Over 60's yukinokoブログ

実家の片づけ、そして義母を送って、次は自分の生前整理だな

お金とは仲良くほど良く付き合いたい

2021-07-31 05:43:06 | えとせとら

毎日熱戦が続くオリンピックに同調するのか、暑さと闘う今日この頃。

午後からは一番涼しいと思われる台所にいることが多いのですが、テーブルの上の温度計の針は34℃近くをさしていました。ひどくない?我ながら扇風機のみで

よく耐えていると思いますが、相方はもっと暑い外で仕事をしているわけで、それに比べたらへの河童と言うものです。でも猛暑日が続くようになったら

考えないといけませんね。

 

さて、多分私以外にもやっているいらっしゃる方がいると思うのが、500円玉貯金。

500円玉が財布に残っている、もしくはわざわざお釣りを500円になるように端数を出したりしてと、涙ぐましい努力?までしてこつこつ貯めてきました。

時々欲しいものがあると使うのですが、それでもなんとか1万円を切ることなく、MAX2万5千円くらいにはなっていたかと思います。

貯金箱ではなく、友人に貰った赤い親子のがま口財布(がま口財布の中にもう一つがま口がついているもの)に入れていて、必要に応じて両替したお札は

子どものがま口のほうに折りたたんで大事に?してきました。

こういった目に見えて増えるお金って、なんだか満足感があるんですよね。子どもみたいなんですけど、それだからこそ貯め続けることが出来たとも言えそうです。

 

それなのに

 

あるときふと思ったんです。この500円玉貯金って、何のために貯めているんだろうか?って。

そうなんです。欲しいものがあったときに使うために貯めていたんだ、ということに改めて気づいたのでした。

貯金することが悪いことではないのだけれど、活かしてなんぼのもの、と言えるのではなかろうか。金は天下の回り物と言うし。

そう思いもする反面、お金はついでのないところにはやってこない、ということも63年生きてきて充分解っています。お金は仲間意識が強いんだな(笑)。

そんなわけで(って、どんなわけ?)欲しい、かつ必要と思われるものは素直に買おう、もちろん貯めたお金の範囲内で、となりました。

使えば当然減ります。今財布に残っているのはおそらく6千円くらい?もう少しあるとうれしいけど、お金は自然には増えませんので(当たり前やん)。

クラウドファンディングで誰かの支援をする、というのもいいですよね。自分のことばかりでなく、そんなふうに役立つお金の使い道を考えるのもいいなと

思います。

 

貯めたお金を使ってしぼみかけたお財布をふっくらさせるべく、またちまちまと貯めていきたい。

そういえばお財布について言われることのなかで、「赤い財布はお金が貯まらない」とか「古い財布は運気が下がる」とかありますが、このふたつに関しては

私は全く信じていません。先ほども書きましたが、500円玉貯金をしているのは赤い財布。貯まらないかも、と思いつつ始めましたけど、そこそこちゃんと

貯められましたから。

古い財布がどうこう、と言うのは、財布の販売会社と結託しているんじゃないか?というのが私の見立て。本当かどうかは知りませんよ、あくまで推測。

ただ、お金も財布も丁寧に、大切に扱ってあげるほうが貯まるのではないでしょうか。そう思っている私は、出来るだけ早くレシートは財布から追い出すように

しています。

娘は満月の夜に財布をフリフリして金運アップを願っているみたいですが、そちらのご利益があるかどうかは定かではありませんが、お金とは仲良くつきあって

いきたいものですね。もちろん、人間第一ですけど。

そういえば、二つ折り財布より長財布のほうがお金が貯まるっていうのもありましたね。これも私にはあまり関係がないみたい。なんでも財布のせいにしちゃあ

いけねぇよ。

 


