自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆傾きつつも耐える

2007年03月31日 | ⇒トピック往来
 倒れそうで倒れない絶妙のバランスというものがある。能登半島地震の後、3月31日に石川県珠洲(すず)市に入った。地元では古刹として知られる臨済宗のお寺「琴江院(きんこういん)」を拝観させていただいた。背戸には池を配した庭園もあり古刹の風情を感じさせる。

 地震では灯ろうが多数倒れる被害があり、「もしや」と思い、墓地に入った。案の定、3基に1つの割合で倒れる、ずれる、割れるなどの状態だった。ふと見ると、傾きつつも絶妙のバランスで難を免れた墓石があった。高さ40㌢ほどの円筒状である。手前の枯れた竹の切り株が垂直に立っているのでそれと比べると傾き加減が分かる。イタリアのピサの斜塔は傾斜角5.5度。傾きはだいたい同じかと思われるが、この墓石は円筒とは言え、バットのように上部に膨らみがついているので重心はピサの斜塔より上になる。つまり、その分鋭く傾いているということになる。

 じつはもう一つ。絶妙なバランスを保つ石積み(ケルン)が能登にある。輪島市の沖合い49㌔に浮かぶ舳倉(へぐら)島で、漁に出た漁船の目標にしようと、あるいは岩礁が多いため沖に沈んだ難破船の供養のためにと住民が石を積み上げつくった築山だ。この写真を撮影したのは14年ほど前。ご覧の通り傾きつつも日本海の風雨に耐えている造形芸術ではある。

 震災、風雨にさらされながらもバランスを保ち続けるこれらの石の造形を見て感じたことは一つ。人も同じではないか、と。順風満帆の人生というのはそうない。人間社会のストレスあるいは病魔にさいなまれながらもなんとかバンラスをとって耐えて立っている。倒れそうになりながらも倒れず自らをなんとか支えている。周囲の人をハラハラさせながらも耐えて立ち続ける。そんな情感と重ね合わせてみた。

 一つだけ誤解を避けるために言い添える。これは今回の被災者に向けたメッセージなどというものではない。被災は情感で語るものではない。

⇒31日(土)夜・金沢の天気   あめ
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★破壊の時を刻んだ時計

2007年03月28日 | ⇒トピック往来

 余震の回数は減ったとはいえ、それでも28日午前8時8分に震度5弱の余震が能登地方にあった。そんな中、能登半島地震の被災地である輪島市門前町に支援ボランティアとして被災地に入った。

  余震があり危険として、これまで正式なボランティアの受け入れはなかった。いわば、きょう28日が初日である。午前8時に金沢を乗用車で出発し、寸断された能登有料道路を避けて下道を走行する。午前10時すぎに到着した。参加したのは私を含め金沢大学の職員、学生あわせて5人(男性3、女性2)。門前小学校で設置されたボランティアセンターで登録し、保険の手続きをする。センターの指示で家屋倒壊の被害がもっとも多かった道下(とうげ)地区に。何しろ25日の地震で50の家屋が全壊した。その後も余震で被害が拡大している。

  この地区の避難所ともなっている諸岡公民館の救援センターを訪ねる。ここで、被災した一人暮らしのあばあさん(72)宅の片付けの手伝いをするように指示があった。案内してくれたのはO・Nさん(52)。石川県の災害ボランティアコディネーターだが、関西に住んでいた12年前、阪神淡路大震災の被災を経験した。「大きいの二度体験しているから、もう驚かないよ」。ニヤリと笑った。

  道すがら全壊した家屋があちこちに。案内された家は外観はたいした被害がないように見えたが、内部はタンスや仏壇が倒れ、いわゆるメチャクチャな状態だった。おばあさんは「片付けたいとおもうんやけど、どこから手を付けてよいかわからん」と茫然とした様子。台所には割れた皿や茶碗が散乱し、タンスから引き出しが飛び出し、ガラス戸が割れ、さらに壁の石膏ボードがあちこちはがれて落ちている。もちろん住めないので、25日以来、避難所生活だ。預金通帳や印鑑、権利書などの貴重品は自分で探してもらい、そのほかのものを片付け、あるいは廃棄処分にする作業を手伝った。

  午前10時半ごろに始め、途中お昼休憩(弁当は持参)の1時間をはさんで15時00分に1軒目が終わった。続いても一人暮らしのおばあさん(75)宅での作業。自宅のほかに納屋が2つあり、幅3㍍ほどの農機具の棚が倒れるなど相当な被害だ。

