自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆メディアのツボ-31-

2006年11月26日 | ⇒メディア時評

 過日、ある大手新聞社の世論調査担当の記者と話す機会があった。「世論調査は調査自体が難しくなっている」と随分と危機感を募らせているという印象的だった。

     悩み多き世論調査

  大手紙の全国調査は選挙人名簿から3000人を地域的や性別・年代などの偏りがないように無作為で選び、「有権者全体の縮図」をつくる。全国の有権者は1億330万人(05年)なので、1人がおよそ3万人余りの代表となるわけだ。ちなみに私が住む石川県の場合だと28人が調査対象数だ。

  世論調査は大きく分けて、対面調査、電話によるRDD(ランダム・ディジット・ダイヤリング)、郵送によるものの3つがある。「調査自体が難しくなっている」というのも、面接の場合だと核家族化が進んだせいで在宅率が低い、防犯意識の高まりでインターホンの段階で門前払い。電話だと「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」の影響で電話が鳴るだけで不審感が先立つことが多くなった社会風潮もあり、のっけから断られる。あるいはナンバーディスプレーが普及して、知らない電話番号は受話器を取らない人が多くなった。郵送は回収率が低い。

  こんな状態なので、面接調査だと80年代は回収率80%だったものが、最近は60%ぐらいの回収率が目立つ。調査現場では苦戦を強いられているのだ。確かに調査人の質の問題もあるだろう。調査人にはアルバイトの学生も多く、中には一回目の調査でけんもほろろに断られると意欲を失う者もいる。粘って食い下がるという若者が少なくなったのかもしれない。

  回収率が低いということは調査の品質が低下していると同義語である。かといって、登録制による調査のような「協力的な人」や、割と親切に答えてくれる高年齢の「在宅率の高い人」に偏った調査では民意は反映できない。忙しく、つっけんどんで、言葉のきつい人にも調査をしなければならない。無作為とはいえ、有権者3万人の中から選んだ人なのだ。「忙しいから」と断れたくらいで簡単に引き下がっては調査にならないので、再度アポを取る。すっぽかされてもまた翌日、ドアをノックする。これが世論調査の基本だろう。

  世論調査という民意が劣化したら、おそらく内閣や政党の信任の度合いのバロメーターが機能しなくなる。また、個々の重要な政策についてもマスメディアそのものが論評する根拠を失ってしまう。つまり議会制民主主義の補完機能が失われるのだ。

 ただ、マスメディアが行う世論調査で異常に関心を呼ぶものがある。投票前の選挙情勢調査と投票場前での出口調査だ。ところが、投票が終了していないにもかかわらず、候補者の選対本部がマスコミ各社の中間集計の情報を知っていて、マスメディア内部での情報漏えいが問題になったりする。あるいは、投票が終わった直後に選挙特番が始まり、出口調査の精査と分析をしないまま生データだけをグラフにして、「大躍進」や「惨敗」の見出しを躍らせるテレビ局も多い。そして誤報が繰り返されている。

 日ごろの地道な世論調査が回答拒否や回収率の低下という大きな壁にぶつかっている一方で、数年に一度の華々しい選挙調査ではモラルハザートを起こしている。調査対象者の変化を嘆く前に、マスメディア自体に問題、あるいは危機感というものがないのだろうか。

 ⇒26日(日)朝・金沢の天気  くもり

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★岩城宏之と松井秀喜

2006年11月24日 | ⇒トピック往来

 先日このブログで、指揮者の故・岩城宏之さんのことを書いた。その続きである。

  東京生まれの岩城さんは読売ジャイアンツのファンだった。親友だった故・武満徹さんが阪神ファンで、岩城さんがある新聞のコラムで「テレビの画面と一緒に六甲おろしを大声で歌っていた」「あのくだらない応援歌を」と懐かしみを込めて書いていた。また、岩城さんはクラシックを野球でたとえ、04年と05年の大晦日、ベートーベンの1番から9番の交響曲を一人で指揮したときも、作曲家の三枝成彰さんとのステージトークで「ベートーベンのシンフォニーは9打数9安打、うち5番、7番、9番は場外ホームランだね」と述べていた。面白いたとえである。

