自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★文明論としての里山8

2010年01月18日 | ⇒ランダム書評

 能登半島の先端、珠洲市三崎町に「へんざいもん」という言葉がある。自家で栽培した野菜などを知人や近所におすそ分けするときに使う。「へんざいのもんやど食べてくだし」と言って、ダイコンや菜っ葉を手渡す。「へんざいもん」を漢字で当てると「辺採物」、「この辺で採れた物」である。「手作りのもので、立派な商品ではありませんが、どうぞ食べてやってください」と少々へりくだった言い回しの贈り物である。誤解されがちだが、これは単なる物々交換ではない、隣人愛に満ちた贈与なのである。

            失われた価値を求めて

  この「へんざいもん」という言葉を数年前に知って、中沢新一著『愛と経済のロゴス』(講談社・2003)を想起した。グローバル経済を突き動かしているのは欲望だ。しかし、愛もまた欲望に根ざしている。となれば、愛と経済は深いところでつながっている。そんなところからいまの資本主義の有り様を批判したのが『愛と経済のロゴス』である。以下、著書を自分なり解釈しながら、経済とは何かを考えてみる。

  いまの商品経済を支えているのは交換原理だ。近代資本主義は、この交換原理を全世界にゆき渡らせた。このグローバル経済で、かつてないほど豊かなはずなのに、なぜ幸福感も豊かさも感じられないのか。それは、資本主義という商品経済だけが発達し、何かのバランスが崩れているからだ。そのバランスとは、近代資本主義以前にあった、「贈与」「純粋贈与」という経済の要素である。著者が、例としてあげるのはバレンタインデーのチョコレートだ。もともとチョコレートには値札が付いていたが、贈るときには外され、「商品」としての痕跡が消される。同じチョコレートでも買うのと、贈られるでは価値が違う。そこには贈与とう愛がある。

  贈り物にはそれ以外にも特性がある。例えば、朝市での物々交換ならば、モノはその場で交換しなければ、交渉が成立しなくなってしまう。だが、贈与の場合は違う。その場でお返しをするのではなく、時間をあけてからお礼をした方が隣人愛や信頼関係が持続している証(あかし)とされる。交換はマネーによって価値を決めることで可能となるが、贈与の方は、贈るモノの価値を極力排除することからスタートする。つまり、値札を付けて贈り物をする人はいない。前述の「純粋贈与」は、贈り物と返礼の関係ではなく、一切の見返りを持たない贈与、贈られたことの記憶も見返りも求めない贈与を「純粋贈与」と著者は表現している。

  本来あった経済の「贈与」「純粋贈与」の部分を徹底的にそぎ落とし、「交換」に集約して近代資本主義は完成する。そして、幸福感も豊かさも感じられない経済に突き当たったのが現在である。著者は、最近の自然農法や有機農業、里山保全活動に共通するのは、数万年の時空を超えて、失われた贈与理論を復活させようとする試みではないか、と指摘している。重農主義とも言う。人間は農地に対して労働を注ぐ。重要なのは、贈与において相手を思いやる繊細な心が何よりも大切なのと同じように、耕す人々が細心の心遣いを農地に対して払うことだ。これによって、農地の価値が発生する。つまり、労働は農地に対する一種の贈与なのである。

  話は「へんざいもん」に戻る。大地の恵みを得て、人は感謝すると同時に物質的な豊かさではなく、「隣人との関係価値」を求めて贈与を行う。人と人が結びつくことでより豊かになれると考えるからである。富の独占ではなく配分だ。収奪型のマネーゲームとは対極の構図である。私は何も昔に戻れと言っているのではない。人々は失われた経済の贈与価値を再び求めて始めているのではないかと思っている。

 ⇒18日(月)金沢の天気   ゆき

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☆文明論としての里山7

2010年01月10日 | ⇒トレンド探査

 「もったいない」という言葉はいま様々に使われている。環境、省エネ、ライフスタイル、道徳、躾(しつけ)などの場面で登場する。もともと、「もったい」は「勿体」、つまり「物の形」「物のあるべき姿」である。それが「ない」。つまり、「物のあるべき価値が失われる」というふうに自分なりに解釈している。

           転換期のニューカマー

  痛切に感じる「もったいない」は「土」と「人」の失われた関係である。耕作放棄地や荒れ放題の山々を見るがいい。祖先は生きる糧を食料に求め、開墾し耕した。心血を注ぎ、田を耕し命をつないできた。それを子孫はあっさりと捨てて都会に出て行く。労働と引き換えに貨幣を得て、商品を得る。コマーシャルリズムに踊らされて、トレンドだ、ブランドだと物への欲望をかきたてる。商品取引イコール経済活動という交換経済の中に埋没していた。

