二十世紀のいわゆる第二次世界大戦は、
欧米の自由主義国家群(善)と日独伊のファシズム国家群(悪)
との戦いであったというのが、
GHQに調教された我が国の教科書で教える「世界の歴史」だ。
そして、自由主義陣営が勝利して世界平和が訪れ
UNITED NATION(連合国、日本名、国際連合)が設立された、
という。
さらに、
アメリカのF・ルーズベルト大統領と
イギリスのW・チャーチル首相が、
一九四一年八月十四日にユーファンドランド沖に来た
イギリス戦艦プリンス・オブ・ウエールズの艦上で発した
「大西洋憲章」は、
諸民族の自由と民族自決を謳った宣言で、
国際連合を始めとする戦後の世界を創る基本構想だと言われる。
しかし、これはウソだ。
現実は、このようなおめでたい話しではない。
彼らは、大西洋憲章で、
ナチスドイツに席巻されたヨーロッパの諸民族の自由と民族自決を謳っただけで、
イギリスはアジア・アフリカの植民地を解放して
ヨーロッパ諸民族と同様の民族自決と人々の自由を保障する意図など毛頭無く、
アメリカはハワイやグアムやフィリピンから退くことなど微塵も考えていなかった。
二十世紀に「世界の民族自決」
則ち
「欧米の人種差別撤廃とアジア・アフリカの植民地からの解放」
を掲げて戦ったのは、唯一日本であることを
日本の子供たちは、
まず小学校の歴史教科書で教わる権利がある。
ドイツ軍に、
背後は海のダンケルクまで追い詰められて全滅の危機に瀕し、
民間のヨットやボートまで動員して
四十万の将兵が海を渡ってイギリスに逃げ帰ったのは
一九四〇年六月で、
それからのドイツ軍のロンドン空襲は、
十一ヶ月間も続き二万七千人の民間人が死亡し、
英独の空中戦バトル・オブ・ブリテンで、
イギリス軍は、パイロットを中心に一千五百人が戦死し、
航空機一千七百機を失っていた。
このイギリスが
瀕死の状況に追い込まれた時の首相チャーチルが、
戦艦プリンス・オブ・ウエールズに乗って、
わざわざ大西洋を渡って、
のこのことニューファンドランド沖までやって来たのは、
大西洋憲章という作文で似而非の自由と人権を謳う為ではない。
チャーチルは、アメリカの参戦がなければ
イギリスの敗北は必至であるとして、
アメリカの「裏口からの参戦(Back door to the War)」を、
強く促すために大西洋を渡ったのだ。
その裏口(Back door)とはアジアの日本である。
日米が太平洋上で交戦状態に入れば、
日独伊三国同盟によって、自動的にアメリカは欧州戦線でドイツと戦争状態に入る。
しかし、ニューファンドランド沖でチャーチルと会談する九ヶ月前の三期目の大統領選挙で、
「お母さん、貴女の息子さんを、決して戦場には行かせません」
と叫んで当選したF・ルーズベルト大統領にとって、
日本との交戦状態に入るには、
日本に最初の攻撃をさせることが必要であった。
②に続く
西村 真悟FBより