4.
本多政重が、伏見から米沢へやって来た。
兼続は、本多政重を丁重に遇した。
相手は大家、宇喜多、福島、前田と、諸大名を渡り歩いてきた筋金入りの隠密武将である。うまくいけば、幕府と良好な関係を築く橋渡し役となるが、一歩間違えば上杉家の命取りにもなりかねない “劇薬” のようなものであった。
策謀家の父に似ず、本多政重は礼儀正しく、口数の少ない青年であった。ただし、目つきに隙がない。
兼続の娘お松との婚礼の席でも、政重は、
「下戸にござれば」
と、酌にやってくる上杉家家臣たちの酒をにべもなく断り、家中にとけ込むことを避けているように見えた。
・・これってね。固めの杯(字合っているか心配)って言うくらいだから、お目出度い席では断っては駄目なのね。それを断ったと言うことは、いつまでも居る気はないことを暗に示したこと・・なんだと思うよ。
「お松は幸せになれましょうか」とお舟がつぶやいた。
・・・
「お松の婚儀は、私事ではない。必ず上杉家のためになる。われらは、それを信じるしかない」
直江家の婿となった政重は、上杉景勝より1万石の録をたまわった。兼続の望みどおり、本多佐渡守正信は 上杉家に並々ならぬ好意を寄せ、
公私の諸用自由を得たり。(上杉年譜)という親密な関係を持つに至った。
兼続は、本多政重を婿にむかえて、徳川政権との絆づくりに心を砕いた。
しかし、その一方、米沢城下から四里離れた吾妻山中の白布高湯に鉄砲工場をもうけ、火器の大量生産をはじめた。
江州の鉄砲師惣兵衛、泉州の鉄砲師松右衛門、この両工、米沢に来たる・・・
関ヶ原合戦の終結により、諸大名の鉄砲の需要が減り、彼らの仕事も一時より減ってきている。二百石で召しかかえるという好条件を提示した兼続の誘いに、
「お招きとあらば」
惣兵衛、松右衛門の両名は、それぞれの弟子たちを引き連れて米沢へ下り、鉄砲づくりに取りかかった。
当時、上杉家は千挺の鉄砲を有していた。
「いまの倍、あと千挺は欲しい。仕事を急いでくれ」
「上杉さまは、徳川幕府にいくさを挑みなさるのかや」
注文を受けた惣兵衛らも、兼続が注文した鉄砲の数と種類に、さすがに驚きをあらわにした。
鉄砲製造は、むろん幕府には内密におこなわれた。
だが、婿の本多政重を通じ、情報が外に洩れることを、兼続は最初から計算のうちに入れてあった。
一方で徳川幕府に恭順の意をしめしながら、他方では、大規模な戦闘に備えた鉄砲の大量生産をおこなう。
すなわち、 武備恭順 の思想。
これこそまさに、兼続が考え出した生き残りの秘策にほかならない。
この後、結婚したお松が亡くなる。お松の死は幕府との太い絆である本多家との縁が切れることを意味するの。それで兼続は、弟大国実頼の娘お虎を養女に迎え政重どのの後添えにしたい・・と言う。
政重は、あくまでも上杉家を守りきろうという兼続の決意に感じるところがあって、お虎を妻にし米沢にとどまるわけです。
豊臣家の秀頼は成長し、家康が大阪攻めの決意をする。
・・と
政重が「お暇をいただきとう存じます」と米沢を去った。
加賀金沢の前田家では、幕府との関係を悪化させない秘策として、本多政重を執政として招き、これに藩政をゆだねることで、生き残りをはかろうとした。
ここが政重を見直したところだけど、本多政重は金沢に入ると、米沢城下に残してきた妻のお虎と、そのあいだに生まれた息子を呼び寄せた。
義父の直江兼続にたいし、プロの諜者であった政重は、生涯にわたって礼を尽くしつづけるのです。
政重、一体誰が演じるんでしょうね。
楽しみ~♪