自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★メディアのツボ‐51-

2007年04月30日 | ⇒メディア時評

 能登半島地震(3月25日)をさまざま視点で検証する金沢大学の震災学術調査に参加している。テーマは「震災とメディア」である。これまで3回にわたり、被害が大きかった輪島市門前町に入り、110人余りの被災者にアンケートを実施した。「震災直後、最初に使ったメディアはなんですか」と。

       ユウセンの威力

   現在、集計中なので気がついた点だけを述べる。実は「最初に使ったメディア」はテレビでもラジオでもなく、「ユウセン」なのだ。カラオケなどの音楽配信サービスのユウセンではない。門前町地区の人たちがユウセンと呼ぶのは防災無線と連動した有線放送のこと。街頭のスピーカーと、家庭で特別に敷設したスピーカー内臓の有線放送電話が同時に音声を発する。門前町地区オリジナルの防災情報システムだ。

  震災当日、発生5分後の午前9時47分に津波情報を発し、「沿岸の人は高台に逃げてください」と呼びかけた。「天地がひっくり返るほど」の揺れで、自失茫然としていた住民を我に戻させ、高台へと誘導にしたのはユウセンだった。

  普段は朝、昼、夜の定時配信で門前町地区のお知らせを有線放送電話室から録音で流している。ところが、いざ火災など緊急連絡となると、輪島消防署門前分署の署員が生で放送する。電話の利用料は月額1000円で同地区の8割が加入し、加入者同士ならば、かけ放題となる。さらにこの有線放送電話の優れた点は、同地区のさらに小単位の各公民館エリアでの放送も可能であること。震災後、診療時間のお知らせや、避難所での行事の案内などきめ細かく放送している。

  地震の際、テレビは吹っ飛び、配線はちぎれ、しかも停電した。ところが、震度6強の地震にもかかわらず、縦揺れだったために電信柱の倒伏が少なく、火災も発生しなかったので、市街地の電話ケーブルは切れなかった(門前分署)。つまり、有線放送電話は生きていたのである。これに加え、同地区の人たちが一斉に高台に避難できたのは、去年10月にユウセンを利用して津波と地震を想定した防災訓練を実施していたということも起因している。

  この防災無線と連動した有線放送電話システムば、30年以上もたったアナログ技術である。でも、その威力は大きかった。

 ⇒30日(月)夜・金沢の天気   くもり

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☆メディアのツボ‐50-

2007年04月26日 | ⇒メディア時評

 能登半島地震(3月25日)の被災地・輪島市門前町を訪ねて、被災者から話を聞いている。中には何度かマスメディアから取材された人もいる。被災者から語られるメディアを紹介する。

         報道の二面性

  現在は無職の32歳の男性の話だ。震災では自宅が全壊した。9時41分、母親はたまたま愛犬をシャンプーするため、風呂場に入っていて被災した。家は全壊したものの、ユニットバスというある意味で「シェルター」に守られ、九死に一生を得た。男性は、全壊した自宅や地域の惨状をなんとかしてほしいと思い、取材に来た新聞記者に惨状を訴えるつもりで上記の話をした。

  ところが、数日して大阪から匿名で現金封筒に入った1万円の見舞金が送られてきた。「愛犬に好物を食べさせてあげてください」と手紙が添えられていた。文面を読むと、どうやら惨状を訴えたつもりが、愛犬の世話をしていて命拾いをしたという「美談」として新聞記事に紹介されていたことが分かった。

  男性は苦笑する。「美談に仕立てられたという複雑な思いです。記事を読んで、見舞金として気持ちを寄せてくれる人もいるので、うれしいのですが・・・」

  メディアの取り上げ方には二面性があり、問題提起と話題性に分類される。一物二価ともいえるかもしれない。震災が起き、マスメディアがリアリティを持って被災地の様子を取り上げれば、その映像なり記事が行政や国を動かし、復興作業の大きな原動力になる。事実、能登半島地震では、4月13日に安倍総理が来訪し、その1週間後の20日には局地激甚災害に指定された。復興に国の大きな支援を得ることになったのである。

 その一方で、観光地でもある能登は大きな風評被害に見舞われている。震災発生から3日間だけでも、和倉温泉を中心として4万人の宿泊のキャンセルがあったとされる。輪島市のツーリスト会社の代表は、「能登半島地震ではなく、能登門前地震と命名してくれた方がよかった。能登半島全体が被災したイメージだ」とこぼしていた。新聞の見出しやテレビに「能登半島地震」と繰り返されるたびに風評被害が広がる、というのだ。

