やっと、本多正信が出てきそう。別に本多正信が好きという訳ではないんですよ。
ただこの本多正信の二男政重に、直江家の家督を譲ってでも上杉家を守る決断をする兼続、またその政重の生き方も・・ちょっと惚れちゃったかな。
関ヶ原の合戦後の戦後処理が始まった。
宇喜多秀家、長宗我部盛重など西軍にくみした大名80余家の所領没収。
豊臣家は上方の一大名に転落した。
「・・勝負は決した。徳川と和議をすすめる。これは、殿のご意思である」と兼続
問題は
(どう交渉すれば、上杉家存続の手形を引き出せるだ・・)
兼続は膝詰めで談判できる交渉相手を、徳川家の家臣団のなかに捜した。
そして本多佐渡守正信の不可解な行動を冷静に分析し・・やがて一つの結論を導き出した。
(本多は手柄をあげたがっているにちがいない)
兼続は、本多正信のもとへ使者を送った。
「和議のこと、徳川内府さま側近のご貴殿に、ぜひとも仲立ちの労をお願い申し上げたい。・・正しきまつりごとがおこなわれるのであれば、徳川さまに名簿を差し出し、臣従する所存」
ほどなく
正信から、兼続への返書が届いた。
上杉家が本心から恭順の意をしめすならば、自分の力をもって、貴家の名誉が守られるように取り計らおう、という。
(やはりな・・)
それから本多正信との駆け引きが始まる。
交渉は硬軟を自在に使い分けてこそ、はじめて成果が上がるものである。相手に嘗められる一方では、喧嘩には勝てない。・・ぎりぎりの生き残りを賭けた政治の戦いがはじまっていた。
本多正信から何度目かの使者が来た。
「上杉家に三十万石を安堵するとのご内意あり」
まずは、吉報と言っていい。
三十万石は、従来の百二十万石の大封からみれば四分の1だが、上杉家の体面を保ち、なおかつ家臣たちを納得させるぎりぎりの線といえる。
つづく