  その岩城さんがことし6月13日に亡くなる前、ある野球プレイヤーに人生のエールを手紙にしたため送っていた。あて先はニューヨークヤンキースの松井秀喜選手である。松井選手はその時、故障で休場を余儀なくされた。

  「今回あなたの闘志あふれる守備のため、負傷したことは、誠に残念です。しかしながら、これからの活躍のための一時の休養であると考えていただき、(中略)一番都合の良い夢を見てすごしてください。(中略)私も30回に及ぶ手術を受けましたが、次のコンサートのポスターをはって、あのステージにたつんだと、気持ちを奮い立たせました。(中略)お互い、仕事の世界は違いますが、世界を相手に、そして観客の前でプレーすることには変わりはありません。私も頑張ってステージに戻ります。」(06年6月1日の岩城宏之さんの手紙から)

  岩城さんと松井選手の直接の接点はない。ただ、岩城さんは松井選手の故郷である石川県に拠点を置くオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の音楽監督をしていた。そして常々、「このオーケストラを世界のプレイヤーにしたい」と語っていた。岩城さん自らも、20代後半にクラシックの本場ヨーロッパに渡り、武者修行をした経験がある。その後、NHK交響楽団(N響)などを率いてヨーロッパを回り、武満作品を精力的に演奏し、日本の現代曲がヨーロッパで評価される素地をつくった。

  岩城さんは挑戦者の気概を忘れなかった。2004年春、自らが指揮するOEKがベルリンやウイーンといった総本山のステージを飾ったときの気持ちを、「松井選手が初めてヤンキー・スタジアムにたったときのような喜び」とインタビューに答えた。クラシックのマエストロが、当時華々しくメジャーデビューを飾った松井選手の心境になぞらえたのである。

  これは後日談になるが、73歳のマエストロはメジャーの並みいるピッチャーを睨みつけ撃ち続ける松井選手の姿にほれこんだのだろう。今年に入ってからは、松井選手のために応援歌をつくろうと、自ら歌詞の公募や作曲家の人選などの準備を進めていたのである。その矢先の「松井故障」の報だった。くだんの手紙はそのような背景があってしたためられた。

  岩城さん自身、「私の元気のもとは手術」と言うくらい、後縦靭帯骨化症という職業病でもある難病を患い、その後も胃がんや咽頭がん、肺がんと数々の病と闘いながらも復帰を果たし、ステージに立った。手紙にある「これからの活躍のための一時の休養であると考えていただき、(中略)一番都合の良い夢を見てすごしてください。」とは、術後の養生の極意なのだろう。決して焦るな、と諭しているようにも解釈できる。

  おそらく直接話したこともない2人の心のやりとりを手紙という1点で結んで地元テレビ局のHAB北陸朝日放送がドキュメンタリー番組にして放送する。HABは、高校野球の取材を通じて松井選手をプロデビュー以前から知り尽くしている。そして、7年に及ぶOEKのモーツアルト全集(95年-01年、東京・朝日新聞浜離宮ホール)の放送や、04年と05年の大晦日のべートーベンチクルス(連続演奏)の収録を通じ岩城さんの傍でその人となりを見てきた。2人を知るテレビ局をだからこそ制作できたドキュメンタリー番組だ。

  それにしても、岩城さんが松井選手に手紙を送って、その2週間後に亡くなるとは・・・。死してなおエピソードを残した偉人だった。(写真は、06年1月1日、ベートーベン連続演奏を終えて乾杯する岩城さん=東京芸術劇場で)