  このマスメディアの二面性の溝は簡単には埋まらないし、埋める妙手もいまのところない。

⇒25日(木)朝・金沢の天気  はれ 

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★続・モンキーパワーを借りよう

2007年04月23日 | ⇒キャンパス見聞

 4月10日付の「自在コラム」で、能登半島地震で避難所生活を余儀なくされている被災者がストレスや疲労、エコノミークラス症候群などに罹りやすいので、なるべく外に出てリフレッシュしてもらおう、そのために、お猿さんのパワーを借りようという内容のコラムを書いた。今回はその続編である。

  なんとかお年寄りに外に出てもらう方法はないかと一計を案じ、ひらめいたのが周防(すほう)猿回しの伝統芸で全国を旅している「猿舞座」座長の村崎修二さん(59)=山口県岩国市=と、相棒の安登夢(あとむ)=オスの15歳=にひと役買ってもらおうというアイデアだった。それは4月21日に実現した。金沢大学が提供した慰問ボランティアというかたちをとった。

  公演会場の一つである輪島市門前町の諸岡(もろおか)公民館では、午後2時からの公演だったが、すでに30分も前から、お年寄りが玄関で一座を待ち構えていた。写真は、客寄せ太鼓が鳴り響く中、村崎さんとお年寄りがおしゃべりをしている光景である。村崎さんは以前、この地区で公演したことがあり、「お懐かしや」とお年寄りから歓迎されていた。

  公演では、安登夢が跳び上がって輪をくぐる「ウグイスの谷渡り」などの芸を披露。会場は歓声と拍手に包まれました。公演は30分余りだったが、お年寄りは帰らない。安登夢が次の会場への移動のために車の中に入るまで、じっと見つめていたのである。村崎さんの持論は「お猿とお年寄りは相性がいい」「猿回しの芸を一番喜んでくれるのはお年寄り、それもおばあちゃんが喜ぶ」「安登夢が棒のてっぺんに上ってスッと立つと、たいがいのお年寄りは『有り難い、有り難い』と合掌までしてしてくれる」とよく言う。そのモンキーパワーが今回も発揮されたようだ。

  村崎さんはこの日、観客の前で重大なことを言った。「安登夢は15歳、人間の年齢ならば還暦は過ぎている。来月(5月)、山口県に帰りますが、そこで引退の公演をします」と。安登夢の芸歴の最後に「被災地慰問」が加わったことになる。

 今回の公演に先立つ20日、奥能登のある旧家を村崎さんと訪れた。この旧家に江戸時代から残る猿回しの翁(おきな)の置き物を見せていただくためだ。チョンマゲの翁は太鼓を抱えて切り株に座っている。その左肩に子ザルが乗っている。村崎さんによると、古来からサルは水の神の使いとされ、農村では歓迎された。それを芸として、全国を旅したのが周防の猿回しのルーツである。この置き物のモデルはひょっとして、村崎さんの先祖かも知れない。

  ショーアップされたテンポのよい猿回し芸もあるが、村崎さんの芸は古来からの人とサルが一体化となった、どちらかというと「人の芸8割、サル2割」の掛け合い芸である。見せる芸というより、人を癒(いや)す芸なのだ。安登夢が突然、ストライキを起こしてふて寝することや、木の登ってなかなか下りてこない、村崎さんを引っかく、かみつくこともしばしば。観客はそれも芸の一つとして笑い、和む。

  村崎さんの一座は4月25日から5月2日まで金沢で公演する。そのうち、28日午前11時と午後2時の2回、金沢大学角間キャンパスで公演する。これが安登夢の金沢での最後の公演となる。

 ⇒23日(月)朝・金沢の天気   くもり

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☆メディアのツボ‐49‐

2007年04月18日 | ⇒メディア時評

 3月25日の能登半島地震を受けて、金沢大学震災対策本部に学術調査部会が立ち上がったことは以前、このブログで述べた。今回はその続き。学術調査には自身のテーマとして「震災とメディア」を設定した。今回の震災で被害がもっとも大きかった輪島市門前町は住民の47%が65歳以上、高齢化が進む地域である。この地域で震災がメディアがどのような果たした役割を果たしたのだろうかとの視点で調査に入っている。

         解けた疑問

  被災者へのアンケート調査や、マスメディアへのヒアリングなどを重ね、全体像を浮かび上がればと考えている。しかし、足元がおぼつかない。アンケート調査では、学生の協力を得ようと先日、講義室で100人ほどの学生に「被災者の生の声を聞いてみよう」と呼びかけたが、反応はいまひとつ。19日と20日に開くアンケートの事前説明会では学生が集まるだろうかと不安もよぎる。何しろ新学期で、学生は何かと忙しそうだ。

