自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆加害者が生きながら罪を償うということ

2023年07月21日 | ⇒ランダム書評

   「井上嘉浩」という人名で、とっさに浮かぶのはオウム真理教というカルト教団だ。1995年3月20日に東京で起きた地下鉄サリン事件は死亡者14人ほか負傷者数を多数出したオウム真理教による同時多発、そして無差別テロだった。神経ガスのサリンを散布を麻原彰晃(松本智津夫)教祖に提案し、実行役らとの総合調整という役割を果たしたのが井上嘉浩。死刑が執行されたのは2018年7月6日だった。

   5年が経って、一冊の本が出版された。高橋徹著「『オウム死刑囚 父の手記』と国家権力」(現代書館)=写真=。井上元死刑囚の自戒や、加害者の家族の葛藤がリアルに伝わって来る。以下、著書から。井上は高校2年(1986年)の時に、麻原教祖の姿に感銘を覚えて入信した。「白でも、尊師が赤と言ったら赤なんだ」と言いうまでに麻原教祖を絶対視するようになった。そして、「麻原の側近中の側近」「諜報省のトップ」「修行の天才」と言われるまでに。親から見れば、「率直で、まじめで、非の打ち所のない」自慢の息子が、いまで言うマインドコントロール下に置かれたのだった。

   家族の葛藤というのも、麻原のマインドコントロール下に追い込んだのは、まさに家族ではなかったのかとの状況もあった。井上は獄中で綴った手記に両親についてこう書いている。「たまに日曜日に一緒に食事をすると、突然大声を上げて卓袱台をひっくり返しました。母は金切り声を上げて、父とケンカし、二階の部屋へ引っ込みました。父は一階の応接間にこもりました。誰も掃除をせず、いつもの私が片付け、無性に悲しく一人で泣きました」。父母のケンカの原因は井上家が抱え込んだ債務だった。少年のころの井上にとって、家庭は心安らぐ場所ではなかった。中学2年のころから、古書店をめぐり、宗教の書物に救いを求めるようになった。

   特別指名手配されていた井上は地下鉄サリン事件の56日後に逮捕される。ここから、井上と両親の間で、面会や手紙をじて井上の自戒と両親の葛藤が綴られていく。逮捕から7ヵ月経った12月26日、父の諭しに応じた井上はオウム真理教に脱会届を出す。手紙でのやり取りでも、これまでの「尊師」が「松本氏」に変化した。一審は無期懲役の判決が出たが、二審では地下鉄サリン事件で総合調整役を務めたなどとして死刑に。判決の訂正を求めた被告側の申し立てを最高裁が棄却し、2010年1月に死刑が確定する。

   著者は、井上死刑囚から支援者に届いた188通の手紙や、父親が地下鉄サリン事件が起きてから死刑が執行されるまで24年間にわたり書き綴った手記(400字詰め原稿用紙でほぼ千枚)を読み解きながら、加害者の家族は加害者なのか、われわれは死刑制度をどこまで理解しているのか、加害者と被害者が向き合い、生きながら罪を償うというあり方は議論できないだろうか、と問いかけている。

⇒21日(金)午後・金沢の天気   はれ

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☆高額献金、ミサイル、防衛増税という負のスパイラル

2022年12月14日 | ⇒ランダム書評

   『週刊文春』(11月10日号)による、世界平和統一家庭連合(旧「統一教会」)の韓鶴子総裁と教団幹部らが2008年から11年にかけてアメリカ・ラスベガスのカジノを訪れ、日本円に換算して64億円もの金をギャンブルに注ぎ込んで、9億円の損失を出していた疑いとの記事は衝撃的だった。さらに、『文藝春秋』(2023年1月号)の記事は衝撃を超えて怒りがこみ上げてくる。「北朝鮮ミサイル開発を支える旧統一教会マネー4500億円」という見出しの記事だ。

