メンタルの強度は人それぞれの肉体的な能力差と同じです。
例えば社会的な知識点数の無い人を政治家や大企業の社長にしたらその組織はダメになると思います。
同様にメンタルの強さも生活の内容によって悪影響や好影響になると感じます。
そして、そこには個人差があると感じているのです。
病気も同じで、その度合いによって障害者保険のランクも変わり、保険会社の対応レベルも変化しますよね。
で、あるならば、個人個人のメンタルの強弱も数値化して分かりやすくしたほうが人は生きやすくないでしょうかねぇ。
それによって多くの人が混じり合うコミュニティーのあり方が正常な方向に行く気がします。
しかしながら ただ、それができないのが戦争というモノです。
いわんや 戦争だけではなく、色んな折衝でしょうね。
メンタルレベルの弱い人は、やや生活が不自由であっても そういう人が生きやすい社会組織を作っておくべきだろうと思うのです。
自由が欲しかったら、自己診断し、そこを理解した上で、精神的な強さを持って行動できる社会に参加したらいい。
今はなんだか、ただ単に お金を持ってる人が守られて、貧乏で弱い人はキツい生活をせざるを得ない。
その上、最低限で生きることすら出来ない人もいる世の中ですから。
でも、何度も繰り返しますが、その生活を守られるためにはやや不自由な生活も受け入れなければ、ならない。と。
本来の自由の定義はそういう観点も考えないと到達しない。
そう感じます。
まぁ、過去の歴史を振り返って、ある程度はその通りになってる部分もあります。
が、多くの方は 自分の本来の適正な在り方を間違ってるんじゃ無いのかな、と感じられる。
そういう人が大勢いるのではないかしら?
御多分に洩れず 私もきっと、その一人。