オクラとキュウリの日々 ときにトマトなど

2021-07-30 05:42:38 | 食べものいろいろ

昨日は全国のあちこちでゲリラ雷雨がありました。名古屋もそうだったのですが、全市のうちわずかに雨が降らなかったのがこの地域で、雷様が空威張り

しただけで終了でした。明後日くらいまで大気が不安定ということなので、猛暑とともに気をつけたい。出来れば適度な打ち水程度でお願いしたいところです。

 

                

昨日の朝の収穫物。

隠れて見えにくいのはオクラ、右端にあるのは青じそです。

青じそは何年か前にどこからか種がやってきて、勝手に生え始めました。その後毎年のように何株か出てきます。小さなバッタに食べられてあちこち穴が

空いているけれど、手近なところにこういうものがあると夏場はとっても便利です。

トマトは今までにかなり収穫して、残りのいくつかが色づくのを待っている状態。ピーマンと茎ブロッコリーは最近どうもやる気がないのか、それともオクラの

勢いに負けてしまったのか、なかなか大きくなってくれません。

そして、相方の力が最も入っていなかったキュウリが、今頃になって毎朝数本採れるほどになっています。夏本番の暑さで、急にやる気が出たか?

そのオクラもキュウリのどちらも、使い方がマンネリになっていてちょっと飽きてきたところです。

特にキュウリは、毎日のように収穫があるものだからもう食べきれなくて。この前は3本も巨大化させてしまったので、ネットで調べてキューちゃんみたいな

ものを作ってみたものの、レシピ通りに作ったらなんだか甘さが気になって。食べ終わるまでに数日かかってしまいました。

かと思えば、やはりネットで調べて青じそでナムルを作ったときにはしょっぱすぎて涙目。いくら汗をかくから塩分補給、と言ってもね。血圧にもよくないし。

キュウリは夕方に、採り忘れて大きくなったものを含めて4本追加がありました。今朝もまだ採れそうなものがぶら下がっていましたし、どこかへお嫁に

出さなくちゃ。

写真のトマトは、相方がホルモン処理をしなかったためか、大玉トマトのわりにかなり小ぶり。でもふたりで一度に食べきるにはちょうどよい大きさです。

暑さでようやく味もよくなってきたように思います。こういうのはシンプルに塩かけて食べるのが一番。

ちょっと野菜の苗を数本植えるだけで、食べきれないほどの野菜が育つので、ここ最近スーパーで買う野菜の量がかなり少なめです。収穫したものだけで

野菜室が満タン、ということが一番大きな原因ですが、出来ればおいしいうちに食べきりたいじゃないですか。

そのため、食費はやや抑えられているように感じます。野菜以外のものは勝っているので、わずかな額ではありますが。

 

毎朝ラジオ体操をした後に鋏とザルを持って収穫するのが最近のルーティンワーク。そのときには腕カバーは欠かせません。オクラやキュウリの葉って、

とげとげがいっぱい!なんです。うっかり無防備で採ったあと、腕や顔が痒くて痒くて・・・という経験をしましたのでね。

作ったことのない人はご存知ないでしょうけれど、白菜の葉も新鮮なときにはちょっとした棘ってあるんですよ。食べられないように、という植物の知恵

らしいのですけどね。

7月も終わりに近づきました。あとどれくらい野菜が出来てくれるでしょうか。飽きてきた、なんて贅沢なこと言っていますが、たくさん採れるのはやっぱり

楽しい&嬉しいものですから、出来るだけ長く続いてほしいのです。


似たところもあるなとは思いましたが

2021-07-29 05:50:00 | 

毎晩ある程度の睡眠時間はとっているはずなのですが、どうも日中眠くて仕方ありません。睡眠の質が悪いんでしょうね。

昨日もパソコンに向かっていたら目を開けていられなくなり、タイマーを15分にセットして素直に?昼寝しました。家にいるときの特権。

 

さて、昔から本を読むことが大好きで活字中毒だと自己分析していたのですが、最近読書量がかなり少なくなってきました。

読みたいと思う本になかなか出会えないということと、老眼のせいであまり長い時間続けて本を読めなくなっているようです。

読む本は小説は全く手に取らなくなり、気軽に読める生活や生き方、そして暮らしに関するエッセイばかり。

今回読んだのはこちら。

               

