闘え!文庫魂

空手を愛する熱い仲間たち
金沢文庫木元道場生におくるメッセージ

そろそろ年賀状の準備を

2006年12月12日 | 雑記

 始めなければならないのですが・・・これまたエンジンのかかるのが遅いじむちょーです。できるだけ受け取って下さる方に伝わるようにとレイアウトも何パターンかあるので、事務能力も含め、考えるだけで時間がかかってしまいます。その上、センセーのひと言もひとりひとり思い浮かべて書いてると投函が、年末ぎりぎりなんてことも・・・。できるだけ早く送れるよう頑張ります。
11月末ぐらいから、喪中欠礼のおはがきをいただきています。お世話になった方が多いだけ、稽古生とのつながりが深い分だけ、ご身内の訃報に接する機会もあります。
 人生には、体験しなければわからない事が、いろいろあるなぁと思いますが、身近な人との別れもそのうちの大きな出来事ではないでしょうか。実際吉岡の父を亡くしたとき、大好きな父でしたので、悲しみはそれは深いものがありましたが、夫のことといえども子が親を亡くす気持を本当に理解していなかったことがわかったのは、自分が母を亡くしたその時でした。
  お人よしで、働き者で、優しい母でした。私とは違って、怒って声を荒げたことすら記憶にないほどです。情にもろく泣き虫ですが、自分は弱音を吐かず、その我慢強さが災いしてか、脳梗塞で倒れたその日も仕事に出ていました。仕事中激しい頭痛があったのに最後まで仕事を続け、帰宅して倒れました。救急車で運ばれ、問診中に再度倒れ、私達が駆けつけたときには、意識がありませんでした。声をかけてもいいとのことで、耳元で「お母さん、ユリ子だよ」と言うと、酸素マスクで聞き取りにくかったものの「ごめんね」とひと言いって涙を一筋流しました。たぶん、こんなことになちゃって、迷惑かけてごめんねのごめんねだったんだと思います。その言葉が、一時意識を回復した母の最期の言葉になってしまいました。
 最後までひとのことばかり心配して・・・母らしいその言葉は、その後私に何度もよみがえってきて、自分が子供として母に何もできなかったことへの後悔が、突然の別れをなかなか受けとめられない私にのしかかってきました。
 そんな私にセンセーが、「忠は孝なり」という言葉をくれました。難しいことはわからないけれど、とにかく今の自分の生活を一生懸命生きることこそが、親孝行になるのだと思いかえしました。後日地元の友達が、生前の母とすれ違ったとき、「道場が忙しくて、なかなか帰って来ないけど、何とか元気でやってるようよ」と母が嬉しそうに話していたとききました。今はもっともっと近いところで私を見ているような気がします。
 一周忌のとき、私達家族は、東北大会の会場にいました。石井指導員の頑張りや播田先輩の悔しがる姿を見ながら、息子が初試合で、道場のみんなに応援されているのを見て、号泣している母の姿を思い出していました。今は私の中にいて、私と一緒になって道場での出来事に一喜一憂しているのではないでしょうか・・・。