   10ページにわたって詳細に経緯が書かれている。旧統一教会と北朝鮮の接近を観察していたアメリカ国防総省の情報局(DIA)のリポートの一部が機密解除され、そのコピーを入手した韓国在住ジャーナリストの柳錫氏が記事を書いている。以下、記事の要約。旧統一教会の文鮮明教祖は1991年12月に北朝鮮を訪れ、金日成主席とトップ会談をした見返りとして4500億円を寄贈していた。寄贈は現金での手渡しのほかに、旧統一教会がアメリカ・ペンシルベニア州で保有していた不動産の一部を売却し、300万㌦を中国、香港経由で北朝鮮に流れている。

   旧統一教会から北朝鮮に流れた資金はそれだけではない。教会日本本部運営局の2007年の資料では、教会の関連団体を通じて、毎月4000万円から4800万円の資金が北朝鮮に定期的に送金されたと記されている、という。こうした資金が北朝鮮で核やICBMの開発に使われた可能性があると、多くの証言や資料をもとに分析している。

   その一つとして、DIA報告書では、1994年1月にロシアから北朝鮮にミサイル発射装置が付いたままの潜水艦が売却された事例がある。売却を仲介したのが東京・杉並区にあった貿易会社だった。潜水艦を「鉄くず」と偽って申告して取引を成立させていた。韓国の国防部は2016年8月の国会報告で、北朝鮮が打ち上げたSLBM潜水艦発射型弾道ミサイルは北朝鮮に渡った「鉄くず」潜水艦が開発の元になっていたと明かした。この貿易会社の従業員は全員が旧統一教会の合同結婚式に出席した信者だった。   

   旧統一教会は日本で集めた資金を北朝鮮に貢いで、それが北朝鮮からICBMとなって日本に向ってくる。そしていま、日本を騒がせている防衛費増税になっている。「負のスパイラル」とはこのことだ。

⇒14日(水)夜・金沢の天気    くもり

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★アッと思わず手を打つ「英語の語源」

2022年01月26日 | ⇒ランダム書評

   面白い本を紹介してもらった。小泉牧夫著『アッと驚く英語の語源』(サンマーク出版)だ。日常でなにげなく使っているカタカナ英語の由来を知ると現代も見えてきて実に興味深い。

   本の内容をいくつか紹介すると。英語で「銀行」は「bank」だが、イタリア語のbancaが語源で「銀行」のほかに、「ベンチ」「土手」という意味がある。さらにそのツールをたどると、ゲルマン語のbanKōn「バンコーン」に行きつく。「土で盛り上がった平たい場所」という意味だ。キリスト教では利息を取って金を貸すことは教義に反するとされていた。しかし、中世後半に入ると、ローマ・カトリック教会はサン・ピトロ寺院の再建費用などに「免罪符」を大量発行し、それを高利貸しが販売を引き受けるという構図が出来上がる。これにドイツの神学者マルティン・ルターはローマ教会の堕落と非難し、宗教改革を起こす。賛同した画家ルーカス・クラーナハは『金貸しを神殿から追い出すキリスト』という木版画を描いた=写真、Wikipedia「金貸し」=。

   当時は地中海貿易で諸地域の通貨が流通するようになり、高利貸しは「両替商」も兼ねるようになる。彼らは教会前の広場でベンチに座り、勘定台を置いて金のやり取りをした。そうした勘定台での金銭の扱いをイタリア語でbancaと呼ぶようになった。bankの語源をたどるだけで、世界史に記されている歴史ドキュメントが浮かんで来る。

   もう一つ。英語のschool「学校」は、ギリシア語のskholē「スコレー」、ラテン語のschola「スコラ」が語源で、もともとは「暇」「余暇」という意味だ。古代ギリシアや古代ローマは奴隷制で成り立っていたが、その分、貴族や市民は暇な時間を政治や哲学、芸術に費やした。英語で「学者」という意味のscholarは、ギリシア・ローマでは文学を専門とする「古典学者学」のことで、ラテン語で「学校の」という意味のscholāris「スコラーリス」から派生した。

   ここで著者は述べている。元来「暇」という意味だった「学校」が、日本ではまったく逆の「忙しく余裕のない場所」になっている。受験戦争が激化して、ゆとりというものがなくなった。古代ギリシア人やローマ人のように、時間的にも精神的にも余裕を持って勉強することができないものだろうか、と。なるほど、これは時空を超えた問題提起かもしれない、と思わず手を打った。