  ところで、マスメディアへのヒアリングを進める中で、解けた疑問が一つあった。その疑問とは、3月25日の地震の直後、私がとっさにつけたテレビはNHK総合だった。「災害のNHK」が無意識のうちに脳裏に刷り込まれているようだ。画面を見ると、能登半島沖が震源地で、輪島では震度6強というのに、NHK金沢放送局の映像がなかなか出てこない。最初の映像はNHK富山放送局の局内の揺れであったり、天気カメラが撮影した富山市内の様子だったりした。石川県金沢市に住む身とすれば、NHK金沢の映像が出ないので、「さてはNHK金沢に大きな抜かりがあったでは」と思ったりもした。これは「災害のNHK」を刷り込まれ、いち早くNHKにチャンネルを合わせた石川県の視聴者の多くが感じたことに違いない。

  そこで、きのう(17日)NHK金沢をヒアリングで訪ねた折、トップの放送局長に率直に切り出して聞いてみた。「地震情報がカットインしてから、なかなか金沢の映像が出ませんでした。何か理由があったのでしょうか」と。すると、「そのことはよく言われ困惑したことなのですが…」との前置きで、以下の説明をいただいた。地震発生時、震度6強の奥能登の映像を入手するまでにある程度の時間がかかる。すると手早く映像を出せるのは県庁所在地に位置する放送局となる。そうなると石川県の県庁所在地の金沢放送局からとなる。が、金沢市は震度4で、富山市は震度5弱だった。つまり、NHKの本局(東京)では当然、富山放送局の揺れの方が大きいと判断し、「能登の映像が入るまでは富山でつなげ」と指示を出したわけである。

  震度4の金沢放送局より、震度5弱の富山放送局の局内の映像や市内の映像の方が迫力がある。事実、富山県内でも多数の負傷者が出た。能登は石川と連想すると、当然、石川県に住む視聴者は金沢放送局の映像が先に出ると思ってしまう。ところが、地震は広域だ。テレビ局は見せる映像をどこが持っているかで判断するので、まず揺れが大きいほうの富山にとなったの当然だった。その後、NHKの映像にはその倒壊した輪島市の寺社や民家の凄まじい光景が次々と入ってきて、圧倒されることになる。

  近くであるがゆえに見えないこと。遠く離れているからよく見え、判断できることがある。今回は、「近くて見えないから生じた疑問」だったようだ。ぶしつけな質問にもかかわず、丁寧に答えていただいた放送局長に感謝したい。(※写真は、NHK金沢放送局の正面玄関に立つ震災の義援金受付の看板)

⇒18日(水)朝・金沢の天気   くもり 

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★泳げ鯉のぼり

2007年04月17日 | ⇒キャンパス見聞

 金沢大学角間キャンパスにある私のオフィス、創立五十周年記念館「角間の里」では、鯉のぼりを上げている。青空に映えてなかなかの光景だ。

  先日、乳母車を押した女性が鯉のぼりを見物に来ていた。大学の長い坂道を乳母車を押して来たのだろう。金沢市内では鯉のぼりを上げるスペースを持った自宅となると、郊外などに限られてくる。確かに、いまどき金沢で鯉のぼりは珍しいのである。

  ところで、この鯉のぼりを上げるには、それなりのテクニックが必要だ。まず、風にぐらつかないポールを立てる。上げる順番を間違えない。一度、吹流しをうっかり最後に上げてしまい、やり直したことがある。吹流しは5㍍ほどもあるので、最後にすると、風がない場合、尾の部分が地面についてしまうのだ。ポールやひもに絡まって、上げ下ろしも結構時間がかかったりすることがある。雨が降ってきたらすぐ下ろすなど、気も使う。市民ボランティアの方から預かっている借り物だからだ。

  青空に映えるのは、真鯉(まごい)の黒を始め、緋鯉(ひごい)の赤などデザイン的に配色が鮮やかだからだ。春風にゆったりとそよいで、心が洗われる。5月下旬までの日曜日を除く毎日(※雨天は中止)上げる予定だ。

⇒17日(火)朝・金沢の天気  くもり

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☆「13.5」の人からのメール

2007年04月13日 | ⇒ドキュメント回廊

 阪神・淡路大震災(1995年1月)は震度7だった。今回の能登半島地震は震度6強。この6強を6.5と計算して、「おれは13.5の男」と自称している人がいる。石川県輪島市門前町の災害ボランティア現地本部スタッフ、岡本紀雄さん(52歳)は阪神と能登の2つの地震を経験した。そして被災者だ。