 ※石川エリアでの放送日程  全国での放送日程

⇒24日(金)朝・金沢の天気  はれ

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☆メディアのツボ-30-

2006年11月21日 | ⇒メディア時評

 朝日新聞大阪本社の社会部記者(41)が和歌山県発注工事をめぐる談合事件で、ゴルフ場経営者(56)から、餞別名目などで15万円を受け取っていたとされるニュースがいろいろと憶測を呼んでいる。

     臆すること、マイナス思考の螺旋

  記事によると、記者はゴルフ場に生息してたオオタカの取材をきっかけにゴルフ経営者と知り合った。そして、02年8月に記者が異動する際、餞別として封筒を受け取り、04年9月に大阪本社に戻った時にも、出産祝いとして封筒を渡された。記者は「いつか返そう」と思い、封筒の封を切らずにカンバに入れていた。ところが、今月15日に一部の情報誌が「ゴルフ場経営者が大手紙記者に現金百万円」とする記事を掲載したことから、記者が上司に報告した。そして、未開封だった封筒を弁護士立ち合いで開けて、異動祝いが10万円、出産祝いが5万円だったことが分かったという。

  私はこの記者の心境が理解できない。なぜ4年間も封を開けずに、いつか返そうと思っていたのか。そんな思いが募っていたのであれば、即返せばいい。この記者は41歳である。ジャーナリズムの世界に浸っていたのであれば、その良し悪しが瞬間的についたはずである。それをわざわざ弁護士立ち合いのもとで封を切るいうのは狡猾である。もらったのは事実で、「うかつでした」と釈明すればいい。それをわざわざ弁護士立ち合いで封を切る必要性と意味合いがどこにあるのか。

  私も新聞記者時代に同じような経験がある。駆け出しのころだ。金沢市の郊外のお祭りの取材に出かけた。すると、顔見知りの世話役の人が、「記者さん、ご苦労さま」と封筒を差し出した。私は新人だったが、それが何であるかピンときた。30年も前、そのころはおおらかな時代で、ご祝儀は断るものではないという風潮だった。でも、私は後ろめたい気がして、一計を案じた。そして、そのまま「ありがとうございます。では、お祭りの寄付金にさせてください」と封筒の宛名を町会にして返した。すると、その世話役の人は「お祭りの寄付だったら受け取らない訳にはいかないね」と言って、受け取ってくれた。

  いったん手にしたご祝儀をいつまでもカバンに入れて、「いつか返そう」という心理に何か不自然さを感じる。「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」ということわざがあり、記者仲間でもよく論議になる。自ら血まみれになる覚悟で現場に入り、そこでしか知りえない事実を仕入れる。そんな気構えがなければ記者はつとまらない。ところが誤解を招くということに過敏になっている記者はそんな場に躊躇する。そして発表文だけで書いている記者のなんと多いことか。そのことこそが問題なのだ。

  この記者は虎穴に入って取材を重ねた。それは記者の本分であり原点である。返さなかったのはミステイクである。だから弁護士立ち合いということを「免罪符」にせず、受け取りましたと正直に言って社内の処分を粛々と受ければいいのである。いまさら弁護士を立ち合わせるような小細工をする必要がどこにあるのか。消防士が火の粉を払うように、記者は取材先のワナにはまらないようにとっさの判断をするのは当然である。それが出来なかったのであれば謝るしかない。それが記者という職業ではないのか。ここで沈黙して、マイナス思考の螺旋に陥る必要はない。

 もし「それ以上のこと」を会社が言ってきたら、「それじゃ、先輩記者を含めてここ10年以内に取材先から祝儀をもらったすべての記者に自己申告をさせてください」と凄めばいい。堂々としていればいいのである。

 ⇒21日(火)夜・金沢の天気 くもり

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★メディアのツボ-29-

2006年11月20日 | ⇒メディア時評

 「ITの伝道者」、あるいはカヤックでの冒険家としても知られる月尾嘉男氏(東大名誉教授)の講演が金沢大学であり(11月10日)、その打ち上げの席でお話しする機会を得た。月尾氏はある東京キー局の番組審議会の委員長もしており、なかなかテレビに関して辛口である。「日本が滅びるならテレビから滅びる」と。