  昔から「能登のトト楽」という言葉がある。妻がよく働くので亭主が楽をするという意味。亡き夫のあと家を守ってきた気丈なおばあさんたちだが、地震でメチャクチャになった自宅を片付けようにも、どこから手を付けてよいか自失茫然としていた。我々ボランティアがタンスや仏壇を起こして元通りにするだけで随分とヤル気を取り戻した。

  でも、住めるようにするためには屋根や柱、壁、戸など大掛かりな改修工事が必要となる。平均寿命まであと10数年。一人暮らしをするおばあさんたちに住宅投資をする余力はあるのだろうか。そんなことまで考えると、我々ボランティアの傍らで一生懸命に片付け作業をするおばあさんたちの姿がいとおしく思えた。

  作業を終え、諸岡公民館の避難所センターで作業の終了報告をして一日を終えた。それにしても、2軒の被災家屋で偶然発見したものがある。「25日午前9時42分」、一瞬の破壊の時間を刻んで針を止めた時計だった。

 ⇒28日(水)夜・金沢の天気  はれ

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☆メディアのツボ-48-

2007年03月27日 | ⇒メディア時評

 能登半島地震の被災現場を訪ねた(26日)。家屋被害が集中しているのは、輪島市門前町や河井町などだ。中でも、門前町道下(とうげ)地区では一気に50戸が全壊し、余震があるごとにその数が増えている。以下はそこで見たマスメディアの光景だ。

     倒壊の瞬間を期待するカメラマン

  道下には地元テレビ局をはじめ、東京キー局のSNG車(通信衛星を使った映像素材をリアルタイム伝送)が6台あった。NHK、日本テレビ、TBS、新潟テレビ21(テレビ朝日系)、テレビ東京、石川テレビ(フジ系)と日本のテレビ系列が勢ぞろいしている。朝、昼、夜のニュース番組に中継を入れるためだ。

  通りを歩いていると、テレビカメラを据えつけたグループがあった。中には、スチールカメラを持ったカメラマンもいる。彼らが見つめて方向はただ一点。道路向こうの傾きかけた家屋だ。この家屋が余震で倒壊する瞬間を撮影するためだ。この日も14時46分に震度5弱の揺れがあり、被害は拡大している。

  プロのカメラマンとすると、家屋倒壊の瞬間というのは迫力ある映像に違いない。しかし、住民感情に立てば、隣家が砂ぼこりを立てながら崩れ落ちるを見るのは忍びない。ましてやその家の持ち主にとってはいくら修復は難しいとはいえ、家が倒壊する姿を見るのは心痛だろう。

  確かに、クールにマスメディアの論理で考えれば、被害状況が迫力ある映像を持って放送されることにより、国や地方自治体を動かし、復旧活動も進むという効果はある。しかし、いま住民はそこまで考えてはいない。

 人権侵害でもなく、メディアスクラム(集団的過熱取材)でもない。が、崩れ落ちるのを期待して待つカメラマンの存在に静かな憤りを感じる。これが率直な住民感情であろう。

 ⇒27日(火)朝・金沢の天気  はれ  

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★倒壊と高齢化の被災地

2007年03月26日 | ⇒トピック往来

 きょう(26日)、能登半島地震の被災地を同僚の研究員と訪ねた。今後進むであろう復旧作業に金沢大学の学生ボランティアをどこにどう派遣すればよいのか、現地のボランティア受けれグループとの打ち合わせをするためだ。

  被害状況はマスメディアで紹介されているより、相当大きい。まず、能登への幹線である能登有料道路が陥没で一部の区間(内灘-柳田)しか使えない。さらに、支線の道路は陥没に加え、段差や「うねり」があり、速度は出せない。

   家屋被害が集中しているのは、輪島市門前町や河井町などだ。中でも、門前町道下(とうげ)集落では一気に50戸が全壊し、余震があるごとに、その数が増えている。また、液状化現象で道路の亀裂に噴き上げられた土砂が乾燥して、いたるところに砂ぼこりが舞っている。大事に至る火災は発生していない。

  門前町は江戸時代に北前船の寄港地として栄えたところ。その北前船資料館で有名な「角海家」が崩落寸前の状態だ。強い余震で倒壊の恐れがある。ほか、興禅寺など仏閣が全壊、総持寺祖院は灯篭が倒れたりの被害があったものの、本堂や庫裏などは無事だった。

