自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★5Gに突入、放送はどうする

2018年10月29日 | ⇒メディア時評

   きょう(29日)の読売新聞夕刊で「地域限定5G新設」の記事がスクープされている。「5G」は第5世代の無線通信で、現行の100倍を高速通信が可能になり、あらゆるものがネットにつながる「IoT」のインフラとして期待されている。記事によると、過疎地における遠隔医療や自動運転のモデルとして地域限定で新設していく。この記事を読んで放送と通信の同時配信へのチャンスが訪れたのではないかと考える。

   今月4日付「月刊ニューメディア」のメールマガジンに5Gと放送の可能性を考えるヒントがあった。編集長の吉井勇氏の許可を得て、以下紹介する。10月3日、早稲田大学の大隈記念講堂大講堂でNAB(National Association of Broadcasters=全米放送事業者協会)のゴードン・スミス会長が「変革の時代にこそ変化をつかむ」をテーマに講演を行った。NABは米国のテレビ5百社とラジオ9千社で成る団体で、80年の歴史を持つ最古にして、最大の放送事業社団体。日本で言えば、日本民間放送連盟に相当する。

   ゴードン会長は「変化の時代」について、電波のスペクトラムと通信によるインターネットサービスのコンバージェンス(convergence=共通化)であると述べた。この変化に対し、放送業界は新技術を含めた積極的な投資を行い、新たなビジネスモデルを生み出せ、と話しを切り出した。

   アメリカの場合、電波の割り当てを入札方法による有効活用のチャンスを拡大している。これまで放送事業者に優先分配されたものから、もっと通信事業社に提供しようという政策転換で、放送用が大幅に減らされてきている。また、放送方式を地デジはATSC1.5という規格だったが、今度はATSC 3.0に変えることを決めている。この方式の特徴は現在の普及している方式と互換性がないこと。アメリカは大胆に構造転換を図る。その代り、この次世代テレビ方式は「柔軟性に富み、高画質、ネットとの親和性によるアドレッサブル(addressable=個別配信)の番組やCMの新サービス、革新的なオーディオ、そして命を守るための災害時などへの緊急放送など」を挙げている。つまり、放送方式をIPベースにチェンジしたことで大きなメリットに繋がるベースを築いた。 

   ゴードン会長は「こうした新技術の導入が、ローカルコミュニティへの貢献であり、ジャーナリズムの表現の自由により真実を伝えるという放送本来の役割を実現することに貢献する」とデジタル技術変革の時代について、その基本の考えを示した。講演内容は格調高いものだった。世界のさまざまな場で語ってきたことで鍛えられた内容であり、非常に洗練されたものだった。ビジョンを示すことで、先が見えにくい変化の時代を前に進むことを後押しするという役割をNABが担っているという矜持を感じさせるものだったという。 

   メールマガジンでは「ただ一つの不満」として、世界のIT巨人がブロードな技術を使ってコンテンツ提供サービスへ意欲を示し、多チャンネルサービスを展開しようという巨大な波に放送事業者はどう迎えるのか、どう戦うのかと問題提起も付け加えている。

   日本では12月1日から「4K・8K」放送が始まる。8Kがもたらす革新の映像だろう。これも5Gとの相乗効果が得られる「変化の時代」になるかもしれない。アメリカのようなダイナミックな構造転換は日本のテレビ業界では可能なのか。ただ、日本ではインターネット広告費が4年連続二ケタ成長であるのに対し、テレビは前年比99%と減少傾向にある(2017年・「電通」調べ)。数年後にはテレビはネットに抜かれる情勢だ。民放テレビ局が逆境にある中で、5G突入の時代をどう乗り切るのか、伸るか反るかの大勝負に出るのかどうか、見どころだ。(※写真は、ヴァチカン美術館のラファエロ作『アテネの学堂』。プラトン(左)が指を天に向けているのに対し、アリストテレスは手のひらを地に向けている)

⇒29日(月)夜・金沢の天気   くもり

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☆ササ刈りとパンダ

2018年10月28日 | ⇒キャンパス見聞

    金沢大学の角間キャンパスは中山間地にあり、200㌶と広い。学長が音頭を取って年に数回、学生たちと山の草刈りをする。題して「学長と汗を流そう!角間の下草刈りプロジェクト」。きょう(28日)午前中、そのイベントに参加した。傾斜地のささやぶを鎌で刈っていく作業だ=写真・上=。

