。
ロシア人は、約束を破るために約束をする、
シナ人は、そもそも約束は守らねばならないとは思っていない、と。
ソビエト・ロシアが日ソ中立条約を破って我が国民に与えた惨害を忘れてはならない。
さらに、
プーチンがKGBでのし上がった共産党エリート、
つまり、スターリンの子分であったことを忘れてはならない。
そこで、
戦後十一年間もソビエトに抑留されてロシアを骨身にしみて知っている
北海道大学教授の内村剛介氏の次の言葉を記しておく(同氏著「ロシア無頼」)。
「無理難題に処してたじろがず、手段を選ばない者が共産主義的エリートコースに乗る」 「当然、親友を裏切ることを屁とも思わない」
これ、プーチンのことである。
西村眞悟の時事通信より。