自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆桜の役どころ

2012年04月15日 | ⇒トピック往来
 金沢では平年より3日遅れて13日が桜(ソメイヨシノ)が満開となった。ただ、うすら寒く、金沢の日中の最高気温も13度と平年より4度ほど低く、3月下旬並み。

 14日から兼六園では無料開放が始まった。そぞろ歩きで、名園を彩るソメイヨシノや遅咲きの梅の花に見入った。兼六園の無料開放は今月22日までだが、私はむしろ晩春の桜が好きだ。

 代々の加賀藩主の収集好きは兼六園の植物にも及び、たとえば桜だけでも20種410本に及ぶ。一重桜、八重桜、菊桜と花弁の数によって分けられている桜。中でも「国宝級」は曲水の千歳橋近くにある兼六園菊桜(けんろくえんきくざくら)である。学名にもなっている。「国宝級」というのも、国の天然記念物に指定されていた初代の兼六園菊桜(樹齢250年)は昭和45年(1970)に枯れ、現在あるのは接ぎ木によって生まれた二代目なのである。

 この兼六園菊桜の見事さは、花弁が300枚にもなる生命力、咲き始めから散るまでに3度色を変える華やかさ、そして花が柄ごと散る潔さである。兼六園の桜の季節を200本のヨメイヨシノが一気に盛り上げ、兼六園菊桜が晩春を締めくくる。桜にも役どころというものがある。

 季節には早いが、金沢の人々の兼六園に対するこだわりは、5月中ごろかもしれない。カキツバタが咲く曲水の周囲には早朝から市民が三々五々訪れる。かがんで耳に手をあて、じっと眺めている人もいる。地元の人の話では、「カキツバタは夜明けに咲く。その時に、ポッとかすかな音がする」という。人々はその花の音を聞きにやってくるのである。

 その話を聞き、私自身2度、3度早朝に兼六園を訪れてみたが、花音の確認はできなかった。そのうち、カキツバタの花音は単なる噂(うわさ)話ではないかと思うようになり脳裏から消えていった。かつて、地元の民放テレビ局がその花音を検証しようと、集音マイクを立てて番組にした。その時は、聞こえたような聞こえないような、かすかに空気が揺らぐような、そんな微妙な「音」だった。番組のディレクターがたまたま知り合いだったので確認した。「カキツバタの花音は、開くときに花弁がずれる音だと推測しマイクを立てましたが、現場では聞こえませんでした」とあっさり。ハイテク機器を持ってしても、実際の音にはならなかったのである。

 でも、よく考えてみれば、早朝に集まる人々にとってはカキツバタの花音がしたか、しなかったは別にして、「兼六園にカキツバタの花音を聞きにいく」と家族に告げて早朝の散歩に出かける。それだけでいいのである。兼六園がある金沢らしい風流な暮らしぶりの一端だと思えば、この話の角は立たない。(※写真は、金沢市内の浅野川べりでの花見の様子)

⇒15日(日)夜・金沢の天気   はれ
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★春の雪、嵐、夏日

2012年04月07日 | ⇒トピック往来
 今月5日、久々に兼六園を歩いた。桜(ソメイヨシノ)の蕾(つぼみ)は硬かった。兼六園近くのなじみの料理屋に入ると、女将が言った。「いくらなんでも春が遅い」と。例年ならこの時期、開花宣言が出て週末には兼六園はにぎわいを見せる時節なのに、との女将のぼやきだ。そしてきょう(7日)雪が降り、屋根に積もった。写真は朝8時50分ごろ、自宅(金沢市)の2階から撮影した。

 名残雪(なごりゆき)という言葉がある。3月下旬に三寒四温が「二寒五温」くらいになる。そんな時に雪がチラリと降ることがある。「冬はこれで終わりです。来年もよろしく」という空からのメッセージのようなもので、北陸の住む身としては風情というものを感じる。スノータイヤの交換や雪吊りの庭作業、雪すかし(除雪)などこの冬のできごとを走馬灯のようにいろいろと思い起こさせてくれる。この名残雪がある意味で次の季節、春へのスイッチとなる。ノーマルタイヤへの交換や、雪吊り外しなど名実ともに気持ちが入れ替わる。

 4月に入っても、三寒四温どころか、「四寒三温」だ。昨日(6日)夕方に帰宅し、庭の手入れをしようと草むしりをすると手がかじかんできて30分ほどで作業を止めた。晴れてはいたが、土に温もりがない。確かに「寒の戻り」や「春の淡雪(あわゆき)」といった冬への逆戻りを指す言葉はもともとあるが、きょうの雪はちょっと気が滅入る。金沢地方気象台による兼六園の梅の開花宣言は3月22日だった。平年より24日遅い、この25年間ではもっとも遅い開花だった。