    ササの種類はクマイザサで、葉の数が多いもので9枚もある。茎は一本ではなく、枝分かれしている。高さは1.5㍍ほどだろうか。幅広の葉は殺菌力があるとされ、当地では「笹ずし」といった食品加工にも使われている。学生たちの草刈りを指導してくれたNPOのスタッフが話題提供をしてくれた。ササとパンダの話である。

    パンダのかわいらしさは動作もさることながら、顔立ちにある。広いおでこと丸いあご。パンダは繊維質の多いササや竹を噛みつぶし、細胞に含まれる栄養分を取っている。これは堅いものを噛みつぶすときにあごを強力に動かす筋肉が頭蓋骨の上に付いているからなのだ、とか。そのためおでこが広く、あごが広く丸くなっている。ササや竹を食べる習性があの顔立ちをつくっているのかと納得した。

    初めてパンダをじっくり見たのは2008年1月のこと。中国・西安市の中心から70㌔ほど離れた「珍稀野生動物救護飼養研究センター」を見学した。研究センターにはパンダのほかトキやキンシコウ(「西遊記」のモデルとされるサル)など希少動物が飼育されていた。ここでササや竹をむさぼるように食べるパンダの姿=写真・下=が印象的だった。そのときに係員に質問した。「なぜパンダはササや竹を食べるのですか」と。即答だったことを覚えている。「パンダは(中国の)山岳地帯の奥地に生息していますが、それは生存競争を避けるためです。ササや竹は冬でも枯れず年間を通して豊富にあります。身を守るために食べ物には無理せず、質素なものを選んだ動物なのです」と。

    今にして思えば、生存競争を避ける選択があのかわいらしさを創っているのか。ただ、中国人の係員はこうも言った。「パンダは見た目はかわいいですが、よくみると目つきは鋭く、怖いですよ。うかつに近寄ると、鋭い爪ではたかれますよ」。パンダの意外な一面を知った思いだった。

    急斜面での草刈りの作業は進み、横に移動しようとしたとき、刈って下に置いたササの葉の上にうっかりと足を乗せてしまい、足を滑らせた。そのまま、3㍍下にころげ落ちた。軟らかな土壌だったのと岩石などがなかったことが幸いで、けがはなかった。その様子を見ていたスタッフがひと言。「コロコロと落ちる様子はまるでパンダのようでしたよ」と真顔で。たとえが絶妙で、我ことながら笑ってしまった。

⇒28日(日)夜・金沢の天気   くもり    

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★にちにちこれこうじつ

2018年10月23日 | ⇒トピック往来

  「日日是好日」という禅語を掛軸や額で何度か見たことがあり、「ひびこれこうじつ」と読んでいた。意味も自分勝手に「日々生きる幸せな日」などと解釈していた。 きょう(23日)JR金沢駅前にあるイオンシネマ金沢フォーラスで映画『日日是好日』を鑑賞して、「にちにちこれこうじつ」と読み、意味ももっと深いことが分かり、自らの勝手解釈の浅はかさを思い知った。

    物語は樹木希林が演じる茶道の先生の元で、主人公を演じる黒木華が大学生の20歳の春にお茶を習い始めことから始まる。最初は少し息苦しさを感じた。何しろ、一つの茶室で帛紗(ふくさ)さばき、ちり打ちをして棗(なつめ)を「こ」の字で拭き清める。茶巾(ちゃきん)を使って「ゆ」の字で茶碗を拭く。多くのシーンは点前だ。主人公が少し重苦しい「静」の空間から出て、海辺でははしゃぐ「動」の空間を交互に交えながら物語が展開していく。

    面白いのは二十四節季の茶室が描かれ、茶道の四季を際立たせている。四季は「立春」「夏至」「立秋」「小雪」「大寒」などと移ろっていく。同時に掛け軸と茶花が変わり、炉から風炉へ、菓子も季節のものが次々と。外の風景も簀(す)戸、障子戸と季節が移ろう。夏のシーンで主人公が床の掛け軸の「瀧」と茶花のムケゲと矢羽ススキを拝見する姿がある。瀧の字は流れ落ちる滝のしぶきをイメージさせ、「文字は絵である」と悟る。小さな茶室での物語であるものの、季節感あふれる多様な茶道具に見入り、茶道の世界の広さと深さに圧倒される。