⇒26日(水)午前・金沢の天気   

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★個性と物語「在来イネ品種」にほれ込む

2021年01月16日 | ⇒ランダム書評

    能登半島の尖端にあり、小学校の廃校舎を活用している金沢大学能登学舎で、2007年に始めた人材育成事業はことし14年目を迎える。スタートの第1フェーズでは「能登里山マイスター養成プログラム」との名称で、そして現在は第4フェーズに入り、「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」と改称し、国連のSDGsの考え方をベースに里山里海の持続可能性を学ぶカリキュラムとして社会人受講生に提供している。

   能登は自然環境と調和した農林漁業や伝統文化が色濃く残されていて、2011年には国連の食糧農業機関(FAO)から「能登の里山里海」として世界農業遺産(GIAHS)の認定を受けるなど、国際的にも評価されている。一方で、能登は深刻な過疎・高齢化に直面する「課題先進地域」でもある。新しい地域の仕組みをつくり上げる、志(こころざし)をもった人材が互いに学び合い切磋琢磨することで、未来を切り拓く地域イノベーションが生まれることをこの人材育成プログラムに込めている。

   これまで13年間で修了生は196人。面白い取り組みで注目されているマイスターがいる。能登半島の付け根に位置する羽咋(はくい)市で農業を営む越田秀俊・奈央子さんから「今月号の『現代農業』(2月号)に在来イネ品種のことを投稿しました」とメールで便りが届いた。二人はマイスタープログラムで学び、その後結ばれた。

   『現代農業』で「在来イネ品種に惚れた!」とのタイトルで投稿記事が紹介されていた=写真=。かつて、日本には多様な在来イネ品種があった。歴史の中で淘汰され、今はコシヒカリなどが主流だが、在来品種にはそれぞれ個性と物語があり、復活の兆しがある。就農5年目の二人が取り組んでいる水稲は「銀坊主」「関取」「農林1号」など。

   中でも、銀坊主は明治時代に富山の農業者が1株だけ倒れないイネを発見したことがきっかで北陸などでかつて普及した。この倒れにくい耐倒伏性は荒れ気味の天候にも強く、二人はこの品種に生命力を感じている。さらに、素朴で主張しない味は、濃い味付けのおかずに合うそうだ。奈央子さんは「銀ちゃん」と親しみを込めて栽培に工夫を重ねている。

   秀俊さんは投稿記事の中で、在来品種について「私たち新規参入者にとってはありがたい側面があります」と2つのメリットを上げている。栽培者が少ないので競合を避けることができること。そして、品種そのものに物語があるため、購入者に説明しやすい。何より、「古い品種の栽培はとても面白い」と。芒(のぎ)の長さや葉の鋭さ、太さ、収穫量、野性味など品種ごとに違いがあり、「こんなイネがあったんだ」と新鮮な驚きを届けてくれる。在来品種にほれた二人が懸命に栽培に取り組む様子が目に浮かぶ。

⇒16日(土)午後・金沢の天気     あめ

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★ゴーン被告、風と共に逃げた謎を解く

2020年01月14日 | ⇒ランダム書評

         新聞を読んでいて、割と楽しみにしているのは週刊誌の広告だ。先日も週刊新潮(1月16日号)の広告を見ていて、「風と共に『ゴーン』10の謎」という大見出しが目に飛び込んできた。映画「風と共に去りぬ」のタイトルと、カルロス・ゴーン被告のレバノンへの逃亡をひっかけて、かなり捻った見出しだった。さっそく、コンビニで購入した。これが、なかなか面白く深い7ページの構成になっている。

   面白いと思ったのはレバノンの国柄についての記述。あの日本赤軍によるイスラエル・テルアビブ空港での銃乱射事件(1972年5月)の実行犯の一人が岡本公三。イスラエルとパレスチナ解放人民戦線総司令部との捕虜交換で1985年からレバノンに戻っている。イスラエルと戦った英雄として、現地では「コーゾー」と呼ばれる。記事によると、NHK-BSで朝ドラや相撲を楽しんでいるようだ。日本政府はレバノンに岡本の返還交渉をこれまで迫ってきたが、イスラエルと戦った英雄であり交渉に応じていない。一方のゴーン被告は暴利を貪ったイメージがレバノン国内にはあり、「枕を高くして寝られるとは限らない」とコーナーを締めている。