著者自身の顔がこんなにはっきりわかる写真をカバーに持ってくる勇気?に脱帽。

引田かおりさんはお名前とか、ギャラリーとパン屋を吉祥寺で開いているということは知っていましたが、本を買って読むのは初めて。

引田さんについてなんとなく思っていたのは、おしゃれなギャラリーやパン屋を経営するくらいなのだから、きっとかなりやり手でセンスのよい人だろう、

くらいな感じ。その後一田憲子さんの本で、夫の引田ターセンさん(私はそのお名前から最初外国の方かと思っていたのですが、ニックネームでした)が

妻に対して絶大な信頼を寄せているような記述があり、ずっと気になる存在ではあったのです。

 

この本を読んでいくうち、僭越ながら自分との共通点があるようにも思えることがいくつか。

まず、ご主人の年齢から勝手に私より年上だと思っていたのが、どうやら同い年らしい、ということ。戌年だからか鼻が利く、というくだりで判断。

そして「改善・改革したくなる気質」や「せっかちなので『やりたい』と思ったらすぐに取り掛かって、早く結果を出したいタイプ」なんてところでは、

それは私のセリフだ!と口走りそうになったほど。

決定的に違うのは、「なんとなく」でも自ら仕事を始める実行力と経済的余裕かな。

私はこれまで、何かをやりたいと思ったときに、子どもが小さいから、とか、お金がないから、とか、何かと理由をつけてしたいことにブレーキをかけ続けて

きた結果、義母の介護からも解放された今になってやりたいことがない、というエアポケットに落ち込んでしまいました・・・とここまで書いて、前にも

書いたな、と気づいて確認したら、今月の初めのほうだったかに書いていました。やっぱり~(苦笑)

でもその後バイトの話がやってきて(と言っても決まってはいませんが)、4か月連続でのその仕事を受けてもいいと返事をしたとき、落ち込んだエアポケット

から上半身だけ身を乗り出したような気分になれたのでした。

引田さんにしても、以前は私と同じように悶々としていた時期があったようで、こんなにバリバリとやっている人でもそうなんだな・・・と安心?したりして。

そういう悶々とした気持ちになるのは、自分がいつも「食べさせてもらっている」立場にあるからなんじゃないかという気がしてならないです。最初から

共稼ぎでバリバリと仕事をしていたら、そんなある種卑屈な気持ちにはならないような気がします。逆を言ったら高慢で鼻持ちならない妻だったかもしれません。

バリバリと仕事、と書いて思い出したけれど、娘が派遣ではあるものの、大手通信会社に勤めていたときにランチを一緒にしたことがありますが、職場に

入ったわけではないけれど、オフィスビルの立ち並ぶ街中で仕事をしている娘のことがすごく羨ましかった私。

若い頃は結婚願望は全くなくて、キャリアウーマンになってバリバリと仕事がしたかったんですわ。

商業高校を卒業してすぐに就職していれば、その当時なら大手企業からの求人もたくさんあったので可能性は充分あったのに、そこで回り道をしちゃったんです。

まぁ回り道をしたことで相方と結婚出来たと言えばそうなんですが。それはそれで幸せなので。

おや?いつの間にか本の話じゃなくなっているような・・・・・・

 

この本の中でも、「人生は選ぶことでできている」という章があります。

大きな決断をするとき、自分だけが幸せになればいいと思わないことと書いてあって、さて、私はそうしてきただろうか・・・と胸に手をあてないけど(笑)

考えてみました。さっき、自分のやりたいことを犠牲にしてきたように書きましたけど、実際のところはとっても自分がかわいい奴なんですよね、私。

周りのひとのことももちろん考えてはきたと思うけれど、身勝手な部分もあったはず。

これって結構難しい問題ですね。自分の「好き」も大事にしたいし、かと言ってそれが周りに影響を与える場合には躊躇してしまうかも。

うまく折衷点を見つけて、全てがそこそこうまくいくようにしないといけないのでしょうね。

 