    樹木希林の演技はまさに「お茶の先生」。初釜の場面で、濃茶の点前をする長めのシーンがある。複雑な手順も自然にこなし、流れが身についていると感じさせる。作法と演技を一体化させる才能はどこから来るのだろうか。主人公は失敗と挫折、人生の岐路に立たされながらも、茶道を通じてその清楚さに磨きをかけ、ヒロインとして輝きを放つ。この映画はお茶室で繰り広げられる、茶道という「道」の壮大なドラマかもしれない。日日是好日の意味は、喜怒哀楽の現実を前向きに生きる、その一瞬一瞬の積み重ねが素晴らしい一日となる、そんな解釈だろうか。

    映画で、弟子の一人が建水を持って後ろ向きにひっくり返るシーンがある。静かな空間でのダイナミックな転倒にドキリとして、そして笑いが込み上げてくる。映画を見終えて、イオンシネマ金沢フォーラスを出ると、広場がある。そこにはヤカンがひっくり返り、フタが外れている芸術作品『やかん体、転倒する。』(三枝一将作)=写真・下=がある。映画のシーンとイメージがダブって、また笑いが込み上げてきた。映画を見た人でないと笑えないかもしれない。

⇒23日(火)夜・珠洲市の天気    はれ

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☆ジャーナリズムを守る国々

2018年10月22日 | ⇒メディア時評

        サウジアラビア人ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の殺害疑惑をようやくサウジアラビア政府は認めたものの、関連ニュースによると、トルコの総領事館内で口論から殴り合いによるものだったとして、あたかも偶然と過失が重なったと言わんばかりだ。無理した抗弁のような印象だ。取りざたされているムハンマド皇太子の関与もまったく認めていない。一つ言えることは、今回の公式発表でサウジに対する国際評価は明らかに下がった。

   国外での暗殺の場合はスナイパー(狙撃手)を雇って暗殺というケ-スは多々ある。総領事館にはトルコの警察権がおよばない治外法権があるので、周到に準備された殺害なのだろう。カショギ氏が総領事館に入ったのは今月10月2日、結婚届けが目的だったとされる。総領事館で待ち伏せていた「暗殺部隊」によって拘束された。「薬物を投与して無理やり本国(サウジ)に連れて行く」と脅されたカショギ氏は抵抗し、首を絞められて死亡したと発表されている。今後の事実解明の手がかりはカショギ氏の遺体の発見が鍵となるだろう。

    こうしたサウジの公式発表にフランス、ドイツ、イギリスの外務大臣が21日、事件のさらなる真相解明を求める共同声明を発表している。以下、在日フランス大使館のホームページ=写真=から引用する。

    「この殺人を正当化できるものは何一つなく、われわれは最も強い表現で断固非難します。表現の自由および報道の自由の擁護はフランス、ドイツ、イギリスにとって極めて重要な優先課題です。ジャーナリストに対する脅迫、襲撃、殺害行為はいかなる状況でも容認できず、われわれ3カ国にとって重大な懸念事項です」「われわれは予備的結論を発表したサウジアラビアの声明に留意します。しかしサウジアラビアの捜査で現在までに提起された仮説を超えて、10月2日に正確に何が起こったのかを明らかにすることが喫緊の課題です。これらの仮説は信頼に足ると判断された事実で裏打ちされなければなりません。われわれは徹底的かつ透明で信頼に足る真相究明のため、より一層の努力が必要であり、期待されていることを強調します。われわれは何が起こったかについて今後受ける追加的な説明の信頼性と、このような卑劣な事件が繰り返されることがないよう、今後二度と生じることがないようにするという信念に基づいて、最終的に決定を下します」

    3ヵ国は今月14日にも共同声明を発表し、「表現の自由や報道の自由を守ることは極めて重要な優先事項であり、いかなる状況下であっても、ジャーナリストを脅し、攻撃し、殺害することは受け入れられない」と強調している。そして今回は「われわれは責任者が明確に明らかにされるまで、事件の犯人が真の訴訟で責任を負うまで、捜査が徹底的に続けられるよう要求します」とまで言及している。ジャーナリズムを守るためにこれほど敏感に行動する3ヵ国。敬服に値する。

