自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★能登と金大のいま‐下

2009年02月16日 | ⇒キャンパス見聞

 去年の9月25日に佐渡でトキが10羽放鳥された。そのトキが40キロある佐渡海峡を飛び越え本州に飛んでいったというニュースがあった。見つかったのは新潟県胎内市なので、放鳥されたところからダイレクトに飛んでいたら60キロ。これまで、飛べて30キロ程度だろうといわれていたので、関係者に驚きを隠さなかった。

  トキが復帰できる環境づくり

  佐渡から胎内市まで60キロなら、佐渡から能登半島までは70キロ。それなら能登半島にも飛んでくるにちがいない。北風に乗ればそんなに難しい話ではないはず、と、能登の人たちはトキの飛来を期待している。能登半島は本州で最後の野生のトキがいたところ。1970年に最後の一羽が捕獲されて、本州のトキがいなくなった。繁殖のために能登から佐渡の保護センターに移されたが、翌年に死んでしまう。解剖した結果、内臓から有機水銀が高い濃度で検出され、農薬の影響を受けていたことが分かった。

  トキはいろいろなものを食べている。サンショウウオ、ドジョウ、カエル、サワガニ、ゲンゴロウなど。トキが一羽生息するには多様な水生生物がいるということが前提になる。ということは、自然の力でこういった生物が田んぼや小川に蘇ってくるような農業をやらないといけないということにる。お手本になるのは兵庫県豊岡市。豊岡の人はコウノトリを大切にしていて、高いところにねぐらを作ったり、コウノトリと共生している。コウノトリも魚を食べるから食物連鎖の頂点に立っているが、昭和30年ごろから大量に農薬をまくようになって、数が減り、捕獲して人工繁殖を始める。「きっと大空に帰すから」と地元の人たちもコウノトリが再び舞う田んぼづくりに協力した。いま豊岡ではコウノトリが野生復帰した。人間はなるべく農薬を使わず、手で雑草を取っているという光景がみられるようになった。もちろん農家の人たちはボランティアでやっているわけではない。コウノトリが舞い降りる田んぼの米「コウノトリ米」は、1俵(60㎏)が4万円する。通常スーパーなどで買える米は1俵1万2千~3千円なので、それだけ付加価値がつく。

  金沢大学は、新潟大学や総合地球環境学研究所の研究者にも参加してもらって、能登でどういう農村づくりをやっていけばトキがくるようになるか調査研究を始めている。環境にやさしい農業をすることによって、田んぼ周辺の生物多様性が高まり、将来トキがいつ飛んできてもいいような環境をつくる。トキがいる田んぼは、安心で安全なお米がとれる。そしてそのお米には付加価値がつく。さらにトキがくることによって新たな観光地としてエコツーリズム、グリーンツーリズムが生まれる。豊岡では年間49万人の観光客がやってくるそうだ。環境に配慮する地域づくりをすることによって、能登半島のイメージをアップしたい。それができれば、若者が生きがいや夢を感じて、あるいはビジネスチャンスを見越して来てくれるのではないか。少なくても人口流出に歯止めをかけたい。

  いま「里山」はわれわれの想像を超えて、世界から注目されている。去年5月、ドイツのボンで開かれた生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)で日本の環境省と国連大学高等研究所が主催した「日本の里山里海における生物多様性について」の発表会は随分と反響があった。事務局長のアハメド・ジョグラフ氏は環境省の「SATOYAMAイニシアティブ」計画を高く評価して、「これまで産業一途に走ってきた日本が、こんどは自らの生き方を環境という視点で見直す壮大な試みではないか。ぜひ世界に向けて情報発信してほしい」とエールを送った。  2010年、名古屋を中心にして生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が行われる。金沢市ではCOP10のクロージング会議が予定され、同時に能登エクスカーションも計画されている。

  能登半島に新たな風を吹き込むことで、アジアの里山里海の再生モデルを能登から発信していきたい、金沢大学ではそのような構想を具体化する動きが始まっている。 ※写真は、08年1月に能登空港ターミナルビルで開催された金沢大学「里山プロジェクト」主催の「トキを呼び戻す生物多様性シンポジウム」。

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☆能登と金大のいま‐中

2009年02月15日 | ⇒キャンパス見聞

 金沢大学はかつて城下町の中心街にあったが、20年ほど前に金沢近郊の里山に移転した。山の中なので、タヌキ、キツネ、ときにはクマも出る。「せっかくだから、この周囲の森を利用しよう」と自然生態学の研究者たちは意気揚々となった。それが金大の里山活動の第一歩になった。1999年からキャンパスの里山を研究し、その森を市民参加で活用することがスタートした。10年ほど前に「エコ」という言葉が一種のブームになり、エコがいっぱいの森の大学で、野鳥観察会などが始まった。いまでは市民ボランティア650人が登録していて、毎月第2と第4土曜日に活動している。小学校の子供たちにも総合学習の場として提供し、竹林の整備やキャンパス内の棚田で農薬を使わない50年前の米作りを市民ボランティアの人たちと一緒にやっている。無農薬の田んぼにはゲンジボタルやヘイケボタルがやってきてちょっとした名所にもなっている。