   深いと感じたのは、今回の逃亡劇で弘中惇一郎、高野隆の両弁護士の責任について触れている点である。ゴーン被告には民間の警備会社が行動を監視していた。日産が雇った「探偵」と弘中弁護士が年末に記者団に明かし、12月27日に告訴した。この「監視排除」の直後にゴーン被告は逃げた。結果的に、両弁護士がやったことは高額な報酬をもらってゴーン被告の海外逃亡のお膳立てをしたことになる。両弁護士は辞任より先に、記者会見で経緯を明らかにすべきとの他の弁護士の意見を伝えている。「辞任の意向というが、それでこの問題から逃げられるのであれば、検察も警察も、そして弁護士も要るまい」と結んでいる。

  最後は映画の話だ。ゴーン被告は逃亡劇で使ったとされる22億円相当を手記と映画化で稼ぎ出すことをハリウッド関係者と相談しているようだ。プライベイートジェットという風と共に消え去ったゴーン被告をめぐる10の謎。新聞やテレビが報じていない裏側に迫っていて、なかなか読み応えがあった。

⇒14日(火)朝・金沢の天気     くもり

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☆「ルーズソック」から「ググる」へ

2018年11月09日 | ⇒ランダム書評

  いま何かと話題になっている三省堂『現代新国語辞典』(第六版)を近くの書店で購入した。高校生向けの辞書なので、どのような若者言葉が掲載されているのか、あ行からページをめくっていく。「インフルエンサー」が目にとまった。「〈名〉[influencer]経済・流行・価値観などに関して、多くのひとびとに強い影響を持つ人物。とくに、インターネットなどのメディアを通して購買活動に大きな影響を与える人を言う。」。大学でなど学生たち話していると、最近よく出てくる言葉で頻度が高い。「将来はITのインフルエンサーとして起業したい」などと。

  か行では「くさ【草】」が面白い。「〈名〉④[ツイッターなどで]笑う(・あざける)こと。笑えること。[warai の頭文字を並べた www が、草が生えているように見えることから]」。確かに、メールでもWWWは「結構笑えますよ」という意味で、使われている。「ググる」=写真=も出ている。「〈他動五段〉アメリカの企業『グーグル(Google)』の検索サイトを使って、調べる。」。若者のネットスラング(俗語)の代表格だろう。

  増えていると感じるのは、スマホやSNSに関連する単語だ。さ行の「スクショ」はもともと「スクリーンショット」の意味。「スマートフォンやパソコンの画面全体を、そのまま画像として保存する機能。画面キャプチャー。スクショ。」とある。ABC略語集では「TW」は「⇒ツイート」。「FF」は自分の知る範囲では早送り(Fast Forwrd)や駆動車の解釈だったが、追加されて「[ツイッターで]でフォロー、してもいないしされてもいない間がら」とあり、用例として「FF外から失礼します」。丁寧と言うか、わざわざ載っている。

  第六版をランダムに読んでいるとそれだけで新しい発見があったりして、言葉は変化するものだと実感する。暇つぶしにもなる。こんな話題を同僚と話していると、研究者の一人が「若者言葉はイージーカム、イージゴーなんだよね。流行り廃れが激しくて。第六版からはもう『ルーズソックス』は抜け落ちているよ」と。調べると確かにない。高校生向けの辞書なのに、「ルーズソックス」がない。そう言われてみれば、ルーズソックスの女子高生は街中でも見かけなくなった。

  でも一世を風靡したファッションなのに、なぜ削除をと考え込んでしまう。言葉の流行り廃れというより、出版社は掲載する言葉の入れ替えを常にやっておかないと、ページ数がどんどん増えて重くなり、辞典が買ってもらえなくなると懸念しているだけはないかと勘ぐってもいる。