⇒22日(月)午後・金沢の天気   はれ

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★ウォッチドッグジャーナル

2018年10月20日 | ⇒ニュース走査

   大学で担当している「ジャーナリズム論」(履修生120名)では、ジャーナリズの社会的な役割について、「ウォッチドッグジャーナル」というキーワードをよく使う。ウォッチドッグ(watchdog)は直訳で「番犬」のこと。報道の役割は権力のチェックにある。民主主義社会は三権分立だが、権力は暴走しやく腐敗しやすい。権力に対するチェック機能が必要である。インターネット時代は、膨大な情報を簡単に入手できる。しかし、政府や官公庁の発表に頼らず、独自に掘り起こす調査報道がなければ、報道機関としての存在意義がない。世の中に警鐘を鳴らす。言わねばならないことを言うべきときに言う。それがウォッチドッグジャーナルだ、と。

   今月17日の講義でも冒頭でウォッチドッグに触れた。「トルコのサウジアラビア総領事館で姿を消したサウジアラビア人ジャーナリストのジャマル・カショギ氏はおそらく厳格な番犬だったのだろう」と。この講義でカショギ氏をめぐるニュースを取り上げたのは、「ジャーナリズムの尊重」が国際評価基準になっていることを伝えたかったからだ。カショギ氏は国際ジャーナリストとして著名ではないものの、アラブの権力者に対して真向から言論の自由を訴えてきた。

   アメリカのワシントン・ポスト紙にカショギ氏がコラムを掲載してきたことをニュースで知り、同紙のWeb版をチェックした。見出しは「What the Arab world needs most is free expression」(アラブ世界が最も必要とするものは自由の表現)。現地時間17日付のコラムだ。最後の執筆となったこの記事を読むと、アラブの権力者たちの在り様を切々と問うている。以下要約を試みる。

   アラブ世界ではチュニジアなどを除きほとんどの国で言論の自由がない。2011年のアラブの春は形骸化している。アラブの人口の圧倒的大多数が国の虚偽の物語の犠牲者になっている。アラブのジャーナリストはインターネットが普及が印刷媒体の検閲から情報を解放すると信じていた時があったが、現在政府は懸命にインターネットをブロックしている。記者を逮捕し、出版物の収入を阻止するため広告主にも圧力をかけている。アラブの普通の人々の声を伝えるプラットフォームや、社会が直面する構造的問題を人々が発信する国際フォーラムが必要性だ。アラブの人々はこの国際フォーラムの創設を通して、プロパガンダを通じて憎悪を広げる国家主義的な政府の影響から解放され、社会が直面する構造的問題に取り組むことができるだろう.(Through the creation of an independent international forum, isolated from the influence of nationalist governments spreading hate through propaganda, ordinary people in the Arab world would be able to address the structural problems their societies face)

   こうしたカショギ氏の切々とした訴えは完全に無視された。サウジアラビア政府は総領事館でカショギ氏が殺害されたことを認め今日になって発表した。厳格な番犬=ジャーナリスト、カショギ氏の死を悼む。

⇒20日(土)午前・金沢の天気    くもり

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☆北に「アダムの創造」は実現するのか

2018年10月19日 | ⇒メディア時評

    12年前の2006年1月にローマを用務で訪れた。当時、金沢大学が国際貢献と位置づけていた教会壁画の修復プロジェクトの現状を取材するのが目的だった。カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂なども見学した。ローマの街を歩くと、面白い広告があった=写真=。バイクのレンタルの屋外広告だ。指先を軽くタッチする、映画「ET」のモデルにもなったといわれるあの名画、ミケランジェロのフレスコ壁画『アダムの創造』がモチーフなのだ。名画のモチーフが広告デザインとして普通に街中で使われていて、カトリックの総本山・バチカン市国を抱えるローマらしい光景だと思った。

   『アダムの創造』は、神がアダムを最初の人類として息を吹き込んだという、旧約聖書の「創世記」より創造の物語を描いたとされる。神とアダムの手が触れそうになっている様子は、慈しみのシンボルとされるが、その光景をイメージさせるニュースがあった。けさのNHKニュースによると、韓国の文在寅大統領がきのう(18日)ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王と会談し、北朝鮮の金正恩委員長からの訪朝の要請を伝え、法王も前向きな姿勢を示したと韓国大統領府の発表を伝えている。