  「里山マイスター」目指す35人

  そして、能登半島では社会人の人材養成に「里山マイスター養成プログラム」が動いている。社会人を対象にして、特に能登半島で農業や漁業をやりたいという都会からの再チャレンジ組み、I/Uターンの人たち。われわれが目指しているのは環境配慮型。なるべく農薬や除草剤を使わない、そんな農業を能登半島でどうやったら実現できるか。現在1、2期生を合わせて35人が学んでいる。目指す人材育成の3つの要素は「環境配慮と生産技術に工夫を凝らす篤農(とくのう)人材」、「農産物に付加価値をつけるビジネス人材」、「地域と連携し新事業を創造するリーダー人材」。このどれか一つではなく、これら三つを兼ね備えた人材を作っていこうというのがこのプログラムの欲張りなところだ。

  授業は毎週土曜日と隔週金曜日にあって、ワークショップや実習が中心の授業である。農業人を育てると公言しているが、実は金沢大学には農学部がないので、実地の部分は地元の農業・林業・水産業のプロの人たちに指導を願っている。農業、水産業、林業をひととおり体験してもらうことで、自分は農業だけしかやったことがなかったけれど、林業もできるかもしれないとか、水産加工物と農作物をミックスしてお漬け物のかぶら寿司(ブリと青カブラのこうじ漬け)を作ったりと、発想が柔軟になる。

  また、リモートセンシングの衛星データを解析して作柄の管理をするなど、新技術の習得もやる。この人材養成プログラムは、国の委託を受けてやっているので授業料は無料。2年間のプログラムを学んで卒論を書くと「里山マイスター」の称号が学長から授与される。5年間で60人の里山マイスターを育成することが目標だ。

  さて、これまで環境配慮、里山と言ってきたが、果たしてこのプログラムが地域再生につながるのか、たかだか農業人材や一次産業の人材を60人養成したからといって、過疎がとまるのか、と我々もそんなに簡単ではないと考えている。むしろ、必要なのは能登の将来ビジョン、あるいは戦略や仕掛けといったものだ。(次回に続く) ※写真は、里山マイスター養成プログラムの田植え実習。

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★能登と金大のいま‐上

2009年02月14日 | ⇒キャンパス見聞

 能登半島というとどんなイメージをお持ちだろうか。おそらく東京からみると、裏日本とか、どこか最果てのような感じをお持ちではないか。昭和36年、能登半島の先端の岬に立った俳人・山口誓子は「ひぐらしが 鳴く奥能登の ゆきどまり」と、非常に寂しいところに来てしまったという句を読んだ。かと思えば、この先端に立ったとき「アジアが近いね」と中国大陸の方を眺める人も多い。能登半島を日本の行き止まりと感じる人と、ここからアジアが見えてくると表現される人。おそらくそこは、その人の世界観ではないか。

    「大学らしからぬこと」

  石川県に3年ほど赴任したことがある国連環境計画(UNEP)のアルフォンス・カンブ氏は、日本海をじっと眺めて、「1976年に地中海の汚染防止条約ができました。日本海にも条約をつくって、日本海の環境を守りたいですね」と持論を述べたことがある。彼はUNEPで条約づくりに携わっている。また、金沢大学で黄砂の研究をしている岩坂泰信特任教授は「能登は東アジアの環境センサーじゃないのかな」と感想を述べた。大陸から舞い上がった黄砂が日本海をずっと渡ってくる。そのときにウイルスが付いたり化学物質が付いたりしていろいろ変化している。岩坂教授は昨年、「大気観測・能登スーパーサイト」構想を打ち上げ、観測拠点を着々と整備している。日本海を眺めながら、いろいろなことを考えている人がいる。

  能登半島の先端に金沢大学の人材育成拠点「能登里山マイスター養成プログラム」の拠点がある。ここでは、廃校になった小学校を珠洲(すず)市から借りて、研究交流施設として利用している。金沢大学からは約150キロ離れていて、常駐の研究者が6人いる。この能登プロジェクトを立ち上げた中村浩二教授の口癖は「大学らしからぬことをやろう」である。そして、能登半島にとうとう大学のキャンパスらしきものをつくった。

 中村教授は能登に非常に危機感を持っている。輪島の千枚田などは、海に浮き出た棚田で観光名所にもなっているが、その半分以上が後継者不足、過疎化などで耕されない田んぼであるという現実がある。さらに07年3月25日に能登半島地震があって家屋が多く倒壊した。こんな能登半島になんとか若い人を残し、活気ある社会を築いていくために、どうすればよいか。中村教授の結論は「能登に大学が出かけていくこと」であった。07年7月に金沢大学と能登にある輪島市や珠洲市など2市2町の自治体が協力をして「地域づくり連携協定」を結んだ。(次回に続く) ※写真は、能登半島の先端、珠洲市にある金沢大「能登学舎」。

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