   「パンとサーカス」とテレビ

  月尾氏は文明批評家でもある。金沢での講演では、経済優先主義で没落したカルタゴ、造船の技術革新に出遅れたベネチアなどの事例を挙げ、「現代の日本は歴史に学ぶべき」と。

  「では、なぜテレビから滅びるのか」。月尾氏の持論はこうだ。世界最大の消滅した国家は古代ローマ帝国である。末期になり腐敗した帝国は「パンとサーカス」の政策で国家を維持しようとした。ローマ市民には食料と娯楽を無料で提供したのである。巨大なコロセウムで開催される残虐な闘技、いつでも利用できる巨大な浴場を無償で提供する愚民政策により、政治への不信、社会への不満を解消しようとしたのである。そして市民が娯楽に耽った結果、ローマ市民が蛮族と蔑視していたゲルマン民族により、帝国は短期で崩壊した。衰退の原因はサーカスであった、と月尾氏は強調する。

  その現在のサーカスがテレビ放送なのである。月尾氏は番組審議委員に就任し、いくつもの番組を視聴することになる。そして、レベルの低さに驚嘆する。背景となる知識のない芸人が社会を評論する番組、占師の独断と偏見に満ちたご託宣に若者が感嘆する番組、学者が世間に迎合するためだけの意見を開陳する番組など。50年ほど前、ジャーナリストで批評家だった大宅壮一が喝破した「一億総白痴化」は着実に進行していると実感する。

  そして日本の広告市場のうち2兆円余りがテレビ業界に投じられる。古代ローマ帝国が各地に壮大なコロセウムや浴場を建造し、そこでの娯楽に巨額を投入してきた状況と似ている。古代では大衆が歓迎するということが唯一の評価基準であり、現代日本では視聴率が唯一の達成目標となっている。どのように低俗であろうとも、その勝負に勝利すれば勝者であり、制作を担当した人間は名ディレクターであり、大物プロデューサーとなる。

  さらにテレビの問題は、何事も画像で表現しようとすることだ。人間の重要な能力は物事を抽象し、言葉で表現し文字で記録することである。しかし、テレビは最初に画像ありきで、一字一句までをも画像で表現しようとする。このため日本人は現実を抽象する能力と、言葉から現実を想像する能力を急速に喪失しつつある。最近の若者の短絡した行動は、この能力の喪失と無縁ではない、と。月尾氏のテレビ批評は尽きることはない。

 ⇒20日(月)朝・金沢の天気   くもり

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☆メディアのツボ-28-

2006年11月18日 | ⇒メディア時評

 師走に近い。この時期になると、大晦日に向けて忙しかった。ところが今年はそれも思い出になってしまった。指揮者の岩城宏之さんのことである。

  ベートーベンのネット配信はいかにして成立したか

 04年と05年の大晦日、岩城さんが東京でベートーベンの交響曲1番から9番までを指揮するというので放送メディアの一員として付き合いをさせていただき、東京で年越しをした。で、何をしていたのかというと、大晦日の午後3時半から年越しの深夜1時を回る9時間40分ほどを、04年はCS放送「スカイ・A」で生放送、そして05年はスカイ・Aでの生放送と同時にインターネットでライブ配信した。

  04年は北陸朝日放送のプロデューサーとしてかかわり、05年は同社を退職して、フリーのメディア・プロデューサーとして経済産業省が放送コンテンツをインターネット配信する実証事業にかかわった。立場を変えて2度もクラシックの一大イベントのかかわることができたのである。

  そこで、記録として05年の大晦日にこの番組が成立した背景などを書き留めておくことにする。経済産業省から事業委託を受けた石川県映像事業協同組合は、04年で放送実績があった北陸朝日放送(HAB)にインターネット配信のコンテンツ制作を委託。HABはスカイ・A(大阪)と共同制作するという枠組みで05年のベートーベンチクルス(連続演奏)を番組化した。スカイ・AはCS放送で番組に、一方で、HABはインターネット用のコンテンツ配信を行った。