   写真を撮りながら歩いていると、災害の後片付けをしているおばあさんがいた。この地区は高齢化率47%、冠婚葬祭などの共同体としての活動ができなくなるといわれる「集落集落」に近いづいているのだ。復旧には若いボランティアの手が必要だと実感した。

  26日夜、外の気温は4度。放射冷却現象で気温が下がっている。避難生活を送る人は輪島市門前町だけでざっと1500人。中には、家屋が倒壊し、畑のビニールハウスで寝泊りをしている家族もいる。この寒さはこたえているはず。

   旧・門前町役場で設置されたボランティアセンターでは余震が収まる見通しの28日から毎日200人規模のボランティアを金沢から受けれる段取りをしている。内容は、被災地での後片付けや避難所への食事の運搬、飲料水の高齢者宅デリバリーなどさまざまにある。学内のボランティア団体に対し活動参加の呼びかけを始めている。

 ⇒26日(月)夜・金沢の天気   はれ

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★能登の地震と津波

2007年03月25日 | ⇒トピック往来

 30年ほども前に読んだ小松左京のSF小説「日本沈没」では、ユーラシアプレートに乗っている能登半島など日本列島は太平洋プレートに押され沈没するが、最後に沈むのが能登半島という設定だったと記憶している。そんな印象から、能登は地震の少ない地域だと、思っていた。ところが、今回は2004年10月23日の新潟県中越地震(震度7)に次ぐ、震度6強である。新潟では59人が死亡、4800人以上が負傷し、新幹線が脱線した。今回の能登でも庭で倒れた灯篭の下敷きになって52歳の女性1人が亡くなっている。

  能登では1993年2月7日にも震度5の地震があった。22時27分、能登半島北方沖を震源とするマグニチュード6.6の地震が発生。輪島で震度5、金沢震度4を観測した。輪島での震度5は観測史上初めて、金沢の震度4は1948年の福井地震以来であった。震源地に近い珠洲市では場所によって震度6に達していた可能性があり、被害は同市を中心に発生した。裏山の崩土による神社の本殿・拝殿の倒壊のほか、住宅の損壊22棟、木ノ浦トンネルの崩落など道路被害141ヵ所、陥没した道路へ車が突っ込んで運転者がケガをしたのをはじめ屋内で29人が転倒物や落下物によって負傷したが死者はなかった。(「能登半島沖地震被害状況調査報告」=1993年2月11日調査・金沢大学理学部 河野芳輝・石渡明=より)

 このほか、私自身、津波を体験している。忘れもしない1983年5月26日正午ごろ、秋田沖が震源の日本海中部沖地震が起きた。確か、輪島では震度そのもは3だったが、猛烈な津波がその後に押し寄せた。高さ数㍍の波が海上を滑って走るように向かってくるのである。ご覧の写真は当時の新聞記事(北國新聞)だ。当時、私は輪島で新聞記者の支局員だった。輪島港が湾内に大きな渦が出来て、写真のように漁船同士が衝突し、沈没しかかっている船から乗組員を助け上げているアングル。この写真は新聞の一面で掲載された。現場に近づいて、数回シャッターを切って、すぐ逃げた。大波が間近に見えていたからである。

⇒25日(日)午後・金沢の天気  くもり

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☆能登地震ショック

2007年03月25日 | ⇒トピック往来

 きょう25日9時42分の揺れは相当だった。震源は能登半島の輪島沖だが、金沢市内にある自宅(木造2階)でも相当の揺れを感じた。家全体が持ち上がるような、そんな揺れである。その時、私は横になっていたので特にそう感じたのかもしれない。この揺れで、我が家のホームエレベーターが止まった。私の実家(能登町)には電話がつながらない状態になっている。

 11時05分現在、私の実家(能登町)には電話、携帯電話ともにがつながらない。12時05分に金沢大学「能登半島 里山里海自然学校」の赤石大輔・常駐研究員とは携帯電話でつながった。「揺れは大きかったものの落下したり、家屋の損壊はない」という。いまから自然学校の方を見に行くということだった。

震度は石川県の七尾市、輪島市、穴水町で震度6強、志賀町や能登町などで震度6弱、珠洲市で震度5強を観測した。マグニチュードは7.1だった。石川県で震度5以上の地震を観測したのは、2000年6月の石川県西方沖地震(震度5弱、M6.2)以来。