 かと思えば、今月3日の「春の嵐」はどうだ。南から暖かな風が吹きこみ、金沢市ではこの時期では異例の25.4度、夏日(なつび)を記録したのだ。最大瞬間風速は同市内で33.1㍍、まるで台風だった。小松市内の国道8号で風にあおられた4㌧トラックが横転した。金沢大学では午後1時過ぎごろに、「暴風等に伴う帰宅対応について」と教職員に対し帰宅するようメールで呼びかけがあった。帰宅困難者を出さないための、この時期にしては異例の措置だった。

 4月に入ってからのこの1週間で冬と夏を体感したようなものだ。ところで、気になる兼六園の桜(ソメイヨシノ)の開花予想はどうか。ウエザーニューズ社の「さくら開花情報」サイトを閲覧すると、開花予想は4月13日、五部咲きが17日、満開20日から、桜が散る桜吹雪が24日と託宣されている。ちなみに、どのような基準で「開花日」とするかについては、気象庁の場合、標準木(観察を続けている木)5、6輪以上の花が咲いた場合を開花日としている。ウエザ-ニューズ社の場合は、1輪開花を開花日としている。「春よ桜とともに来い」。今回のブログはぼやきになった。

⇒7日(土)午前・金沢の天気   ゆき、くもり
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☆続々・トクソウの落とし穴

2012年04月04日 | ⇒ランダム書評

 「戦後思想界の巨人」や「戦後最大の思想家」、「知のカリスマ」などと称された吉本隆明(よしもと・たかあき)氏が87歳で死去した(3月16日)。私のイメージで言えば、ヨシモトリュウメイは詩人であり評論家であり、大学などに足場を置くことはなく、在野から国家や言語について考察する思想家だった。ただ、個人的な蔵書には『共同幻想論』(1968年・河出書房新社)と『最後の親鸞』(1976年・春秋社)の2冊しかない。学生時代を過ごした1970年代中ごろ、ヨシモトリュウメイにはそれほど強いシンパシーを抱いていなかったのかもしれない。

 本棚の『共同幻想論』=写真・表紙=を再び手に取ってページをめくってみると、ラインを入れたり、書き込みもあって当時はそれなりに読み込んだ形跡がある。思い出しながら、共同幻想を一言で表現すれば、社会は言葉で創った幻想の世界を共同で信じ、それを実体のものと思い込んで暮らしている、ということか。言葉で編み込まれた世界を「現実そのもの」といったん勘違いすると、そこから抜け出すのは困難だ。相対化、客観化が難しいのである。今の言葉でたとえれば、マインドコントロールの状態か。遠野物語や古事記の2つの文献の分析を通して、共同幻想、対幻想、自己幻想という3つの幻想領域を想定し、吉本隆明の考える幻想領域の意味を次第に明確化し、古代国家成立の考察に至る過程は当時新鮮だった。

 その時代、既存政党では前衛(知識人)が大衆を先導するマルクス主義が盛り上がっていた。このとき、ヨシモトリュウメイは「大衆の原像」というキーワードを掲げ、大衆を取り込め、大衆に寄り添えとダイナミズムを煽り、一時代の思想を築いた…。ここまで、書いて、ふと思った。共同幻想論はまだ生きているのでないか、と。地検特捜部の事件のことである。

  「正義の地検」「泣く子も黙る鬼の特捜」、そんな言葉の呪縛。判決文にあるように、「特捜部の威信や組織防衛を過度に重要視する風潮が検察庁内にあったことを否定できず、特捜部が逮捕した以上は有罪を得なければならいないとの偏った考え方が当時の特捜部内に根付いていたことも見てとれる。犯行は、組織の病弊ともいうべき当時の特捜部の体質が生み出したともいうことができ、被告両名ばかりを責めるのも酷ということができる」(3月31日付朝日新聞より)。これはトクソウ村の共同幻想、とたとえたら言い過ぎか。素朴に自らの使命をまっとうするプロ集団であれば、とくに不正も生まれないだろう。判決文が指摘するような「特捜部の威信」や「組織防衛」といった政治的文脈を隠し持つ組織に変容していたのであれば、組織はバランスを欠き一方向に傾く。検察の自浄作用があるのか、ないのか。

⇒4日(水)朝・金沢の天気  くもり

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