  本来、著作権に関してはベートーベンの死後50年以上も経ているので発生しないが、指揮者や演奏者らが有する「隣接権」がある。これに関しては、岩城さんは「国の事業であるならば協力する」との意向を示し、CS放送に関しては著作権料は課せられたが、ネット配信に関しては著作権料の有無を問わないと明言された。また、演奏を企画した三枝成彰事務所とNHK交響楽団のメンバーを中心とする演奏者も岩城さんに意向に従った。

   煩雑さが予想されたネット配信の著作権処理は岩城さんの意向でクリアされたものの、次なる問題は9時間40分にも及ぶライブ配信。ましてや12月31日の大晦日はただでさえインターネットの回線容量が確保できないという状態にあり、安定したネット環境で配信ができるのかという懸念があった。そこで、動画サーバと映像のオーサリングを日本テレコムの東京の拠点に置くことで解決をはかった。日本で一番の大容量の回線が担保された場所にサーバを設置したのである。

  配信に当たってはテレビ局サイドと協議を重ねたが、今回の回線の構成そのものが芸術的かもしれない。まず、コンサートが開かれた池袋の東京芸術劇場で中継した映像データをマイクロ波に乗せてサンシャインシティの上にあるテレビ朝日のマイクロ施設を経由して六本木のテレビ朝日本社に送る。ここでマイクロ波のデータを今度はデジタルデータに変換し、光ケーブルに乗せて大阪のスカイ・Aに送る途中で分岐して日本テレコムのデータセンターに持ってくるという方法である。これはマイクロ施設など伝送路を確保しているテレビ局の協力を得た「大技」であった。

  今回はCS放送とネット配信の2元ライブだったが、インターネットでは途中でデータを変換するオーサリングが伴うため、CS放送より時間にして40秒余り画像と音が遅れることが分かった。また、9時間40分のネット配信でのIPアクセス(訪問者数)は2234となった。クラシック音楽のファンは国民の数%と言われおり、スポーツ映像やドラマと比べれば格段に少ないIPアクセスかも知れないが、ログ解析をする上では十分可能だった。

  その後判明したことだが、2234のログをつぶさに解析をした結果、訪問者のうちウイーンから17アクセスがあった。テレコム・オーストリアのサーバードメインだった。クラシックの本場から、日本の一大イベントはモニターされていたのである。このことは私自身の怠慢で、岩城さんに報告するチャンスを逸してしまった。その岩城さんは手術のために入院、そしてことし6月に逝去された。もしこのウイーンからのアクセスを報告していれば、岩城さんはニヤリと笑って、「ニホンのイワキはとんでもないことをやってくれたと世界の連中は言っているだろう。それで本望だ」と言葉を返してくれたに違いない。

  岩城さんは2度目の演奏を終えた打ち上げパーティーの席上=写真=で、3度目の挑戦を宣言していた。それが叶わなくなった今、その後も「岩城さんの後を引き継いで06年の大晦日はオレがやる」という指揮者は現れていない。放送コンテンツとしての「ベートーベンの1番から9番を振るマラソン」は、次なる挑戦者を待たねばならない。

 ⇒18日(土)夜・金沢の天気  くもり

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★メディアのツボ-27-

2006年11月17日 | ⇒メディア時評

 韓国や中国の新聞社のインターネット日本版を最近よく読む。これらの新聞メディアが日本をどう見ているの興味があるからだ。それにしても目に付くのは、かつて日本のバブル時代のような記事である。面白そうな記事があったので紹介する。