  被災者だから、本当に何が必要なのかよく理解できる。その経験を生かし、新潟県中越地震(2004年10月)では被災地で支援活動をした経験を持つ。2週間余り、炊き出しやがれきの後片付けをした。前回のブログ(4月10日付)で紹介した「猿回し慰問ボランティア計画」は、避難所生活のお年寄りはストレスや疲労がたまりやすく、エコノミークラス症候群などにかかりやすいので、「何とか、外に出て歩いてもらうきっかけを」とアイデアを出し合ってひらめいたのが猿回し公演だ。細やかなことにまで気が回るのも、被災地で支援活動をした経験を持つからこそだ。

  写真は3月30日、岡本さんに案内してもらって見舞金を被災地に届けた折に撮影、本人の許可を得て、今回ブログに掲載させてもらった。ところで、阪神から能登にきた理由は。阪神大震災では、兵庫県宝塚市のマンション6階にいて、自宅は半壊した。勤務していた大手進学塾を03年に退社。勤務先の研修施設があった門前町(現・輪島市門前町)に移り住み、旅行会社を設立する一方で、地域づくりのNPO法人能登ネットワークの立ち上げに参画し、事務局長に就いた。昨夏、金沢の子どもたち30人余りを能登に招いて「里山里海自然学校」を共催した。子どもたちを甘やかさず、自立を促すように導く。そんな接し方だった。

  その岡本さんから先日(11日)、メールをいただた。以下、本人の許可を得て、抜粋して紹介する。

  「被災の方々は、これからの暮らしについて考え始めています。仮設は立ちましたが、先ほど書いたような今までの家とは比べ物にならないものです(こちらでは町営住宅でも90平米もあって4万円台の家賃、駐車場付き)。具体的な広さは知りませんが、コンテナハウスのようなものが急ピッチでたっています。本当は言ったらダメなことなのでしょうが、部屋の狭さの不平は出てくるでしょう。IH調理器やユニットバスにもなれていないでしょうから、戸惑いも多いことでしょう。」

 「ご存知のように、年配者の多い地域です。独居老人や老夫婦のことを考えると、ケアハウスのようなものを早急に考えなくてはならないでしょう。仮説だけではなく、立替や修理などの住まいの問題は、先が見えません。いろんな業者が入ってきて営業しています。自分のことだから決めるのは各自ですが、行政が音頭をとって一括した説明会などを考えないと混乱が起こることが予想されます。」

 「一昨晩、沖に漁火が二つほど見えました。今日は道下の畑でかぼちゃの植え付け作業をしていました。田植えの準備のために水利組合の会合も開かれています。稲の種まきもされています。無傷の酒タンクに残っていた中野酒造のお酒は、タンクローリーで数馬・金七酒造に運ばれ、ビン詰め作業が始まっています。ラベルは中野さんのものが張られます。能登門前は一日一日元気になってきています。能登全体はほとんど震災前のままです。間接的ボランティアお願いします。能登の物産を買ってください。能登にお越しください。」

⇒13日(金)朝・金沢の天気  はれ

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★モンキーパワーを借りよう

2007年04月10日 | ⇒トピック往来

 能登半島地震から2週間余り、いまだに370人ほどの被災者が避難所での生活を送っている。窮屈な環境が招くとされる「エコノミークラス症候群」などを防ぐため、保健師の指導でお年寄りらが毎日30分間ほど、手を回したり伸ばしたりといった体操をしている。何しろ先の新潟県中越地震で亡くなった67人のうち、51人は避難生活によるストレスや疲労、エコノミークラス症候群などによる関連死だったといわれる。

  中越地震でボランティア経験もある地元・輪島市門前町のN・Oさん(52)から聞いた話では、避難所生活が長くなってくると、気力が弱ってくるせいか、お年寄りは外に出たがらなくなる。「外に出て深呼吸するだけでも随分といいのだが」と心配する。

  そこでなんとかお年寄りに外に出てもらう方法はないかと一計を案じ、ひらめいたのが「お猿さんの力を借りよう」。周防(すほう)猿回しの伝統芸能で全国を回っている村崎修二さん(59)が相棒の安登夢(あとむ)=オスの16歳=を連れて4月20日から石川県に入るという連絡を以前受けたのを思い出した。そこで村崎さんに電話をすると、「慰問ボランティア、ぜひやりましょう」と話が即決まった。

  村崎さんとは去年のゴールデンウイークに金沢大学角間キャンパスで猿回し公演と、文化講演をしていただいた縁でその後何度かお話をさせていただた。村崎さんは、作家・司馬遼太郎の「風塵抄」(中央公論社)の中に「おサルの学校」というタイトルに出てくる。日本の霊長類研究の草分けである今西錦司博士が村崎さんに「おサルの学校」をつくってほしいと依頼した経緯について記されている。その後、司馬氏から「あなたはサルのおかげで人間の大ザル(今西博士)とめぐり会えたんや」と声をかけられたことあったそうだ。