⇒9日(金)夜・金沢の天気     くもり

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☆「百万石まつり」に読む「井の中の蛙」

2018年06月04日 | ⇒ランダム書評

   ことしの「金沢百万石まつり」は何かと話題になった。1日夜に行われた浅野川での「加賀友禅燈ろう流し」で、1200個の灯籠のうち川面に灯篭が溜まり、灯籠のろうそくの火が次々と半数に燃え移った。灯籠は伝統工芸の加賀友禅の作家や大学生たちが一つ一つ和紙に絵付けしたもの。たまたま目撃した知人の話だと「火の海という感じで、イベントのクライマックスかと思った」と。祭りの前夜祭が妙な盛り上がり方をしたものだ。

   2日の百万石行列は地元のテレビ局の中継番組を視聴した。藩祖・前田利家役が俳優の高橋克典、お松の方役が女優の羽田美智子の両氏。JR金沢駅前で高橋利家が「皆のもの、いざ出立じゃ」と第一声を発して行列が始まった。主催者発表で42万人の人出となったようだ。武者行列に甲冑を付けて参加した地元女性から聞いた話。「女子もボランティアとして参加でき面白い。見るだけじゃつまらないから」「金沢商工会議所で甲冑を身に付けて、それからJR金沢駅に移動。甲冑姿でバスに乗ると妙な感じで、インスタ映えするのか、周囲から写真をよく撮られた」と楽しそうだった。

   3日は百万石茶会に参加した。兼六園の時雨亭では吉倉虚白宗匠(表千家)の茶席に。茶室から深緑の庭園を眺めると抹茶がさらに美味しく感じられた。もう一席。金沢21世紀美術館横の茶室「松涛庵」では立礼席で一服。待合で小学生らしき子どもたちがいた。皆それぞれに懐紙を持参しているので、横に座った男の子に尋ねると、「福井から13人で来ました。みんなでお茶を習っています。百万石茶会を楽しみに来ました」と。ちょっと緊張した面持ちながら無駄のない、あっぱれなものの言い方だった。

   午後から石川県立歴史博物館に赴いた。「明治維新と石川県誕生」という特別展を見に行ったのだが、すでに先週5月27日で終了していた。そこで、図録=写真=を購入し読んだ。興味深かったのは、1871(明治4)年7月の廃藩置県で薩摩出身の内田政風が初代の石川県令(知事)として金沢に赴任したときの手紙だ。図録によると、内田はもともと薩摩藩主・島津久光の側近だった。島津は西郷や大久保ら政府の開化政策を公然と批判していたため、島津の力を削ぐためにあえて側近の内田が地方官として出されたようだ。薩摩から石川県のトップは金沢で何を見て、何を感じたのか。

   図録には、内田が同年10月5日に大久保利通と西郷隆盛らに宛てた書簡の内容が掲載されている。実際の書簡は長さ3㍍に及ぶ長文。城下町で消費都市であった金沢の経済を回すために米切手の発行を認めてほしいと要求している。藩政時代は各藩が年貢の米を見込んで米商人に米切手を発行して財政赤字を補っていた。明治政府は正規通貨の流通の妨げになるとして、明治4年4月に米切手の流通禁止を命じている。禁止されことをあえて復活させてほしいと嘆願するほど県の財政は困窮していたのだろう。

   さらに面白いのは当時の金沢での士族たちの在り様を評している。士族たちは「過禄」、つまり十分過ぎるほど米を与えられており、百万石の大藩ゆえに「井の中の蛙(かわず)」だと書いている。明治維新の世の動きを理解していないと嘆いているのだ。内田は1875(明治8)年3月に県令を辞任し、再び島津家に仕えた。その2年後、1877(明治10)年に西郷隆盛を中心に士族の反乱「西南の役」が起きる。さらに翌年、事件が起きる。政府の処遇に反発する、いわゆる「不平士族」の島田一郎らが1878(明治11)年5月に大久保利通を東京・紀尾井坂で暗殺する。実行犯6人のうち島田ら5人は元加賀藩士だった。