       海外メディアの裏読み

  韓国・中央日報の11月17日付のインターネット版だ。景気がよい中国の外資系製薬会社の一行が大挙して韓国・済州島を訪れたという記事。以下は抜粋。

  「…済州道(チェジュド)の中文観光団地は中国人であふれかえった。12日から17日まで済州道で開かれる2006バイエル・チャイナ・コンファレンスに参加するため、なんと1600人余の中国人が一斉に訪れたのだ。 世界的な製薬会社バイエルの中国法人に勤務する職員らだ。 バイエルの職員らは数機のチャーター便で済州に来ることもできたが、万一の事故に備えて航空機には分散して搭乗しなければならないという内部規定に基づき、11日から3日間にわたり50-100人ずつ50便余に分かれて済州入りした。 行事期間の費用は計50億ウォン余(約6億円)。」

  「…16日の行事では営業社員1200人に現代(ヒョンデ)車ラヴィータを1台ずつ支給するという内容を発表した。 もともとアバンテに決まっていたが、北京タクシーがアバンテという理由でラヴィータに変更された。 李社長は、中国人職員らが写真撮影のために列をつくるほど人気者だ。」

 ようするに、中国の製薬会社の経営者(韓国人)が済州島で社員旅行をやって、1200人の営業社員に韓国車を与えたという話だ。記事では、韓国人経営者はなんと太っ腹かと賞賛する内容だ。記事のポイントは、1200人の営業社員に車を与えたとうところにありそうだ。当初は中国車である北京現代のアバンテXD(現地名エラントラ、中国警察の公式車)を支給することを考えていたが、韓国産の現代ラヴィータに変更したら大変喜ばれたとの記述である。

  この記事には2つの読み方がある。一つは必要経費としての営業車の問題だ。営業マンなのだから、当然、営業車があってしかるべきで、それを会社所有とせずに個人名義で与えるということだろう。当然、個人所有は会社から贈与されたことなるので社員は喜ぶ。ところが冷静に読めば、交通インフラが遅れている中国では交通事故が頻繁に起きる。なので、営業車を会社名義より個人名義にしておた方が会社としてのリスクは回避できる、と読んだ方がよさそうだ。

  もう一つのポイントは、中国車から韓国車に変更したという点。これは単なる性能の問題だろう。中国のタクシーが国産のアバンテなので、そこらじゅうに走っている車は欲しくないと従業員が進言して、ちょっとグレードが高い韓国産の現代車に変更したと意味と解釈した方がよさそうだ。中央日報は祖国愛にあふれた経営者というふうに表現したかったのだろうが、きちんと読むと、むしろこの韓国人経営者の企業防衛に配慮した深謀遠慮が伺える内容だ。

  もちろん日本にいる我々の基準で判断すると海外現地の事情を見誤ることが多いだろう。言いたかったことは、海外の新聞の場合、日本語に訳された記事の額面どおりに読むことは難しいということだ。新聞記事はどこの国も注意深く客観的に書いてあるとは限らない。日本の場合は海外に比べて分析も豊富でそれなりにバランス感覚を保っているが、海外のメディアも同じだと思ったら大間違いだ。あのメディア大国、アメリカでも、テレビ局の公平中立を旨としたフェアネス・ドクトリンをとっくの昔(1987年)に廃止し、政党色を強くしている。海外メディアは裏読みが必要なのだ。

⇒17日(金)午後・金沢の天気  はれ  

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☆メディアのツボ-26-

2006年11月14日 | ⇒メディア時評

 テレビメディアの話をしていて、最近よく問われることは「ワイドショーなどでよく顔にモザイクがかかったインタビュー映像が出てくるけど、あれって本当にモザイクが条件でしゃべっているのか」である。

     インタビューとモザイク

  確かに、CNNなど海外のニュース番組では顔にモザイクがかかったり、機械音に変換された音声というのはお目にかかったことがない。これは日本独特なのかと思ったりもする。おそらく制作する立場では、「とにかく後に問題が残らないようにインタビューにモザイクをかけろ、音声に変換をかけとけ」とディレクターが編集マンやカメラマンに指示しているはず。

