年の差3兄弟ぶ~フーうぅ☆ニギヤカ隊が今日も行く♪
片道2時間の実家に帰った🚗✨
母と会うのは
長男の結婚式依頼
要介護1の不自由な身で
目標にしてた「結婚式に行く」
それが叶った日💒
初孫の初々しくも凛々しい花婿の姿
拡大プリントした
スマホの家族写真を見入って
「すごいね〜ええねぇ」と、何度も何度も。
数十年ぶりに再会した義親族が
みんな元気であったことも、
いろんな喜びが母にはあった。
孫の晴れ姿に感動はもちろんなんだが、
多くの「涙出てからねぇ」の一つに、
娘である私たちが、
ゲストの方々に
お酌をしてご挨拶に回ってる振る舞いや
留袖を装い
花婿の母親としての華々しい姿
それらも、感極まっていたようだ。
また、
日帰りでの広島⇄福岡
不自由な身をずっと世話してくれた姉
普段見ぬ着物姿とかも
私たち姉妹は
82歳の母にとっては
いつまでも可愛い娘なんだな〜、と
つくづく。
そうした
それぞれの歓びがあり、
これが
「結婚式」を挙げることの価値なんだと、
改めて感謝の気持ちが湧く。
3世代の繋がる幸せ💝
そうして母には
名古屋で暮らす
次男の「結婚式に出る」
そんな
新たな‘目標’が、また一つ更新された。
長生きの幸(*´︶`*)❤
実家の母を美容院に連れて行く
いよいよGWには
初孫長男の結婚式💒
足腰弱い要介護1の
広島から福岡まで日帰りの移動
でも
この「孫の結婚式」に参列
これが
生き甲斐の一つで
日に日に元気になっているように思える。
そうして
転倒して病院や施設に入所したりして
2年ぶりに行きつけの美容院へ。
自分で染め続け、
黒髪だった母の髪は
全てが白髪となった。
でも、それが返って綺麗に映える。
美容師さんと「元気そうじゃん」て
めっちゃ話し込んでおった。笑
そうして、
綺麗にパーマをかけすっきりした姿
結婚式に行く服を着合わせ
アクセサリーとバックもこれかな?と
「見てみて♪」と何度も子どものように。
背筋も伸ばしたりしてる。笑
そんな
はしゃいでいる姿を見ていると
こうして
結婚式を迎えることができたこと、
新郎の母として、いろんな感情が湧く。
うん。
まだまだ健康でいてねと願う春(*´︶`*)🧡
庭の梅が咲き始めた2月初旬🌸
要介護1の母に会いに実家へ
元気そうだが
会話もなかなか成立しない。
聞いてもさ、
すんなり答えが返ってないんだよなぁ。泣
そんな母と、お昼ごはん🍢
丸亀製麺に入庫したら
「ここ行きたかったんよ〜」と嬉しそうに。
お昼時間帯、大勢の客が並ぶ店内
湯気がもくもく♨️
その様子に圧倒されながらも
母は
この光景を
まるでテーマパークに来たかのように
キョロキョロと見渡す。
もちろん注文なんぞ出来ないだろうから
一つ一つ
流れについていけるように説明しながら。
そんな
支えないと歩けない母の身体と、
うどんプレートを片手に持ち
もぅ、大変でした、私。
そうして
硬くて食べれんわと
自分で取ったレンコン天ぷら。
大きなかき揚げも、
こんなに食べられんと。
「自分で食べきれん物を取らんのよ」て
子どもみたいなことを言っておいた。笑
そんな母、
どうやら
テレビCMで流れる、
この「丸亀製麺」とやらが
ずっと気になっていたようで
82歳でも
「食べたい」て欲があるってこと、
元気な証拠じゃけね。と伝えた。
うん♪
何度も「美味しかったー」と、
喜んでいた老いた母を見てると、
独り身の姉や
息子しかいない私には
こんな母のような老後はないだろうなと、
つくづく。
不自由であっても
幸せだよな、って思える。
一方、そんな私
話の噛み合わない母との時間
往復4時間の道のり
母の分まで食べた揚げ物類
クタクタの1日であった(^艸^**
本格的な寒さがやってきた日
実家の母に会いに行った。
片道2時間運転、
私も疲れが出るようになった。悲
寒々しく暮らす年の瀬
いつものように
話が噛み合わないが笑
語り口調から元気さは伝わってきた。
そんな82歳の母、
週2通うデイサービスで
「美容サロン」イベントが開催されたようで
マッサージ受け
綺麗に化粧をしてくれたこと。
そんな一連をわしゃわしゃ話して
撮ってもらった写真を見て
「これ遺影にするん?」と笑った。
そういえば、
いつからなんだろ、
母が化粧をしなくなったのって。
いろいろ褒めてくれる
デイサービススタッフには感謝だ😌
そしてお昼に
「鍋焼きうどん」を食べに出かけた。
82歳の胃袋にこの量食べれる?