本の中には、引田さん愛用の品々などが数多く出てきますが、どれもさすがな品ぞろえ。経済レベルの違う私にはなかなか手が出せないものが多いですが、

そうしたいいものを常に探したり身近に置いてきたことが、今の仕事に繋がっているんだろうと感じました。暮らし方や生き方って、大事ですね、やっぱり。

 


延期となりました

2021-07-28 05:39:56 | 健康First

オリンピック2020は開催反対の声も多かったけれど、いざ始まったら連日メダルラッシュということもあって、放送、報道ともにうるさすぎるくらい。

でも私もやっぱり見てしまいますね。ずっと見っぱなしということはほぼありませんが、ちょくちょく試合の様子や結果をテレビやスマホで確認する毎日です。

ただ何かと気になるのは、スポンサー重視の運営や商業主義。スポーツの祭典なんでしょ?本来は。ならばもっとシンプルでいいじゃないの。開催式の

解説がなければ訳がわからないようなパフォーマンスは、私は必要ないものだなと思いましたし、選手の入場行進でアメリカが最後の方だった理由もスポンサーへの

忖度があったから?とか聞いて、憤懣やるかたない思いです。

とにかくコロナ禍のさなかでのオリンピックは、いろんな意味で歴史や記憶に残りそうですね。

 

さて、今日は予定では相方の後発白内障の再手術の日、でした。

予定では、と書いたことからお分かりかと思いますが、予定は未定となったのです。

理由は病状が改善したからというわけではなく、手術をすると顔も頭も数日洗えない、しかも相方は外仕事で、この暑さの中での現場仕事はすなわちとても

汚れるということを意味します。

そんなただでさえ汚れがひどい時期に顔や頭が洗えないというのはあまりに酷、ということで特に期限を定めずに延期となりました。9月には診察に行きますので

そのときには状況によって手術の日取りも決められるかもしれません。

そんな見えにくい状態が続くのってどうなの?と私は思ったけれど、相方はなんだか少しほっとしているように見えました。そりゃあ手術なんて好きでする

人はほぼいないですもんね。

ただ、今もそうなんだけれど、仕事のスケジュールが結構詰まっているんです。秋になればもっと忙しいし、人手はないし。

私は10月からバイトになるかもしれないので、それまでに済めばOKだと考えていたのですが、ちょっと難しいかもしれません。

 

今はとにかく、手術まで見えづらさから事故など起こさないようにということと、手術がうまくいって見えやすさが回復することを願うのみ。

後発白内障のタグでこのブログに来てくださる方もいるようですが、あまり参考にならなくてごめんなさいね。また状況が変わったら必ず記事にします。


あっという間の10年とこれから先

2021-07-27 08:52:00 | 田舎暮らしの現実

             

この写真、今から10年前の今頃の写真です。中央に写っているのが相方。相方の奥に写っている木々はぐっと成長して景色が変わっています。

当時は周りの田んぼで稲作が行われていましたが、今ではぐっと数が減って休耕地ばかりになってしまいました。

 

昨日は畑から帰ってすぐ、山のような洗濯物を2回に分けて洗濯、って言ってもするのは洗濯機だけど。そしてごはんの支度などの家事に追われて、今朝ようやく

パソコンを起動させたら、画面下のちらつきがひどくなっていました。

まだ一番下のタスクバーの部分だけではあるのだけれど、結構気になります。少し前に一時落ち着いたと思われたときもあったんですけどね。今日また対処法を

探りたいと思っていますが、面倒なのはイヤだな。

 

