私には理解不能です。
ルイビトンは物がしっかりしててお洒落で長持ちする。
そういう理由はそれで納得します。
ならば、それに匹敵するものであれば良いでしょう。
ルイビトンのロゴが入ってなくてもイイでしょう。
ルイビトンに限らずブランド品ていうやつのことです。
価値の不思議に関してはピカソの絵もそう。
見てて気に入ったのならお好きにどうぞ、ですが、そういう文化に翻弄されてるのがすっきりしませんな。
バッグや靴など、デザインがイイというならば自分が気に入った物ならばそれでイイでしょうし、最近は昔に比べて大抵の物がしっかりしててかなり長持ちしますよ。
でもって、比較的安い。
そう考えると、中国製でもベトナム製でも、カンボジア製、ミャンマー製でも良い、
モノがしっかりしてるならば。
まぁ、有名な商品の通信販売などについて言えば、嘘をついて変なシロモノを送ってくる中国製品などもありますから気を付けないといけませんがネ。
でも。
あのブランドというロゴ入り製品に関しては 私は以前から理解不能です。
つまり、それが高い値段で取引されるという現実。
まぁ、お金、経済社会の仕組みが奇妙な構造になってるのは仕方がありません。
余った価値を別の物に変換して保存して、お金持ちがやり取りするんです。
その対価交換の材料、道具がお金の本質。
その道具は現代社会では随分と物騒な世界だということも理解できます。
ヤクザな世界です。
お金持ちは時に奇妙な死に方をします。
元々はお金は相互取引の信用が核にあるべく誕生したハズ。
それが時代とともに私利私欲を満たすための危険な道具になってきていますよね。
人の過度な私利私欲は欲望とかエゴとかあまり良い印象ではありません。
少なくとも私の目にはそう映ります。
だから、日常生活に密着しない高価なブランド品は理解しにくい。
じゃあ、人が羨むような高評価なものは欲しく無いのか?
私にとってはそうです。
が、一般社会ではそれが大事なことになってる。
想像するに、、
結局は人の目線なのでしょ。
他人の評価が欲しいのでしょう。
人に構って欲しい。
自己肯定感が低いからこそ、他人を意識しすぎる。
まぁ、現代社会はそこを全く無視すると、生きにくい。
だから我の生活に不具合のない程度にやり過ごす。
その程度が適当です。
メディア関係もそうですな。
有名になればなるほど適当な発言をすると、非難轟々。
無名な人は何を言ってもほぼ見向きもされない。
私なんかはそもそも人がキライだし、とても苦手なので、見向きされないことの方が快適ですがねぇ、、
まぁ、「構ってちゃんもホドホドに」、ですなぁ。

