祖父母や父母や「近隣の人たちの死」というものに次々と出会う。
今まで何人の死を通過してきただろう。
特に自らの「父」に関しては死んでゆくサマを病院のベッドの上で目の当たりに立ち会った。
今までの66年の間に、そういう時間を過ごした結果がある。
身内、知人が次々と逝く。
まだ兄弟は健在だが、順番を考えると「そろそろ」という言葉が聴こえる様になった。
自分の番がいつかはまだわからない。
しかし、ちまたでは「順番を間違える」という嘆きの声を聞く。
最近そういう事を考える様になった。
同時に臆病にもなっているのを感じる。
年齢順に死を迎えることが自然の法則、間違ってないことだと言う。
「順番を間違える」
例えば我が子などがそういうことになったらどうなのか?
戦争が起こったらどうか。
そういう出来事に巻き込まれたら、上記の言葉が当たり前の様に自分の身に起こり得る。
戦争ではなくても、交通事故や事件に巻き込まれるとか、もあり得る。
自分の死は何も自分に被害を感じさせないだろう。
でも、身内に関しては、痛みを感じるのである。
年齢とともに、それが段々と痛みになる。
特に「順番を間違える」ことが一番嫌だな、と。
昔、年寄りから散々聴いた言葉だな。
これも歳をとった証拠。
そんな年齢になっている。
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