今回の畑は道中事故にも渋滞にも遭遇せず、4連休最終日だった往きの時もスムーズに走ることが出来ました。雨も全くなし。

私たちが出かけた2日前の金曜には、それはものすごい雷雨だったそうで、お隣の家は停電したんだそうですが、もう一方のお隣は電気がついていたそうです。

そういうのって、どんな加減でそうなるんでしょうね。とにかく雷が大の苦手の私、そんなときに滞在していたら発狂していたかもしれません。

そんな話を相方がお隣から聞いて私に伝えていたとき、ちょうど彼はトイレで用を足していたところだったのですが、「あれ?」というので見ると、ボタンを

押しても流れない。

畑の家のトイレはレバーではなく、壁にとりつけたパネルのボタンを押して流すタイプ(災害時に困るやつ)。確かに押してもうんともすんとも反応なし。

よくよく見ると、トイレのタンクにいつも点灯しているランプが全部消えていました。冷蔵庫など他の電気には問題がなく、ブレーカーも落ちていません。なぜだ?

そこでよくよく辺りを見ると、トイレのコンセントのところに見慣れぬランプが点いていました。そこでそのランプ近くにあったボタンを押すと、そのランプは

消えて、代わりにタンクのランプが点灯。で、無事流すことが出来ました。やれやれ~。

おそらくこれも雷の影響だったんでしょうね。

仮に家中停電になってしまったとしても、冷蔵庫の中にはさほどのものは入っていないので実害はあまりないのですが、トイレが流せないのは本当に困ります。

せめてレバー式のに替えたいな・・・・・・

 

さて、いつも相方と話すのですが、畑も始めた頃に比べると温暖化でどんどん暑くなっています。夜も自宅よりは涼しいけれど、日中温まった室内がなかなか

冷めてくれなくて。

都会の暑さにこりごりして、いずれは完全移住も、と考えて田舎に最低限の家を建てたというのに、これでは本末転倒と言えそう。

それでも畑の家に来るのは楽しいとは思うんです。

私にとって畑の家に来ることは、最初のうちは義父母との長い同居生活で溜まったストレスを発散出来る場所として、義母の認知症が進んできたときには

その逃げ場としての意味合いが大きかったわけですが、義母が施設に入所した今でも、畑の家に来ると街にはない鳥の声などに癒されます。

だいたいセミの鳴き声だって、けたたましいクマゼミじゃなくて、ニイニイゼミとかヒグラシとか、せいぜいアブラゼミ。もちろん夏の終わりにはツクツク

ホウシも。

目にする昆虫の数はもちろん種類も豊富。知らない虫たちにどれだけ遭遇したことか。もっともハチやヘビなど、遭遇したくないものもありますが。

今のように、都会と田舎との二拠点を行き来する暮らしが、それぞれの良さをより実感出来る点で私たちに合っているように思います。

昨日も相方と話していたんです。もし今の畑を買わなかったら、私たちは今頃どうしていただろうかって。畑がやりたくて仕方ない相方のことだから、きっと

諦めずずっと探し続けたに違いないし、もしかしたら今の畑よりもう少し自宅に近い場所で見つかったかもしれない。

でも、夏の暑さや冬の寒さ、そして草との終わりなき闘いがあっても、今のところこの畑を手にしたことに対しての後悔はふたりともありません。

 

ただ、これは私だけの考えですが、もし畑仕事が体力的に無理になったり、相方か私のどちらか一方が先立ったりした場合には、畑の土地は村にお返ししようと

思っています。

子どもたちのどちらかに後を頼むのは、あまりにも私たちの身勝手だと思いますのでね。

田舎とは言ってもそれほど不便ではないのですが、ただでさえ低い地価は買った当初より下がっています。近くで新築される家もありますが、町なかほど

ではありません。売ろうと思っても簡単に売れるものではないのです。持っているだけでわずかなれども税金だってかかります。

そうした先の諸々の面倒くさいことを考えるとかなり気分が滅入ってしまうわけですが、こうする、という方向性だけでも決めておくのは悪くないと思います。

その時になったら考える、と先延ばしにするのは簡単ですが、いざその時になったら頭と気持ちが大混乱するのは目に見えていますので。