 12時25分現在。輪島で52歳の女性1人が死亡、40人が病院に運ばれている、というニュースが流れている。NHKのテレビ画像では、市内の重蔵(じゅうぞう)神社の鳥居(石柱)が倒壊していた。また、珠洲市と輪島市の境にある「垂水(たるみ)の滝」周辺では山の中腹部から道路に落石があった。巨石のようだった。道路も陥没している。復旧にも時間がかかる。これから春の観光シーズン、観光産業に与える影響は甚大だろう。

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★メディアのツボ-47-

2007年03月24日 | ⇒メディア時評

 関西テレビの「発掘!あるある大事典」のデータ捏造問題で、関テレが委嘱した外部調査委員会は3月23日、調査報告書を公表した。報告書は150ページ余り。小委員会で元検事の弁護士18人を配置し、事件捜査の手法で、かつての番組関係者、広告代理店担当など70人から「事情聴取」を行った。延べ5000時間、2ヵ月かけて520回の番組すべてをチェックし報告書をまとめた。内容は相当に厳しい。報告書要旨に関しては24日付の朝日新聞が詳しい。

     浮かび上がった「捏造現場の闇」

  問題があった番組は「納豆ダイエット」(07年1月7日放送)を含め16番組。その内訳は、日本語のボイスオーバー(吹き替え)による捏造4件、データ改ざん4件、そのほか実験方法が不適切であったり、研究者の確認を取ってないものが8件となっている。「調査委員の指摘」の欄では委員の憤りを感じることができる。「足裏刺激でヤセる」(06年10月8日放送)では「中性脂肪などの数値で実際には増加している被験者もいるのに減少者のみ(のデータ)を採用している」と指摘し、「狡猾(こうかつ)に番組テーマに沿って視聴者の心理を操作する演出をしている」とコメントをつけている。これが刑事事件だったら、詐欺罪が成立しそうな「論告文」の書き方ではある。

  報告書では関テレの責任についてこう記述している。番組を捏造した責任は再委託(孫請け)先の制作会社(「アジト」など)にあるものの、委託した日本テレワークとのその制作担当者、さらにその管理・監督する立場にある関テレのプロデューサーら番組制作担当者はその不正をチェックし、防止することができなった。また、これまで健康情報を扱った番組の不祥事が相次いだが、放送責任を負う関テレの経営幹部には危機意識が薄く、再発防止のための内部統制の仕組みを構築するなどしてこなかった。これは「(関テレの)構造的な要因」とし、「関テレの取締役と番組の制作担当者らの社会的責任は極めて大きい」と指摘している。

  問題は、これら一連の不正が放送法3条の2第1項3号にある「報道は事実をまげないですること」に抵触しているかの解釈についてだ。新聞掲載の報告書要旨によると、「『発掘!あるある大事典』は報道そのものには当たらないとし、さらに関テレ側は捏造を見過ごし、結果として事実に反する内容を放送したものの、「この規定に違反したとまではいえないと考える」としている。つまり、関テレが意図的に事実を曲げたわけではない、との解釈である。

  放送法との照らし合わせによる指導や処分は、関テレが総務省に3月27日に提出する最終報告書を見ての総務省判断となるが、行政指導ならば「厳重注意」「警告」、あるいはもっと重く行政処分ならば「電波停止」「免許取り消し」となる。ただし、日本のテレビ放送の歴史53年間で行政処分が発動されたことはない。

  今回の報告書で注目したいのは再発防止への提言。ポイントは2点である。一つは経営側のコンプライアンス(法令遵守)。取締役会決議による番組制作ガイドラインや倫理行動憲章の制定と情報開示、社外取締役の選任など。二つ目は番組制作現場のコンプライアンス。番組を制作する過程での注意事項をまとめたチェックフローを作成し、捏造や人権侵害を内部的に監視する考査部門を増強することなど。中でも、制作現場における制作者の良心を養護する役割を担う「放送活性化委員会(仮称)」の設置提案は目を引く。

  この意味は、逆に言えば、これまでの制作現場は自由闊達な論議の上で成り立っていたのではなく、制作ノルマに縛られ、一部のディレクターが有無を言わさぬ雰囲気をつくり、硬直化した制作現場だったことを伺わせる。業種は違っても、「不正の現場」の雰囲気はおおむね共通している。番組の問題点を洗い出した「ヤメ検」たちはこの「捏造現場の闇」を鋭く見抜いたのである。