   内田は明治26年、77歳で亡くなるのだが、この金沢の不平士族らによる大久保の訃報に接して何を想っただろうか。やはり「井の中の蛙 大海を知らず」と嘆いたのだろうか。金沢百万石まつりの3日間は珍しく晴れの良い天気で、レンガ造りの歴史博物館は青空に映えた。「井の中の蛙…」の続きの句を思い出した。「されど空の深さを知る」。とりとめのない文章になった。

⇒4日(月)朝・金沢の天気     はれ 

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☆音楽文化を守るブラックジョーク

2018年05月22日 | ⇒ランダム書評
    良い意味でも、悪い意味でも我々日本人は真面目過ぎる、と思うことがままある。その「悪い意味」の典型的な事例が、物事を徹底してやるということではないだろうか。先日(今月18日)東京で開催された「JASRACの音楽教室問題と最新の著作権事情」と題する勉強会(主催・株式会社ニューメディア)に参加した。音楽教室から使用料を徴収する背景とは一体何だろうかと疑問に感じていたからだ。

   講師は城所岩生(きどころ・いわお)氏。もともとNTTの社員だったが、ニューヨーク駐在になり、アメリカでは通信法専門の弁護士がいるのを知り、一念発起して働きながらロー・スクールで学位を取得、米国弁護士となった。城所氏の近著が『JASRACと著作権、これでいいのか ~強硬路線に100万人が異議~』(発行:ポエムピース、2018年3月)。刺激的なタイトルだが、「Q&A」で構成する実に読みやすい内容だ。

     一部を紹介する。「Q:なぜ音楽教室からも使用料を徴収しようとしている?」に対して、「A:フィットネスクラブやカルチャーセンターなど、他の施設からも徴収してきたから!」が返答。「Point」として解説がつく。その中で、JASRACが音楽教室への徴収に踏み切る背景として、CDなどの売上が減少する中で、過去5年間の使用料等徴収額が維持できたのは、フィットネスクラブ(2011年)、カルチャーセンター(2012年)、社交ダンス以外のダンス教授所(2015年)、カラオケ教室・ボーカルレッスンを含む歌謡教室と順に使用料徴収を始めたからだと指摘している。つまり、JASRACは時代の逆風の中、徴収先を開拓し、なんとか使用料等徴収額を維持してきた。結果的に廻りを固めて、最後に残ったのが子どもたちの音楽教室というわけだ。

     講演の中で城所氏は、「今までの使用料徴収施設の主な顧客は大人だった。しかし、音楽教室には多くの子どもたちが通う。音楽教室は学校ではないが、いわば公教育を補完している。レッスン料を上げることは、音楽文化のさまたげになるのではないか。なんでも一律で徴収するというのは疑問だ」と問題提起をした。

     さらに話はパロディに及んだ。日本はパロディという言葉はよく使われるが、要は、元作品を題材として新たな作品をつくる二次的著作物のこと。著作権上では合法化されていない。合法にならない理由として、1980年に最高裁が非合法の判決を下した、パロディモンタージュ事件がある。雪の斜面をシュプールを描いて滑降する6名のスキーヤーを俯瞰するプロ写真家の作品。滑降跡がタイヤ痕跡と似ていることから、元の作品の山頂部にタイヤを置いて合成したもの。パロディを合法化するには最高裁が新たな判断をしない限り難しい。著作権法の改正ではなくても、著作権の解釈・運用の変更ということもあるが、その場合も著作権者の「お目こぼし」が前提となる。

     著作権法を「岩盤規制」として使用料徴収に邁進していくのか、インターネットの創作環境の中で新たなイノベーションの切り札として活用していくのか。それにしても、JASRACが音楽文化を守るために使用料等徴収額を維持しようと頑張り、子どもたちが通う音楽教室が最後に残って、他の業界と扱いを不公平したくないと徴収を迫るのであれば、これは大いなるブラックジョークではないだろうか。

⇒22日(火)午前・金沢の天気   はれ
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☆「快楽的持続可能性」

2017年12月12日 | ⇒ランダム書評
   最近よく目にし耳にする言葉に「持続可能性(Sustainability)」がある。私自身よく使う。講義などで「自然と共生するという言葉は持続可能な社会づくりのポイントだ」「国連の持続可能な開発目標(SDGs)は発展途上国のみならず、先進国自身が取り組む普遍的なもの」などなど。しかし、自ら語りながら、その言葉を使うことに若干のわだかまりがないわけでもなかった。