の心配もなく
ハフハフしながら美味しそうに食べる。
私は、
友達や家族、職場など
いつも食べるのが誰よりも遅いんだけど、
そんな私よりも、
母の食事には時間がかかった。
数年前、
小さな頃の孫たちに
いつも声かけしてくれていた言葉、
「ゆっくり食べんさいね」を、伝える。
うん。
天ぷら衣がしみしみになった汁を
最後まですすって
「食べすぎた苦しい」と満足そうに。
転倒してからの回復の一年
今年も、それなりに老いてきた。
でも、
‘自分らしく暮らしたい’の母は強かった。
来年も、
よい一年でありますように
末っ子高校生男子
ばぁちゃんと一緒に紅葉狩り🍁
いつも、自然に優しく手をそえる。
元気な頃しか知らない兄貴二人とは違って、
ばぁちゃんが「老い」ていく
その姿をいつも間近で感じる。
そんな82歳の実母
昨秋、転倒して
要介護1を受けてリハビリし
今は出かけられるほどまで回復した♪
呉市蒲刈
「本宮神社」夫婦大銀杏
ほんの数年前まで
ばぁちゃんとても達者で
まだ末っ子の方が弱い存在だったのに
今は
うん。
末っ子が、ばぁちゃんを守る。
孫の成長が順に嬉しく
それが‘生きがい’だと喜んで語る母、
今の目標は
来年G.Wの長男の結婚式💒
広島から博多の式場まで出向くと
張り切って入歯もキレイに治した(^艸^**
そして、
次のイベントは、末っ子の成人式
成人年齢が、
20歳から18歳に変わったことを伝えると
「えー、ほうなんねぇ」と驚いていたが
うん、
まぁ、これはきっと忘れる( ˙灬˙ 爆
そんな
認知機能や足腰も弱っているけど
いつも娘でいる
いつも孫でいる
ありがとう(*´︶`*)❤
令和5年 ‘敬老の日’
末っ子、高校生
「ずっと元気でね💛」
ばぁちゃんにお小遣いでお花を贈る。
そんな、
82歳ばぁちゃんと、孫
3人の孫たち。
長男の時から
高校生の修学旅行に合わせ
キャリーケースを買ってもらってた。
長男時には11年前
とても元気だった。
(私も若かったし?笑)
それから今、現在
要介護1を受け、支えを使い歩く
でも
同じように
ショッピングモールで
修学旅行のキャリーケースを買ってもらった。
実母にとって、
それらが、
毎回カウントする一つずつの目標。
「まだまだ元気でおらんといけんわ」
うん♪
次の目標は、来年の長男の結婚式💒
いつも、
いつまでも、
ありがとう(*˘︶˘*).。.:*♡
お盆に82歳の誕生日を迎えた実母
この年齢になると
「来年のことは分からんわぁ」があって
昨年は、
衰えはあったものの
足腰はしっかりしてたのにさ、
それが実際、
昨秋に転倒して、
支えなくては歩けなくなった。
そして要介護1を受け
今は週2回のデイサービスに通う。
デイサービスは楽しいようで
今日は何を着て行こうかと、
どうやら派手目な服を選んでいるそうだ。笑
そんな今年のお盆、
お墓掃除も私の担当となった。
でも
有難いね、ご近所さんが
先にどこも草刈りをしてくれている。
「来年ことが分からん」
でもでもね、
認知機能衰えても、
私は覚えてるから。
足腰弱っても、
娘も孫も手を携えるから。
まだまだ
新しいこと見つけて
ずっと長生きをして(*´︶`*)❤
82歳を迎える母への贈り物
昨年転倒してから
支えなくしては歩けなくなった要介護1の母
日課だった
お花の世話や野菜作りができなくなり
畑は雑草が生い茂り放置されている。
母の作っていた不揃いの野菜が恋しい。
そして、
今年の誕生日には、花かご作ってみた♪
趣味で増やしている観葉植物が映える。
そうだね、
私の花好きは母の影響だね。
そういえば、
私が小学校の頃
よく家の花を学校に持って行かされた。
母は当時「タキイの種」を利用して
何かしらの購入品がよく届いていた。
父を早くに亡くし
唯一、母の贅沢な楽しみだったんかなと、
大人になって、
花は安くないと、
それが分かるようになった。
そして、
学校には
きれいめな包装紙でくるまれた花を持参した。
先生も「きれいだね」て、
‘お花係’もあった。
昭和50年代の話だ。笑
うん、
そうだね。
私の花好きは、
母からの贈り物だ(*´︶`*)❤
要介護1の
81歳実母が老健施設から退所する。
口では「施設で暮らす♪」て言ってたものの
やはり「楽しくない」と。
そうだよね、
不自由な身であっても
我が家が一番なんだよね、
と、いうことで
庭で転倒してから半年、
いよいよ我が家での生活に戻ることになった。
田舎の古い屋敷、
増築や改築を繰り返した我が家
だだっ広い日本家屋に手すりを付けて。
床が抜けペコペコしてた台所も一緒に直し
5センチあった部屋の段差をなくした。
元からの
古さが際立つ
介護保険適用箇所もあり
70万円程でリフォームは完了♪
「こんなにキレイにしてくれて」と
母は嬉しそうに泣いた。
また
「実家に帰れば母がいる」
そんな日常が始まる(^^✳︎
とはいえ♪
問題はまだまだ山積み。笑
早咲き桜が艶やかな3月中旬🌸
要介護1、
81歳実母が入居する施設へ面会に出かけた。
私の家での暮らしから
急に入所が決まってから1ヶ月が経過した。
面会時間は、ほんの15分。
2時間かけてきて
話せるのは、15分 ( ˙灬˙ 悲"
姉に伝えていた
今の入居生活が「楽しくない」との言葉
以前のリハビリ病院も
通ってたデイケアも喜んでいて
人と関わることが好きな母が
「楽しくない」ということが意外であった。
地元とはいえ
やっぱり自由になれない身
歩くほどの距離に我が家があるのに。
うん。
だから
そう、「帰ろうね♪」
自宅での生活を迎える準備を始めた。
「実家に帰れば母がいる」そんな日常に。
広島での開花も、もう少し(﹡ˆ︶ˆ﹡)♬*