  事件や問題の核心に触れて、その微妙な内容のインタビューが後に法廷で証拠提出として提出を求めらる、あるいは取材源の提示を求められるといった内容であるならば、モザイク映像や変換音は一定理解できる気もする。ところが、いかにも近所のおばさんが「(犠牲になった)あの子は明るい、いい子でしたよ」といった内容の、さして匿名性が必要でもないような場合でもモザイクがかかることに問題があるように思える。

  先日、金沢大学で自主的にマスコミを勉強する学生たちと「新聞記事と匿名」をテーマで論議した。学生たちが取材したロースクールの学生たちが、「個人情報を守るという立場から実名掲載は避けてほしい」と言い出し、学生記者と論議になった。学生記者は「報道の信頼を確保するためにもぜひ実名で」と要望した。そこで実名で了承してくれた何人かのロースクールの学生たちのインタビューを採用した。司法試験の合格を目指す学生たちで、実名インタビューを控えたいと思う学生もいるだろう。そこで、粘り腰で取材相手に対し報道の信頼性の確保について説明し、理解を得て実名報道をするということになった。これは実に正当な論議であり、取材手法なのである。

  では、テレビの取材現場では報道の信頼性を確保ということを相手に説明する努力をしているだろうか。あるいは、「音が取れている」(インタビューができている)ということを持ってして、信頼性は担保されている、つくりごとではない。だから、モザイクや変換音(匿名)でも構わないと安易に考えてはいないだろうか。これは邪推だが、「むしろモザイクがかかっていたほうが、それとなく信頼性がある」と演出上の効果を狙ったりはしていないだろうか。

  事件や事故現場の映像ニュースの場合、単独でインビューした場合はモザイクで、複数社でぶら下がった(共同インタビュー)はモザイクがかからない場合が多いという傾向はないだろうか。とすると、インタビューされた側がクレームをつけた場合のリスク分散をテレビ局が考えているに違いない、と視聴者は思ってしまう。「みんなで渡れば怖くない」の発想だ。これは取材の独自を貫くべき報道現場の姿勢ではないだろう。

  言葉の内容もさることながら、事件について語る人々の表情こそが映像ジャーナリズムの原点だと考える。顔の表情、音声にもっとこだわってほしい。

⇒14日(火)夜・金沢の天気  雨    

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★人とクマ、闘うとき

2006年11月13日 | ⇒トピック往来
 クマの出没がニュースとして取り上げられている。なにしろ、今年度、クマによる人身事故や農作物への害で捕獲されたツキノワグマが全国で2956頭(10月30日現在・朝日新聞まとめ)にもなり、死者3人・けが人111人となっている。大量出没したおととし(04年度)より捕獲数ですでに上回っている。

 クマ出没に関して、現在はドングリなどのエサ不足に加え、里山と奥山の区別がつかないほど里山が荒れ、クマ自身がその領域の見分けがつかず、里山に迷い込んでくる…などの原因が考えられている。これを人災と見るか、害獣の侵入と理解するか意見は分かれる。

 かつて、この「自在コラム」(05年4月30日)にこのクマ問題でこんなふうに書いた。「クマが里に出没すると人の対応もさまざまです。去年の秋、富山県はクマに襲われ負傷した人が22人(去年10月時点)にもなりました。同じ北陸でも石川と福井は負傷者が一ケタに止まりました。クマに追いかけられて取っ組み合いとなったり、棒やカマで反撃したりとなかなか気丈な人が多いのが富山県です。私が新聞で見た限り、クマと「格闘」した最高齢は富山県上市町の77歳のおばあさんでした。」

 要は、富山県で負傷した人が多いのは、気丈な県民性でクマと出くわしても追い払おうとするせいではないか、と当時考えたのだ。この話を、先日(11月10日)にお会いした富山市ファミリーパーク園長の山本茂行さんにうかがった。山本さんの答えは、県民性というより地形に問題がある、との考えだった。