 ⇒24日(土)夜・金沢の天気  雨

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☆「雲を測る」スケール感の人

2007年03月20日 | ⇒ドキュメント回廊

 金沢21世紀美術館の屋上に据え付けられているブロンズ作品は「雲を測る男」である。その作者であるヤン・ファーブル(ベルギー)はあの有名な昆虫学者ファン・アンリ・ファーブルのひ孫だ。が、この作品を実際に見た人はブログの写真と実物はちょっと違うと言うだろう。そう、男が胴から腰にかけて白い布をまとっている。この写真を撮影した2004年9月、台風16号と18号が立て続けにやってきた。何しろ屋上に設置されているので台風で倒れるかもしれないと、まず布を胴体に巻いて、その上にワイヤーを巻いて左右で固定したものだ。

   美術館はオープン前の一番あわただしいとき。案内役だった館長の蓑豊(みの・ゆたか)氏のそのときの言葉が振るっていた。「金太郎さんの腹巻のようでしょう」と。場を和ますユーモアの人である。その蓑氏が3月31日付で館長を退任する。

 蓑氏は初代館長として、子どもが訪れやすい美術館というコンセプトで運営。開館2年余りで来館者は300万人を突破した。いまや兼六園や武家屋敷と並ぶ金沢の名所となった。金沢生まれ、慶應義塾大学(美学美術史)を卒業し、米国ハーバード大学で博士号取得。シカゴ美術館東洋部長などを歴任、現在、全国美術館会議会長も務めている。

 その華麗な経歴に似合わず、話し振りは「人懐っこいオヤジさん」という感じ。アイデアがポンポンと飛び出す。開館当時語った目標の入場者は「1日千人」。この数字をいかに日々達成していくか。たとえば、館内にはこの建物に工事にかかわった2万人の名前を金属板に刻んで掲げてある。「その家族や兄弟、子孫が名前を見に足を運んでくれる。いいアイデアでしょう」とニヤリ。「その積み重ねで賑わいや30億、40億の経済の波及効果が生まれはず」とも。アメリカ仕込みの人の心をつかむアイデアと計算の緻密さが買われ、05年4月には金沢市助役にも抜擢された。

 その蓑氏の手腕を、世界的な美術品オークション会社「サザビーズ」も欲していたようだ。退任後、蓑氏は再び米国ニューヨークに渡り、この5月からサザビーズ北米本社の副社長に就任する。「10年以上前からサザビーズに誘われていた。渡米後は世界の超一流の美術品に囲まれて暮らしたい」(20日付の朝日新聞)と語った。雲の大きさを測るような、スケール感のある人なのである。

 ⇒20日(金)夜・金沢の天気  くもり

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★「不都合な真実」という授業

2007年03月17日 | ⇒ランダム書評

 トヨタの株が2月末に3000円の大台に乗り、いまは調整局面に入っているものの、再び上昇するだろう。何しろ、アル・ゴア氏が主演するドキュメンタリー映画「不都合な真実」=写真は映画パンフ=では、トヨタが排気ガス規制車のトップをいっていると図表で説明し、最後のロール字幕では「車の燃費を良くすれば、無駄なエネルギー消費を防げます」と呼びかけている。このところトヨタがじりじりとアメリカでの自動車シェアを伸ばしているのも、おそらくこの映画のおかげだ。

  ゴア氏ほど有能なコピーライターはいないだろう。映画の冒頭で自らを紹介するのに「一日だけ大統領になったゴアです」と。2000年に大統領に立候補。全国一般投票では共和党候補、ブッシュ氏より得票数で上回ったが、フロリダ州での開票手続きについての問題の後、落選が決定した。そのアメリカの選挙史上の前代未聞の出来事をこのワンフレーズで言い切るのである。

 クリントン政権の副大統領を1993年から2001年まで務めた間、ゴア氏が企画した「情報スーパーハイウェイ構想」が呼び水となって、インターネットが爆発的に普及した。当時、日本のどのローカルにあっても、「○○情報スーパーハイウェイ構想」があった。その元祖である。  さらに、クリントン政権末期にナノテクノロジー研究に対して資金投下をした。これが、ナノテクノロジーという研究分野が世界的に注目されるきっかけになった。この意味で、彼は世界で有数の「トレンドメーカー」とも言えるかもしれない。そして、次なるトレンドが「不都合な真実」となる。

  そのゴア氏が世界を飛び回って、「地球は人類にとって、ただ一つの故郷。その地球がいま、最大の危機に瀕している。キリマンジャロの雪は溶け、北極の氷は薄くなり、各地にハリケーンや台風などの災害がもたらさえる」と訴えている。地球温暖化の環境問題を切り口にしたスライド講演。そのままを映画化した。だからドキュメンタリー映画であり、教育映画であり、科学映画といった、従来の映画の域を超えて、映画メディアを使った「ゴアの授業」と言える。