  その村崎さんから「お猿とお年寄りは相性がいい」「猿回しの芸を一番喜んでくれるのはお年寄り、それもおばあちゃんが喜ぶ」「安登夢が棒のてっぺんに上ってスッと立つと、たいがいのお年寄りは『有り難い、有り難い』と合掌までしてしてくれる」と何度か話してくれたのを思い出した。そのモンキーパワーを活用して、お年寄りを運動場に誘い出そう、そして少しでも元気を出してもらおうというアイデアなのだ。今月21日午後、輪島市門前町などで「猿回し慰問ボランティア」を実施する。

⇒10日(火)夜・金沢の天気  はれ

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☆震災と大学

2007年04月06日 | ⇒トピック往来

 3月25日に発生した能登半島地震から10日余りたったきのう(5日)、金沢大学では震災の学術調査部会が立ち上がった。発生直後から,教員グループの学術調査や医療チームによる支援が行われていて、3月30日には学内外への対応窓口を一本化し,情報収集や連絡調整を行うための「金沢大学能登半島地震対策本部」が設置された。今回の学術調査部会は対策本部のセクションとしての位置づけである。

  今回、この対策本部のもとで個別に実施されている多様な学術調査の収集の一元化作業が行われる。また、その調査活動を大学として総合的に支援し、さらに今後の学術調査や復興支援に生かすというもの。連日、新聞やテレビで研究者が解説しているものの、それはある意味で断片的なので、総合的な報告書としてまとめる狙い。

  当日の出席者は研究者70人ほど。その席上で発言が相次いだのは、「まとめるだけだったら能登の復興の役には立たない。むしろその調査をもとに政策提言にまで踏み込んだものを」の声だった。当然といえば当然なのだが、これは簡単な話ではない。政策提言となるとそれなりの政策の予算や技術など実現性の裏づけを含めた提言内容が必要だ。事によっては膨大な作業を伴い、時間もかかる。通常の授業や研究と並行しながらの作業となる。ワンフレーズで言えば、「その覚悟でやろう」と発言者は言いたかったのである。

  大学とかかわって3年目、これまで腰が重い世界との印象だった。が、今回は「動く」との予感がした。

 ⇒6日(金)朝・金沢の天気  はれ

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★花よりボランティアの日曜日

2007年04月01日 | ⇒トピック往来

 金沢では平年より8日早く3月29日にソメイヨシノが開花した。そしてその初めての日曜日、本来ならば金沢の兼六園などは花見の客でにぎわうころだ。ところが「異変」が起きている。

  写真は、きょう(1日)午後0時25分に撮影した金沢城の沈床(ちんしょう)園の様子だ。がらんとしている。人通りもまばら。三分咲きほどの桜の枝が、緩やかな春風に揺れている。金沢市民ならば、この季節に目にする沈床園での花見宴会のにぎわいがない。宴に備えてのブルーシートを敷いての陣取りもいない。市民は花見を忘れたかのような静けさだ。

  一方、けさ午前6時20分、金沢市袋畠町の県産業展示館4号館前には大型バスが20台余りが横付けされていた。能登半島地震の被災地へ向かうボランティアのシャトルバスだ。きのう土曜日も市民ら880人を乗せて輪島市や穴水町の32ヵ所の避難所に向かった。きょうは人数ではさらに多いだろう。また、バスではなく、直接乗用車で向かうボランティアグループも相当多いはず。支援の輪の広がりに心強さを感じる。

  ところで、金沢城沈床園の閑散とした状態はこうしたボランティアの結集の裏表の現象と言える。「こんなとき(震災後)に花見宴会の気分ではない。自粛しよう」ということだろうか。しかし、個人的には「花よりボランティア」というより、「花もボテンティアも」である。自治体の首長ならば公人として少々の批判はあるかもしれないが…。要は周囲がとやかく言う必要はない。自分の心に正直に行動すればよいだけである。

  それにしても、沈床園は静かすぎる。で、冷静にその理由を考えてみた。30日付の朝刊各紙をチェックすると、「開花」の記事は隅に追いやられている。あるいは写真がない。とくかく目立たない扱いなのだ。テレビも同様にお天気コーナーで少し触れただけだろう。例年ならば各社は競って中継に入る。ところがその中継車は被災地にはりつけとなっている。石川県の人々の耳目は震災に集まっていて、開花宣言を知らないのではないか、というのが話のオチだ。

 ⇒1日(日)午後・金沢の天気  くもり

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