四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
胸を張れるような自慢話などはありません。
照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

井上陽水 『人生が二度あれば』

2022-01-09 10:10:39 | 音楽
♪父は今年二月で 六十五
 顔のシワはふえて ゆくばかり
 仕事に追われ
 このごろやっと ゆとりが出来た
 父の湯飲み茶碗は 欠けている
 それにお茶を入れて 飲んでいる
 湯飲みに写る
 自分の顔を じっと見ている
 人生が二度あれば
 この人生が二度あれば

井上陽水さんの『人生が二度あれば』
この曲を初めて聴いたのが中学生の時。
もう50年近く前である。

60を過ぎたらどうなっているのだろう。
遠い未来のことだった。
まだ世間も満足に知らない自分。
両親に反抗していた自分。
だけどこの歌はどこか心に響くものがあった。

♪母は今年九月で 六十四
 子供だけの為に 年とった
 母の細い手
 つけもの石を 持ち上げている
 そんな母を見てると 人生が
 だれの為にあるのか わからない
 子供を育て
 家族の為に 年老いた母
 人生が二度あれば
 この人生が二度あれば

僕を育ててくれた両親はもうこの世にはいない。
満足に親孝行もできなかったかと思う。
親が亡くなって気付く親のありがたみ。
この歌の詩がより一層、心に沁みる。

♪父と母がこたつで お茶を飲み
 若い頃の事を 話し合う
 想い出してる
 夢見るように 夢見るように
 人生が二度あれば
 この人生が二度あれば
 人生が二度あれば
 この人生が二度あれば
 この人生が

今年四月で64歳になる自分。
こたつの中で嫁さんと熱いお茶を飲む。
二人で若いころの話しはしていないが、
息子たちを見ていると、
ふと若いころの自分を思い出すことがある。

『人生が二度あれば』
1stアルバム「断絶」に収録されているが、
僕は3rdアルバム「ライブ もどり道」に収録されている方が好き。
両親を思い出しているのだろうか途中、歌詞を間違って涙ながらに歌っている。

還暦を過ぎた今、この「ライブ もどり道」の『人生が二度あれば』を聴く。
中学の時に思わなかったこの詩の意味が心に突き刺さる。
そして涙が出てきて来そうになってきてしまった。

井上陽水 — 人生が二度あれば
コメント
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