 五箇山山系の山と人里はとても近く、さらに砺波平野では散居村(さんきょそん)と呼ばれ、集住を避けて点在している。しかも、その家屋には「屋敷林(かいにょ)」と呼ぶ樹木が植わっている。すると山から下りてきたクマが人と出くわして、うっそうとした屋敷森に逃げ込む。するとそこは住家なので人との接触率も高い。けが人の数も多くなる。

 ここからは、私の推測だが、侵入者が自分の家屋や敷地など自分の生活圏(テリトリー)に入ってくれば、追い返そうと闘う。これは県民性というより、本能ではないか。クマと人とのかかわりをさらに考察してみたい。

⇒13日(月)朝・金沢の天気  はれ
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☆メディアのツボ-25-

2006年11月12日 | ⇒メディア時評

 最近気になっているニュースが「いじめ自殺」を文部科学省の大臣に予告する匿名の手紙が相次いでいることだ。マスメディアの報道の仕方が自殺予告を増長しているのではないか、との懸念である。

    自殺報道のパラドックス

   文科省に最初に届いたのは今月7日。差出人は不明だが、大臣、教育委員会、校長など宛てた合計7通の手紙が入っていた。それを新聞やテレビのメディアは写真つきでその手紙で紹介した。すると、後日さらに5通の匿名のテレビが大臣宛てに届いた。

  いじめに耐えかねている子どもにすれば、遺書を読んでもらえれば、あるいは遺書を写真で出してもらえれば、いじめている側に一発逆転の復讐ができる、という思いがあるだろう。つまりテレビや新聞が遺書を紹介するなど丹念に取り上げれば、あるいはセンセーショナルに扱えばそれだけ自殺を増長することになるのではないか。

  情緒的で一方的ないじめ自殺の報道は、「自殺するならいまだ」と考えている自殺予備軍の子どもたちの感情を煽ることになる、というのが自論である。 自殺は連鎖するのである。

⇒12日(日)夜・金沢の天気 くもり 

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★ブリ起こしの雷

2006年11月07日 | ⇒トピック往来
 きょう(7日)は立冬だ。発達した低気圧が日本海が回りこんでいるようで、金沢では、昨日から断続的に強い雨と風、雷が吹き荒れている。まさに冬の訪れをイメージさせる天気ではある。

 昨夜、金沢の繁華街・片町を歩くと、居酒屋などでは6日解禁となったズワイガニがさっそくお目見えしていた。例年、解禁初日には石川県内から100隻を越える底引き網漁船が出港し、近江町市場の店頭にはドンとカニが並ぶ。ご祝儀相場が立つので高値で売れるからだ。だが、庶民にはちょっと手が出せない。何しろ一匹数千円の食材なのである。

 そこで、金沢の人々は初日は小ぶりながら身が詰まっているメスのコウバコガニを食する。オスのズワイガニに比べれば安い。一匹1000円前後だ。で、高値のズワイガニはどうなるかというとお歳暮用、つまり贈答用になる。だから、金沢のお歳暮商戦の実質的な幕開けはこのズワイガニの解禁日と重なる。

 冬のもう一つの食材がブリだ。きょうも未明から雷鳴がとどろいた。金沢ではこうした立冬前後の雷を「ブリ起こし」と呼んでいる。ブリが能登半島に回遊してくる季節と重なるのだ。ちなみに、能登半島の輪島では「雪だしの雷」と呼ばれ、初雪の訪れを告げる。

 食材の訪れもさることながら、そろそろ「雪つり」をしなければならない。自分では技術的にできないので植木職人に依頼する。下手に自分で施して、松の枝でも折ろうものなら、「金をケチるからや」とそしりを受けることになる。で、職人に頼むのだが、これは「冬税」だと思ってあきらめるしかない。

 昨日からの雷で、車のタイヤ交換のことを連想した人も多いはず。「よーいドン」ではないが、立冬の雷鳴で、冬支度の準備が始まったのだ。

⇒7日(火)朝・金沢の天気   あめ
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