  この映画の凄みは、環境の危機を訴えているだけではなく、政治家らしい透徹した眼で「戦争の危機」をも訴えている。オイルの争奪戦ではない。水飢饉による、「水戦争」である。「ヒマラヤの氷が解ければアジアの水不足は深刻になる」とゴア氏は淡々と説明する。以下は映画では言及されていないが、上流の中国と、下流のインドで起こりうる「貯水ダムをめぐる戦争」といった事態を予感をさせるのに十分なのである。そして、中国でスライド講演をした折に、中国の大学生に「(思想ではなく)科学で論じよう」と訴えるシーンがある。この言葉の意味は中国においては実に政治的である。

  この映画のまとめは、「地球温暖化に対する議論の時代は終わった。唯一残された議論は、どれだけ早く行動に移るかということ」。 そして誰に対して不都合かというと、石油メジャーや米国の自動車産業界をかばって、京都議定書(Kyoto Protocol)の批准を拒否している共和党の現政権ということになる。(3月15日、「金沢フォーラス」イオンシネマで鑑賞)

⇒17日(土)午前・金沢の天気  くもり

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☆「報道被害」と「報道不信」

2007年03月13日 | ⇒ランダム書評

 マスメディアの記者もベテランの域に達してくると「取引」というものを心得るようになる。一つの情報材料を相手につかませ、さらに別の情報を得るのである。もちろんこれは闇のトレードなので上手にやらないと自分の首を絞めることになる。

  土地取引に関して国会で質問した衆院議員(国民新党)が脅迫された事件にからみ、議員を取材した録音データが漏洩し、インターネット上のブログに掲載された問題で、毎日新聞社は3月12日付でデータを外部に漏らした41歳の記者を諭旨解雇とした。記者が取材した録音データが入ったICレコーダーを議員の了解なしに第三者の取材協力者に渡したのである。その取材協力者とは元暴力団組長だったので背景の根深さと波紋を広げた。

  取材協力者とはいえ、記者より25歳も年上、しかも、その世界の修羅場をくぐってきた相手との取引である。相手の貫禄勝ちだったかもしれない。ともあれ、記者は取引に失敗した。

                 ◇

 きょうの本題は書評である。梓澤和幸氏の「報道被害」(岩波新書)は実に読みやすい本だった。ベテランの弁護士だけに、論点の組み立てがしっかりしていて、贅肉のないの文章はまさに立て板に水を流すように整然としている。

  内容のポイントは2点。「警察情報に過度に依存したマスメディアの取材のあり方の見直し」と「ルーティーンワーク化した取材のあり方の見直し」である。この2点をメディア自身が改革しないと、いつまでたっても松本サリン事件や桶川ストーカー殺人事件にみられたステレオタイプの取材が横行し、メディア・スクラム(集団過熱取材)といった報道被害はなくならない、と著者は問題提起をする。

  その解決策として、新人記者の教育に「警察まわり」があるように、「弁護士まわり」も組み込んだらどうかと提案は具体的であり実行可能である。また、ユニークな改革案として、あえて警察情報とは別の視点で事件を取材する記者を配置してはどうかという点。警察情報を得て、被害者宅を取り巻くメディア包囲網とはまった別の角度から取材する記者を配置すべしというのだ。これに関しては、伝統的に社会部の遊軍が担当してきたジャンルではあるが、編集局内の制度として試みるのであれば斬新な改革ともなりうる。

  こうした具体案の以前に、取材そのもの、たとえば編集権は一体どこにあるのか、記者たちにあるのか経営者なのかというところをきっちりと内部論議をしないと、改革論議が進まないのは言うまでもない。

  ことしに入り、冒頭に記した毎日記者の不祥事のほか、関西テレビ「発掘!あるある大事典Ⅱ」のデータ捏造問題や朝日新聞カメラマンの記事盗用などマスメディアをめぐる問題が噴出している。著者は弁護士なので「報道被害」をタイトルにして「メディアの改革を急げ」と述べているが、裏腹に「報道不信」も深刻なのだと指摘している。ここでメディアが自ら対策を講じないと、国民のメディア不信を背景に権力がメディアの首を絞めにくる。そう警告を発している。

⇒13日(火)午後・金沢の天気  はれ 

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