   ニュースをさらに引用すると、文大統領は9月19日の南北首脳会談の際、金委員長がフランシスコ法王の訪朝を歓迎する考えを示していたことを踏まえ、「金委員長が招待状を送ってもよいか」と質問した。これに対し、フランシスコ法王は「文大統領の言葉でも十分だが、公式な招待状を送ることが望ましい」と応じた。そのうえで、「招待状が来れば必ず返事をするし、行くこともできる」と述べて、訪朝に前向きな姿勢を示したという。一方、ローマ法王庁も会談後に声明を出し、朝鮮半島の平和と発展につなげる取り組みを高く評価するとしたが、訪朝についての言及はなかった。一方で、北朝鮮では信仰の自由が侵害されていると指摘していて、法王の訪朝が実現するかどうかは不透明と伝えている。

   このニュースを視聴して不可解に思ったのは、なぜ文大統領がわざわざこのメッセージを伝えにバチカンに行ったのか。金委員長からそのような伝言を託されたとしても、文大統領は「信仰の自由をまず解禁しなさい」と金委員長に諭すのが先ではないのか。あるいは、金委員長は2001年までの4年間、スイスに留学した経験があるので、カトリック教にはそれなりに理解があるのかもしれない。フランシスコ法王の訪朝を契機に信仰の自由を解禁すると世界にアピールする「サプライズ」があるのかもしれない。

   もしそうならば、フランシスコ法王と会うときには、金委員長は自らの「懺悔」「告白」「悔い改め」を述べることが必要ではないのか。それがなければ、信仰の自由を解禁を宣言したとしても、トランプ大統領と非核化の約束したもののいっこうに進展しない状況の同じ轍を踏むのではないかと世界は読んでしまう。

   金委員長がフランシスコ法王から祝福される「アダムの創造」が実現するのか、あるいは単なる「広告」か「パロディ」か。このニュースの続報が楽しみだ。

⇒19日(金)朝・金沢の天気    はれ

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★トランプ大統領の「漂着ゴミ」発言

2018年10月12日 | ⇒メディア時評

    きょう朝のテレビニュースで、アメリカのトランプ大統領が、アメリカに漂着するゴミが膨大な量にのぼり、アメリカが費用を負担するのは不公平だと不満を示し、対抗措置を取る考えを示したと報じている。トランプ氏としては環境問題に触れた意外な発言だと思い、ホワイトハウスのホームページなどをチェックした。

    トランプ氏は11日、ホワイトハウスで開かれた関連法署名式典で記者団に対して語った。中国や日本を含む多くの国から、毎年800万㌧以上のごみがカリフォルニア洲などの海岸に漂着していると述べ、海洋生物やアメリカの経済そのものを傷つけていると批判した。トランプ氏は「海洋ゴミの責任は各国にある」との認識を示し、対抗措置を取る考えを示した。ニュースでは日本に費用負担を求めてくる可能性などが伝えられているが、むしろこれを機会に海洋ゴミについての地球規模の海洋法をさらに整備すべきではないかと考える。

          海洋ゴミと生態系について知られた国際条約はバルセロナ条約(汚染に対する地中海の保護に関する条約)だろう。UNEP(国連環境計画)の主導で1976年に本条約が採択され、21ヵ国とEUが締約国が加盟している。特別保護地域などを特定し、海洋環境、生態系バランス、自然や文化遺産として重要な海洋や沿岸地域を保護するための対策が盛り込まれている。 

    現在UNEPで条約を担当しているアルフォンス・カンブ氏と能登の海岸をテーマに意見を交わしたことがある。カンプ氏とは彼が「いしかわ国際協力研究機構(IICRC)」の所長時代に金沢で知り合い、何度か能登視察に同行した。廃棄物が漂着した海岸を眺めながら、日本海は生け簀(いけす)のような小さな海域であり、このまま放置すれば大変なことになるとカンプ氏は危機感を抱いていた。そのとき、バルセロナ条約によって、地中海の海域が汚染されるのを何とか防いでいると教えてもらった。「日本海の環境を守る能登条約が必要ですね」とカンプ氏が語ったことが印象的だった。

    地球規模で海洋投棄を禁止する条約には「ロンドン条約」がある。各国の負担を要求する以前に、トランプ氏にはぜひロンドン条約の改正を主導して、魚類残さや魚類の産業上の加工作業によって生じる物質と天然に由来する有機物質以外はすべて海洋投棄を禁止すると改めてほしいものだ。

