健康寿命があと5年

健康は既にほぼ消滅したし、あちこちで不具合があります。

転倒後に考えたこと

2022-01-31 21:12:33 | メンタル
昨日、階段から転倒したことを全記述に記載しました。
その後考えたことがあります。

歳をとると盆栽を始める人がいます。
昔は自分には縁のないことだと思っていました。
最近さまざまな出来事や感じることを整理して日記帳に書き出していたら、なんだかだんだんと解る気がしてきたのです。

最近 自分の周りの時間の流れと自分の認知が齟齬を生んでいる、と。

身体で言えば分かりますが、年齢とともに老化は避けられない。
当然行動におけるスピードは遅くなってます。
なのに自分の頭は同じスピードで動こうとしてる。
そういう齟齬、食い違いです。

認識がズレてる。
受け入れていない自分の認識と現実の差がある。
受け入れるのはその生活の組み立てを変化させていくのがよろしいでしょうね。
だから盆栽を良さを感じ始めるのです。
盆栽の時間は現代人の時間の流れと「おそらく違う」と感じます。
盆栽に限らず、書道や花道、茶道なども時間の流れを整理するにはとても良い様に感じ始めました。
それはインターネットやパソコンをはじめとするゲームなどとは全く別物です。

今の時代の中では「失われた何か」がそのあたりにあるんじゃあないかな、と。

「風流、古風、侘び寂び、などに繋がるモノ」と言えば、今風、現代風なのでしょう。
けれど、気を衒って言うことではなく、実感として、自分にな「今必要な何か」だと言うことです。
現代日本人はそれを疎かにしてる。
それって、今の人、全員が見直すべきことの大きな課題ではないのかなぁ。
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身体と年齢のこと

2022-01-31 06:41:16 | 日記
昨日 仕事帰りに職場の出口近辺で階段から転けました。
背に低い階段でした。
なので怪我とかはしませんでした。
下3段くらいで足がどうなったか分からない感じでそのまま動かず前のめりに突っ込んだ感じでした。
周りにいた若者たちが心配して「大丈夫ですか」と寄ってきました。
恥ずかしいというより不意を喰らった感じがしました。
なので、「大丈夫 大丈夫」と言いつつ私は何とか自力で立ち上がりそこを去りました。
そそくさと急足で。

最近 脊柱管狭窄症の症状なのか、腰の後方がヒリヒリしてて足が動かしづらくなってます。
今日の事でやはり老化現象がどんどん進んでるのを痛感しました。

以前、15年ほど前に バセドウ病の酷かった時にも激痩せして筋肉が削ぎ落ちてて 同じようなことがありました。
やはり階段で足が前に出ずにそこから落ちそうになりました。
その時は手すりに捕まって難を逃れました。
今回は手すりの無い場所だったのでそのまま頭から突っ込んだ感じです。

もし 若い頃の私が近くにいたら「爺さん気をつけろよ~」くらいの言葉が頭に浮んだと思います。
自分は自分なので「今までの自分であり それがいつもの自分」なのです。
でも、今までの自分、若い頃の自分は既に居ない。
今の自分は 既に63歳の老人予備軍、いや 既に老人です。
バセドウ病の体力激減を改善できていないままに歳を取りました。
なので、体感は5歳から10歳くらい老化は大きいかもしれません。

私の好きな養老孟司先生は「脳も臓器の一つ」と言ってます。
脳と身体を区別してない。

今の自分にとって老化は心身ともに同一の速さで進んでいます。
ボケを心配するならば身体ももっと労わらなければ。

転んだことは奥様には言わないで起きます。
言わないのは 心配するからというよりも これは自分自身も問題だから。
最近、何故かそんな気持ちが大きくなっているのです。
特にそう強く感じた日でした。
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