   たとえば、持続可能性を高めるにあたって、国連から「日本は電気、ガソリンを使いすぎる。これでは持続可能な国際社会は創れない。日本人はエネルギー使用量を3分の1に削減すべきだ」といった要求が突きつけられたら、果たして耐えうるだろうか。冬だったら暖房の温度を下げて時間制にする。車も距離制にして乗らない日を設けてひたすらストイックな生活をして持続可能な国際社会に貢献する、といったイメージだ。

    そうなったら日本中で大混乱が起きるだろう。高齢化社会で寒さに耐えることは可能か、車社会の中で通勤はどうなるのか、高度成長前の質素な社会に戻るのか、なぜこそまでして国連に従うのか、と議論は沸騰するだろう。『人類の未来』(吉成真由美編、NHK出版新書)を読んでいて、考えるヒントもらった。「第4章都市とライフスタイルのゆくえ」にある、建築家ビャルケ・インゲルス氏の考察と実践だ。

   彼はインタビューで述べている。「持続可能性というチャレンジを、政治的なジレンマではなくデザイン上のチャレンジとして受け止めとようということです。実際に都市や建物を作るにあたって、持続可能性を実現するために、例えば冷たいシャワーを使わなければならないというような、様々な場面での生活の質を落とした妥協の産物にするのではなく、もっと積極的なアイディアを出して、持続可能な都市はそうでないものよりずっと快適だというふうに発想転換したものです」

   著書では、コペンハーゲン・ハーバー・バス(港を海水浴できる場所に変えるプロジェクト)を事例に、生活の質と環境の質を同時に引き上げることは可能だと説いている。インゲルス氏はそれを「快楽的持続可能性(Hedonistic Sustainability)と表現している。人は課題を突きつけられると、つい比較論で考えてしまう。「日本人は確かに他の国よりエネルギー消費は多いので、少し減らそうか」と。しかし、いったん生活の切り詰めに妥協してしまうと際限がなくなるのが世の常だ。そこを突破するキーワードが快楽的持続可能性ではないだろうか。

   「人類は生活を向上させることこそが進歩だ、日本には省エネで効率のよい生活を送る技術と知恵がある」と言い切って、その技術と知恵を世界に提供すればよいのではないだろうか。快楽的持続可能性、この言葉がわだかまりを解いた。

⇒12日(火)午後・金沢の天気  みぞれ
   
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☆鼻毛大名のヒストリー

2017年05月28日 | ⇒ランダム書評

   前回(5月11日)のブログ「★気になる沖縄での動き」を書いてから、アメリカで起きたトランプ大統領をめぐる動きが気になっている。それはトランプ氏とロシア側との不適切なかかわり「ロシアゲート」疑惑の始まりではないかとメディアで騒がれている、FBIのジェイムズ・コミー長官解任事件(5月9日)だ。トランプ氏の「やましい」ところを内外に晒す格好になった。さらに、司法省は去年のアメリカ大統領選挙にロシアが介入したという疑惑を捜査するため、ロバート・モラー元FBI長官を特別検察官に任命(5月17日)。一気にロシアゲート疑惑に真実味が帯びてきた。25日にはアメリカのメディアが、FBIが、トランプ氏の義理の息子で上級顧問を務めるジャレッド・クシュナー氏の事情聴取を検討していると伝えた。

   こうした一連の動きにで気になっていることは、追い込まれたトランプ氏は何をしでかすか分からない。ひょっとして、メディアや世論の目をそらすため、北朝鮮への「斬首作戦」を実行するのではないかと。その実行の日は「★気になる沖縄での動き」で述べたように、真っ暗闇となる5月の新月、つまり今月26日だったが、注目していた動きはなかった。ただ、日本のメディアが26日にアメリカ太平洋艦隊の発表として伝えたように、アメリカ西海岸ワシントン州の海軍基地に空母ニミッツを太平洋の北西部に派遣すると発表した。朝鮮半島の近海には すでに空母カール・ビンソンとロナルド・レーガンが展開している。それにニミッツが加わることで、核実験や弾道ミサイル発射などの挑発行為を続ける北朝鮮に圧力をかけるのが狙いだろう。そして次の新月は6月24日だ。