(※写真は奥能登国際芸術祭2017の深沢孝史作「神話の続き」。白い鳥居は能登の海岸の漂着ゴミであるボリタンクやペットボトル、漁具などでつくられた。ゴミにはハングル文字や中国語、ロシア語の表記のものが目立つ)

⇒12日(金)朝・金沢の天気    くもり

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☆アメリカ 大荒れ

2018年10月11日 | ⇒メディア時評

       アメリカが大荒れだ。アメリカのCNNテレビによると、大型ハリケーン「マイケル(Michael)」が10日午後1時(日本時間11日午前2時)、フロリダ州に上陸した=写真・CNNWeb版=。風の勢力は5段階で上から2番目のカテゴリー4。アメリカ大陸に上陸したハリケーンとしては1992年の「アンドルー」以来の強さとなると、州政府は非常事態宣言を出し、厳重な警戒を呼びかけている。

  風の強さは半端ではない。フロリダの上陸地点に近いメキシコビーチで最大風速70㍍の暴風だった。その後はカテゴリー2に引き下げられたものの、メキシコビーチの住民の話として、コンクリートの建物内にいても暴風による揺れや振動を感じ、一部のオフィスビルや民家の窓ガラスは暴風で吹き飛ばされて粉々になったという。住宅の一部は高潮にのみ込まれた。49万戸が停電に見舞われ、被害に遭った病院では発電機が使えなくなり、患者を安全な場所に避難させているという。

  Deadly Hurricane 、死者が出るような、強烈なハリケーン。命の危険を伴う高潮や猛烈な暴風を伴って北上を続けていて、アラバマ、フロリダ、ジョージア、サウスカロライナ、ノースカロライナの各州には警報が出されている。

  株価も大荒れだ。10日のニューヨーク株式市場のダウ平均株価の終値は、前の日に比べて831ドル安い2万5598ドルだった。率にして3.1%の下落。インフレへの懸念から長期金利が上昇し、これが企業収益を圧迫するとの見方から全面安の展開となったようだ。これを受けて、11日の日経平均株価は一時1000円以上も急落するなど荒れの連鎖だ。

  きょうの金沢は朝から寒さを感じる。予報によると、一日中雨で気温は19度までしか上がらない。世界に被害をもたらす異常気象、世界の経済は持つのか。少し気が滅入る。明るいニュースに飢えているのか。

⇒11日(木)午前・金沢の天気    あめ

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★阿武松と輪島の横綱顕彰碑

2018年10月09日 | ⇒ドキュメント回廊

   能登が生んだ相撲界のトップは2人いる。第6代横綱、阿武松緑之助(おうのまつ・みどりのすけ、1791‐1852)と第54代横綱の輪島大士(わじま・ひろし)だ。2人の生きた時代はまったく違うが、幼いころからエピソードはよく聞いた。ことし5月に2人の顕彰碑を訪ねる機会があった。

   阿武松の顕彰碑は生まれ故郷の能登町七見にある。富山湾を臨む海辺に、高さ4.5メ㍍、幅2.4㍍の石碑だ。町の案内板によると、碑は昭和12年(1937)に建立され、相撲力士碑としては日本一の大きさと説明がある。文政11年(1828)に横綱に昇進、天保6年(1835)の引退までの在位15場所の通算成績は230勝48敗だった。ちょっと癖もあったようだ。立合いでよく「待った」をかけた。良く言えば慎重派だったのだろう。当時の江戸の庶民はじれったい相手をなじるときに、「待った、待ったと、阿武松でもあるめぇし…」と阿武松の取り組みを引用したほどだった。

   阿武松が引退して、145年後再び能登生まれが横綱に駆け上った。輪島だ。七尾市石崎町の出身。阿武松の故郷とは直線距離にして30㌔ほどだろうか。同じく海辺の町だ。ちなみに現役の遠藤聖大(えんどう・しょうた)は2人の中間地点の穴水町中居の生まれ。

   輪島は金沢高校1年のときに国体で優勝して地元石川で名をはせた。日本大学へ進み、2年連続の学生横綱、そして花籠部屋へ入門した。当時、学生横綱がプロの世界に入るのは異例だった。1973年に横綱に昇進したが、本名で通した。これも異例だった。ただ当時、能登半島の観光ブームの起爆剤になった。輪島は「輪島の朝市」や「輪島の千枚田」を連想させ、生誕地に接する和倉温泉のにぎわいに貢献した。77年に歌手・石川さゆりの『能登半島』がヒットし、能登ブームはピークに達した。

