ジョンレノンが亡くなった日
ニューヨーク、ダコタハウス前でファンだと言われているマークチャップマンに銃撃された日である。
わたしは大学四年生だった記憶がある。
当時、アルバイトで購入したカローラ30に乗ってバイト先から下宿先に戻っていた頃、確か夜になっていて、車のラジオからそのニュースを聴いた。
ジョンレノンのファンだったので衝撃を受けた事を記憶している。
ジョンレノンのファンになったのはラジオで「Imagine」を聴いたから。
中学生になって深夜放送を兄から貰い下げたラジカセで聴き始めた。
田舎というよりむしろ山の子だったので、ラジオもガーガーピーピーと雑音が激しくて深夜放送の音も大きくなったり小さくなったりと周波数を持って繰り返していた。
その中で、かすかにピアノの音と囁きかけるような歌声を聞いた。
今でもずぅ~っと不思議なのがBEATLESの音楽は耳に残る事。
初めて聴いた「Imagine」には歌謡曲やグループ・サウンズやフォーククソングのどれとも違うなにやら不思議な魅力というか、引き込まれる感覚を持った。
当時の趣味はハンダゴテ片手に真空管アンプを作ったりアマチュア無線の免許を取るぞ!と寒い雪の降る冬の夜に焦げた臭いの中でラジオの基盤をつっついて励んでいた。
その季節だったから、余計に孤独感というか、ノスタルジーな感覚が一緒に記憶に残ったのかもしれない。
それからは勉強そっちのけでギターにハマった。
BEATLESにハマった。
いい事だったのか悪い事だったのかは判らないけれど、当時は多くの人が同じ感覚だったろうなと回顧する。
ジョンレノンが生まれたのは1940年。
亡くなったのが40歳の年である1980年。
そして今年はジョンレノン没後40年になる。
ジョンレノンが生きていたら80歳である。
若くして歴史を閉ざした。
わたしは今62歳である。
ジョンレノンよりも先の歳を生きている。
もしジョンレノンが同じ歳を生きていたらどういう暮らしを望んだろうか、と想像してみる。
まぁ、言わずもがな、幸せを求めておるだろうなぁ。
彼の考え方を自分なりに想像する。
例えば、
何かを買う時。
思う事は、安いから買う、という概念はまずゼロだろう。
欲しいから買うんである。
高かろうが安かろうが騙されようがそれは関係ない。
欲しいから買う。
それ以外考える事はしないだろう。
経済社会が今のようになって生きていると、コストダウンや効率化などが重視される。
でもね、
そんなことは目的じゃないんですよ。
コストではない。
欲しい事を得ることが目的ですよ。
お金がなきゃ買えないよ。
じゃあ、そのお金をその時にどうにかしたらいいんでしょ?
あるいはお金以外で欲しいものを得る方法を考えたらいかがか。
そもそも買うという意識が問題。
なければ作ればいいし。
お金が中心になりすぎてませんか?
過去の記憶を辿るとその辺りに思考が及ぶ。
40年前の貧しい暮らし、それは本当に不幸だったのか?
あなたはお金がある今、幸せを手に入れましたか?
むしろ、貧乏な頃の方が幸せはたくさん得ていたのではないですか?
平和も同じ。
「Imagine」から奇妙な方向に思考が向かうのでこのくらいでやめておきます。
12月8日で真っ先に思い起こすのがジョンレノンだったので回顧して見ました。
それと
12月8日は真珠湾攻撃の日。
太平洋戦争開戦の日です。
トラトラトラ。
零戦と特攻隊で多くの日本の日本人や世界の人、特に多くの若者が亡くなった先の大戦の火蓋か切られた日ですよ。
知覧で見た遺書の文面も記憶にあります。
そんなこんなを思い起こした今日でした。。。