   話はがらりと変わる。先日、知人らを誘い合って東京国立博物館に特別展「茶の湯」を見学に行った。その帰り、茶道と加賀藩の歴的な関わりなどについて造詣が深い知人からエピソードなど教わった。京都の茶道・藪内家の茶室「燕庵(えんあん)」には「利家、居眠りの柱」とういエピソードがある。京の薮内家を訪れた加賀藩祖の前田利家が燕庵に通された時、疲れがたまっていたのか、豪快な気風がそうさせたのか、柱にもたれかかって眠リこけてしまったという。こうした逸話が残る燕庵を後に利家の子孫、11代の治脩(はるなが)が1774年に燕庵を模して兼六園内に夕顔亭を造った。3代の利常には大名茶人として知られた小堀遠州の娘婿・小堀新十郎を召抱え、加賀藩の茶道の基盤をつくった。

   話はここから深みに入る。「ところで3代の利常は加賀藩が幕府から警戒されないように、鼻毛をわざと伸ばしていたんですよね」と金沢では知られた話を知人に投げると、「いや、話はまったく逆で幕府を刺激するために伸ばしていた説がある」と磯田道史著『殿様の通信簿』(新潮文庫)を薦めてくれた。さっそく買って読むと、これまでの利常のイメージとはまったく異なり、目から鱗が落ちるとはまさにこのことか思った。

   金沢に育った多くの人の間では、先の「利常の鼻毛」は百万石という大藩を守るため、あえて愚鈍さを演出することで幕府の警戒感を和らげたとというのが相場である。本著は見事にそうした相場感を覆してくれる。もともと藩祖・利家は「槍の又左」と言われた剛腕で、息子の2代利長は父から豊臣秀頼公をお守りするよう厳命を受ける。ただ、時代の趨勢は徳川に傾いていて、母親まつを江戸に人質として差し出すことをバランスを取った。3代の異母兄弟であった利常は父親似で長身で体格もよかった。家康は慶長10年(1603)に引退する利長と3代として家督を継ぐ利常と面談した。利常13歳である。作者によると「利常を子どものころから徳川の色にそめていきたいと、目論んでいただのだろう」と推論し、家康は秀忠の娘・球姫を3歳にして9歳の利常に輿入れさせた史実を上げている。利常は13歳で義理の祖父・家康と初めて対面したのである。そして「松平筑前守」を名乗るように利常に名前を授けた。名実ともに「家康は前田を完全に徳川に取り込もうとしていた」。さらに、家康は側近の本多正純の弟・本多政重を家老として加賀藩に送り込む。

   秀吉側だった利家、父より厳命を受けていた利長はバランスを取ることに苦心した、そして利常は徳川家の娘婿として、22歳で大阪冬の陣に4万、夏の陣に2万5千の軍勢を整えて豊臣攻めに参戦することになる。本著で初めて知ったのだが、その後、利常は家康から国替えの話を持ちかけられた。四国一円(阿波、讃岐、伊予、土佐)である。それを利常は「加賀が本国でござりまするゆえ」と断わっている。家康は加賀が京と近く、京に上る可能性のある大名として警戒感を解かなかったのではないかと推測している。これは著者の記述だが、「前田家が北国の雪にとざされておらず、四国に巨大藩として存在していたら・・(中略)・・明治維新は加賀藩の手でなしとげられていたかもしれない」。

   こうして成長した利常は若年の家光を「いじめた」。利常は戦国時代の申し子であり、豪快に笑い、大声で怒鳴った人物、そして長身で大阪冬の陣、夏の陣でも活躍した。その大名が鼻毛の長さを気にするタイプでなかった。まさに著者が述べている。「近世という時代をひらいたこの精神は信長の生をもってはじまり、利常の死をもって終わった」。戦国動乱から天下太平の世を生き抜いた大名のヒストリーを著書から感じた。

⇒28日(日)午前・金沢の天気  はれ

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