日本人唯一の虐殺を行った経験のある織田信長が 現代において「歴史上で最も尊敬するリーダーは?」と言うアンケートでトップになるという事にはいささか疑問と面白さを感じる。
日本人は本当に平和を好んでいるのだろうか?
ただ自己都合でそういうことにしているだけなのではないか?
そういう疑問が生まれてくるのです。
日本の文化は世界で唯一と言っていいほど千数百年も続く国王のいる国。
国宝を中心とした社会主義的な思想が血の中にすら流れていると感じてしまうのであります。
それを良い事でも悪い事でも思いませんが、現在中国が行っている世界の覇権争いについても もともとは古い日本の歴史的な動向を真似て行っていると言うようにも感じます。
我々日本人は自分たちは平和主義であると言う思い込みを持ったまま自分たちの都合よく物事を解釈して西側の覇権国であるアメリカに取り付いているだけなのかもしれません。
であるならば むしろもう暫くはガラパゴス化して独自の主義主張を育てておくべきではないのだろうか。
当然そのためには西からも東からも侵略されない軍事力やサーバー上での力や情報ネットワークや医学的な力など独自にレベルアップをして力としての国防を身に付けておく必要があると考えます。
軍事力は核爆弾だけではありませんから。
なぜなら現場で言えばオーストラリアが経済上の戦争で相当やられていることや 特に日本で言えば メディア戦争でアメリカに支配された後現在では中国に多く支配されている現状が見えています。
さらに経済的には中国が世界的の覇権を掌握しています。
実際に日本のメディアは朝日新聞を中心として相当中国の思惑通りに支配されていっています。
これは一概にフェイクニュースであると言う意味だけではなくて情報から刷り込まれる潜在的な意識改革が日常でされていっていると見えています。
尖閣諸島の検案は既にその中心となっていて 中国は過去1年間すでに尖閣諸島の周囲の海域に戦艦を張り巡らして実効支配を完了してしまいましたが、日本国内の情報としては中国戦が年間300日以上その海域に不法に居座っているとだけ報道されています。
その報道上では日本がそれに対して正当な牽制を与えていると言いますが、実際には中国側が尖閣諸島周辺会議全てを掌握してしまって軍艦を張り巡らしたところに 日本の海上自衛隊が日本の漁船の警備をしながら細々と量をさせていると言う状態になっています。
安倍総理の桜を見る会のニュースは大々的に国民としての大問題にされていますが 国の領土がとられていてもそれはあまり大きく報じられないメディアの情報網は、結果として「もうすでにあそこは中国のものだったんだよ」と言う結果論を最後に日本国民が通告されるだけで終わらそうと言うものです。
いつものごとく後になって「あの時ああしとけばよかった」と言う議論ばかりを後日談として言い争う。
それが日本のメディアの現状でのあり方です。
そういう目くらましのようなテレビやラジオやネットワークやインターネット情報に日本人は踊らされていて たとえフェイクニュースでなくてもマインドコントロール情報コントロール意思コントロールをされている。
もうすでに我々は籠の中の鳥なのであります。
したがってとりあえず生きている間だけでも贅沢をして自由にできるところは自由にして好き勝手していて虐殺される前に逃げるなりどこかに消え去るなりするのが1番の得策の現状になっていませんか。
そういう勘違いする様な広い部屋の中に囲まれたナチスのアウシュビッツ牢獄の中にいるようなものです。
部屋の塀が広くて高いので自分たちが牢獄の中にいると言うことがわかっていないだけ。
メディアの意味、当然伝わってくる情報の言葉だけを捉えたらそこには嘘がありませんからフェイクニュースではないでしょう。
でも本当に大事な事はそういう現場を見えないようにして隠してしまっていて我々が知らされていない。
本来メディアはそういうところを知らせるべき存在であるにもかかわらず 知らせるとまずいと言う政府自民党の中の中国親波が操作をしているとしか思えない現状ではないでしょうか。
自民党という言葉を使ったのは実は国の政治そのものを表したからです。
それを打ち破るには若い人の力が必要なんですが 力を発揮できそうな若い人は西暦2000年頃から始まった派遣法で力をもぎ取られ人数もどんどん少なくなる、今後の未来に対しても知的に未来を変える力を発揮できる所には行けそうにない、さらにその下のもっと若い日本人たちは手足があることすら教えられていないので政治的なものに関心を持つことがほぼできない。
みんな本当に未来を作ろうという未来の政治そのものに関心はないでしょう。
日本国のあり方がどうとかと言うよりも世界の人の1人と言う意識だけが刷り込まれているから、世界平和であればそれでいいと言う感覚になり 日本が消え去っても国土がなくなっても地球上の多くの人たちが救われるのであればそれはそれでいいと思っている。
この考え方はもともとはアメリカとの戦争で負けたところから植民地支配された支配された民族の屈辱的な感情や精神的な意思が今まで伝わっていると言うことです。
つまり日本は経済的には一見独立した優秀な国家のように見えても 精神的に文化的に西側諸国、特にアメリカの植民地支配をされたままであり 第二次世界大戦は終わってはいない。
だって、づうっと歴史は続いていますよね。
でも、国の在り方なんてどうでもいいと言う若い世代が引き継いでしまった場合 おそらく今後は中国共産党に飲み込まれ「日本」と言う「国名」と「天皇」と言う仕組みがなくなったとしてもそれはそれでいいと思ってしまうのでしょう。
世界平和が大前提であるならば日本國一国が名前がなくなっても大した問題ではないと言うそういう意識すら感じられます。
その中で織田信長が若い人たちからもすごく人気があると言うのは古い歴史の中のただの憧れただの偉人伝 それ以上の事はありえない。
ヒーローは物語の中にある。
現実のは存在しない。
だから虐殺はそこでは有り得る。
でも、現実には居ないから良いのだ、と。
織田信長に憧れてはいても なろうとする人はおそらく今もこれからも出てこない、そんなふうに感じています。
でもね、歴史は多くの物語を現実に刻んでいます。
憧れで、あったら既に 「それを受け入れますよ」と言ってるんです。
虐殺される側として。。。