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二十世紀の勝者 ②

2022年02月07日 | 大東亜戦争

その為に、ルーズベルトは、

チャーチルが船でやってくる十日前の八月一日に、

対日石油全面禁輸(事実上の宣戦布告)を断交して

日本からの攻撃を促す一手を打った上で、

チャーチルを待ち構えたのだ。

そして、事態は彼の思惑通り、

同年十二月八日未明(日本時間)、

日本の空母機動部隊は、真珠湾を奇襲攻撃した。

このとき、ルーズベルトは、

内心、してやったりと微笑みながら、

アメリカ国民には、それをおくびにも出さずに、「

日本の奇襲攻撃、卑劣なり!」と激高してみせて、

アメリカ国民の対日憎悪と戦意を煽った。

そして、チャーチルは

「戦争が始まってから、初めてぐっすり眠れた」

と日記に書いた。


昭和二十一年(一九四六年)四月二十九日の昭和天皇の誕生日にA級戦犯を起訴してから、

二十三年(一九四八年)十二月二十三日の皇太子の誕生日に

東条英機以下七人の被告の絞首刑執行までの間、

極東国際軍事裁判は

日本の被告達の「戦争の謀議」を審査し裁いたが、

大東亜戦争の眞の「戦争の謀議」は、

イギリス戦艦プリンス・オブ・ウエールズの艦上で

アメリカのF・ルーズベルトと

イギリスのチャーチルとの間で為されたのだ。

仮に、「東京裁判」ではなく、

「ワシントン裁判」があれば、

ルーズベルトとチャーチルは、間違いなく

七月四日のアメリカ独立記念日に絞首刑になっていたであろう。


このように、

アメリカを戦争に誘導したイギリスの首相W・チャーチルは、

また次のように言っている。

「もし、ヒトラーが地獄に攻め入ったなら、私は地獄の悪魔と手を結ぶ」と。

これは、チャーチルが、ソビエトのスターリンと手を結んで

ドイツと戦ったことの言い訳である。

第二次世界大戦の連合軍側には、自由主義陣営だけでなく

ソビエトという邪悪な共産党独裁国家と中国共産党も入っていた。

そして、一九四五年二月の、英、米そしてソビエトの

チャーチル、F・ルーズベルト、スターリンの三首脳で取り決めた

ヤルタ協定と米ソの対日ヤルタ密約で、

戦後、ソビエトは、

後にチャーチルが「鉄のカーテン」と呼んだ

第二次世界大戦でナチスドイツを西に後退させた線まで勢力圏を拡げたのだ。

また、ソビエトは、

東ではヤルタ密約により、日ソ中立条約を破り、

日本の南樺太と千島全域を占領して勢力圏を拡げた。

そして、中共は、主にアメリカからの物資の恩恵を受けながら、

レーニンの敗戦革命戦略と毛沢東の政権は銃口から生まれるという戦略通り、終戦の三年後に、

チベット、ウイグル、内モンゴルそして満州を版図にいれた

中華人民共和国の樹立を勝ち取る。

則ち、第二次世界大戦から中共が誕生した。

この時のアメリカ軍のマーシャル参謀総長の懐刀であった

ウェデマイヤー将軍の回顧録「WEDEMEYER REPORTS!」は、

妹尾作太男氏(海軍兵学校七四期)が翻訳し講談社学術文庫から

表題を「第二次大戦に勝者なし」として出版された。

しかし、以上の通り、

第二次世界大戦の勝者は、

共産党独裁国家ソビエトと中共である。


③に続く

西村 真悟FBより





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