今日は甥っ子の葬儀に行ってきました。
幸くんは17歳の時にバイクに乗って車と接触し、頭を打って生死の境をさまよいました。命は取り留めたものの最初の頃は植物人間でしたが、家庭で世話していました。
それがある時、肺炎か何かで病院に入院した時、病院の看護婦さんが幸くんが「話すことが分かる」ことに気がついたのです。
家族は驚き大喜びでしたが、体はベッドから離れることは出来ません。
食事は鼻から管で栄養をとっています。呼吸も喉から管で楽に息が出来るように、喉に穴を開けています。
その喉のパイプには、長い間に肉がついてチューブが圧迫されていることが分かり、苦しくないようにとの親心で手術を決めたそうです。
その手術には特殊な機械が必要で、県下には浜松と静岡にしかなかったそうです。
手術は浜松医大に決め8日に入院し、翌日の9日の夜遅く危篤だと連絡が入った。
駆けつけると既に冷たくなっていた。
誰にも看取られなかった死だったことが、親を打ちのめしました。
幸くんは8日に浜松医大に入院したのですが、その8日は弟がセイレイ病院での1週間と言ったか10日間と言ったか・・の放射能治療が終わる日でした。
弟はガンの手術をしています。その治療での値が「とても良かった」と主治医から言われたそうです。弟が退院した日に幸くんは入院しました。
危篤の電話に駆けつけると、既に冷たかったそうですが顔は笑っていたそうです。
いろんな検査の値はすべて正常だった。病院の医師たちは、危篤の電話に駆けつける家族のために、1時間半心臓マッサージを続けていました。
心臓マッサージは30分で蘇生しないと、それ以上は意味ないそうですね。
弟は「幸治が自分の命をくれた」と感じたそうです。医療事故だの医療行為に署名させられただの言っていた妻のすみちゃんも弟の言葉に「わかった」そうです。
甥は17歳でバイク事故で遭い、その同じ長さの時間をベッドで過ごした。その17年間は長かったけど、すみちゃんには幸治が生きていることが支えだったと言います。
弟夫婦を見ていると、夫婦愛だの家族愛だのが溢れていて、我が身を振り返る。