   左下手を取ると力を発揮する特異な取り口は「黄金の左」と呼ばれ、ライバルの横綱・北の湖とともに「輪湖時代」の全盛期を築いた。81年春場所で引退、通算成績は673勝234敗だった。その後、花籠部屋を継承したが、金銭トラブルなどで日本相撲協会を退職。プロレスラーに転向し、ジャイアント馬場の門下に。その後も輪島の話題は地元でよく聞いた。出身地の石崎奉燈祭(8月)では、帰省してキリコを担いでいる写真が地元紙で掲載されたこともあった。一方、仕事に困って和倉温泉の旅館で下足番をしているのを見たなどと噂話も。これも「有名税」なのだろう。

   その輪島がきのう8日逝去したと報じられた。70歳だった。阿武松の顕彰碑に匹敵する石碑が生まれ故郷の石崎町、市立能登香島中学の後方に建っている。

⇒9日(火)夜・金沢の天気    あめ

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☆たかが茶会、されど茶会

2018年10月08日 | ⇒ドキュメント回廊

    きょう(8日)台風一過の晴天。そして文化の秋、真っ只中でもある。知人に誘われ、茶会に出かけた。自身も大人のたしなみを心得たいと思い、茶道の稽古を月2回のペースで積んでいるが、何しろ「六十の手習い」で習っては忘れるの繰り返しではある。

    茶会の名称は「金沢城・兼六園大茶会」、石川県茶道協会や地元の新聞社などの主催。8流派13社中が点前を披露する、まさに大茶会だ。この茶会の特徴は、陶芸や漆芸、木工などの人間国宝から若手作家までの新作道具を使用することが条件となっている。点前もさることながら工芸作家の新作も楽しみな茶会だ。

    午前中、国の登録有形文化財の武家屋敷「松風閣」=写真・上=で遠州流の点前を披露する茶席についた。多数の客がいる「大寄せの茶会」でそれぞれの流派の点前を拝見すると流派の特徴がよく分かる。遠州流は大名茶人で知られた小堀遠州を祖としていて、武家茶道の代表でもある。遠州流では、袱紗(ふくさ)は右腰につけ、私が習っている表千家流では左腰につける。同じ社中の人から、武家茶道では左腰は刀を指す場所なので、反対側の右側に袱紗をつけるのだと聞いたことがある。「なるほど」と思ったのだが、遠州流を習っている別の知人に聞くとそうではないらしい。千家流(表千家、裏千家、武者小路千家)を広めたとされる千宗旦(利休の孫)は左利きだったので、左腰に袱紗をつけるのが千家の流儀になったのだと。念を入れて、遠州流のホームページをチェックすると確かに同様のことが記載させれていた。はやり、人物の利き手の違いなのだろうか。

    茶席の床を拝見する。床の掛軸は『一山行尽一山青』。亭主が解説してくれた。禅語で、「一山行き尽くせば一山青し」。何とか山を登りきったと思えば、 また登らねばならぬ青々とした山が見えてくる、人生は是れ修行なり、と。武家茶道らしい、人生を山にたとえたダイナミックさ、そして実にストイックな一行である。

   掛軸の下の季の花に心が打たれた。花入は遠州が好んだといわれる瓢型の『砂張瓢花入』(魚住為楽作)。砂張(さはり)は、銅と錫(すず)を主成分に亜鉛銀、鉛を少量含ませた銅合金の一種。黒く重そうな質感が床の空間をぐっと締めている。季の花は、浜菊(はまぎく)の華やかな姿、上臈杜鵑(じょうろうほととぎす)」は黄色い花、赤い光沢の実をつけた梅擬(うめもどき)で彩られていた。上臈杜鵑の葉先に目をやると、虫食いになっている。秋の自然の情景を際立たせている。華やかさの後に控える「枯れ」の現実。諸行無常のたとえが心によぎる。許しを得て、写真を一枚撮らせてもらった=写真・下=。

   茶席は「わび・さび」「もてなし」の心に自然の美しさと豊かさを加えて、客観的な美を空間に創り上げる総合芸術だと思う。最近は生物文化多様性という表現で日本の茶道を紹介することもある。たかが茶会、されど茶会。その空間には実に深みがある。

⇒8日(祝)夜・金沢の天気    はれ

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