未来に対する打ち合わせをすることである
日本の多くの会議は、大きなテーブルの周りにぐるりと大勢が座ってただだる
ただ、黙るからリーダー角の人が誰かを指摘していじめる
日本の会議とは、ただのいじめの場である
会議という言葉を使うが、それはいじめをする会合である
これからどうするか
それを決めるのが、会議の趣旨である
過去のことをうだうだ言ってても、何も先に進まない
これからどうするか
それが本来、やりたい会議の趣旨ではないか
日本人は特に形式を重んじる
形を重んじる
見た目を重んじる
そういうことを気にすること自体は、それだけで悪いことだとは言わない
しかしながら、これからどうするかの目的を歪曲して、別の言葉に置き換えるのはやめて欲しいと思う
さらに漢字が難しい
日本語における漢字は言いたいことを曖昧にするために使うケースが多い
特に政治上における言論は非常に曖昧な感じを使い伝えるべく、内容を曖昧に特に曖昧にさらに曖昧に極力人に伝わらないように文章化する
そもそも言葉と言うのは、相手に伝えたいことを伝えるために発明されたものである
それを伝わらないようにするのが、日本語の特徴である
より人に理解しにくい言葉を使って発するのが日本語である
したがって、明確な正しい物事が伝わると困るのである
だから、いい加減にして隠してでたらめにして言葉にする
それを得意として、なりわいとしているのが政治家と言う生き物である
政治家は真実や正しいこと。本当のことをできるだけみんなにわからないようにウダウダ言う技術が求められる。
そして、うだうだ言いながら、民間の人が困ることを成すと言うのが政治家の役割だ
多くの人は、それにより私利私欲を求める
曖昧でいい加減な戯言政治家が言ってる。それに便乗して、自分の支持力を増やす。
そのために上手に嘘をつく政治家を、大事な国の機関に送り出す
なかなか巧妙な手口である
したがって、国を収めると言う事は、いかに詐欺が上手かと言うことにつながっていく
詐欺の中の詐欺、プロ中のプロが政治家と言う言葉で表される
したがって、政治家として失格です。と言いながらやめていく人は、結論的に詐欺失格である。
詐欺になれなかった詐欺もどきである
残念な話だ
日本の教育機関はそういう詐欺育成するために本来は作られたものであるが、最近は真面目な人があまりにも増えすぎて、そういう詐欺がいなくなってしまった
だから、国が疲弊する
もっともっと貪欲な詐欺集団を作らなければならない
そういう悪の洞窟のような国を作ってこそ、日本と言う国が存在する糧になるのである
会議とはそのために行うものである
いじめで終わっていてはいけないのだ
そこを日本国民はしっかりと理解しなければならない