 こんな話を耳にした。いわゆる「団塊の世代」の男性。地方出身で都会で会社定年を迎え、改めて生まれ故郷を見渡すと、山河が荒れ放題になっていた。「これまで薄っぺらな都会の消費生活に惑わされていた」と気づいた。「我々の同年代は元気だと世間ではいわれるが、故郷に帰って田畑を耕したり、山を整備する元気はない。田舎に帰ろうにも家族の同意が得られない。同じように悩んでいる地方出身者は多い」と自らの無力感を語って見せた。

  いまの日本を覆う「乾いた雰囲気」は、危機感の前兆だと考えている。物欲に熱狂していた、ほんの数年前まではよかった。それが、金融資本主義が空虚な「ババ抜き」だったと露呈した「リーマン・ショック」(08年9月)の連鎖反応ですさまじい経済不況がやってきた。商品が買えなくなり、熱狂が冷めた。将来の人生と生活をどうすればよいのかと漠然とした不安が若者の間に巻く。前述の団塊の世代が感じ始めている自らの無力感、そして若者が感じている漠然とした不安感がない交ぜになって、日本を「乾いた雰囲気」を覆う。

  デフレスパイラル。人々は、これまで享受してきた「日本の富」は減少し、復活はないと感じ始めている。日本だけではない。リーマン・ショックの震源地アメリカや、ヨーロッパの人々もおそらく感じているだろう。上り調子のインドや中国などは自らの旺盛な物欲で経済が回ってはいるが、早晩「バブルのツケ」も回ってくる。

  「真の豊かさ」とは何か。人間の生きる価値とは何か。人々がずっと追い求めてきたテーマが戦後の振り出しに戻った。そんな感じである。しかし、次にくるのは危機感だ。これまでの「富の源泉」が一体どこから来ていたのか、人々が考えたとき、そこが荒れ果てた姿になっていて愕然とするだろう。農地、川、山のことである。

  最近面白い現象が起きている。農業に関心を持つ若者が増えている。能登半島。金沢大学が実施している、農林水産業の環境人材を育てる「能登里山マイスター」養成プログラムでは現在40人の社会人が学んでいる。そのうちの7人は東京や名古屋といった都会からの移住組である。彼らは自分の体を使い、労働を介して自然とつながれば生きていける、あるいは富の源泉である自然とかかわることで新たなビジネスを始めたいと能登半島にやってきた。それは人間の本来の、自然とかかわり産み出すという本能的な感覚だ。私は彼らを「ニューカマー(newcomer)」と呼ぶことにしている。土地は不動であり、そこを行き交うのは人々である。土地に魅力を感じなくなった人々がその土地を去った後、「もったいない」と荒れ果てた土地を再び開墾するためにやってきたパイオニアである。

  これは予兆ではないかと考えている。金沢大学の能登プログラムだけで7人である。この若者の「帰農現象」は福島県や山梨県などで顕著で、全国規模だとおそらく数千人規模で起きているのではないかと推測している。さらにこの現象は加速し、近未来で数十万人にブレイクするのではないか。文明の転換期に繰り返されきた人々の移動ではないか、そんなふうに直感する。

 ⇒10日(日)夜・金沢の天気  くもり

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★文明論としての里山6

2010年01月08日 | ⇒トレンド探査

 「ITや科学の技術がわたしたちの問題を解決する」、そんなふうに日本人は信じ続けている。元旦の新聞紙面には「携帯端末向けマルチメディア放送」を携帯電話から広がるバラ色の未来のような感じで紹介されていた。果たしてそうなのだろうか。情報の過剰、ニュース(大事件)の過剰、色彩の過剰、モノの過剰に現代人は悩まされ続けているのではないだろうか。これ以上、情報を得てどうするというのだ。そして、法律の過剰。社会は、窒息しそうなくらいに細かく法律をつくって、それに反した「犯罪者」を量産している。自家中毒に喘ぐ人々の姿、これは文明の行き詰まりではないのか、最近、そんなふうに考えている。

                                        過剰な時代の貧困な精神

  白山ろく、旧・白峰村(現・白山市)に焼き畑の伝統技術を現代に伝える人たちがいる。焼き畑の研究をしている橘礼吉(たちばな・れいきち)氏からこんな話を聞いた。「かつて焼き畑は原始的、粗放的な農耕といわれてきたが、そうではない。循環型の、持続可能な農法なのです」と。焼き畑というと、森林破壊の元凶とのイメージを持つ人が多い。化学肥料をまいて、その土地が持つ地力以上の農産物を搾り取るのが近代農業だ。焼き畑はそうではなく、地力を生かした農業であり、休閑地を設けて自然な森林の再生を促す。ヒエやアワをつくり、木から道具をつくる。炭を焼く、薬草を採取する。

  当地ではこうした生産スタイルを「出(で)づくり」と呼ぶ。水田の確保が難しい奥山の山中にあって、どうすれば暮らしを持続可能にさせることができるか、人々が自然と向き合い、自然の摂理を脳と体に叩き込んで得た知恵だったのだろう。人と自然の絶妙なバランスを限りなく追求した姿だった。焼き畑の時代に戻れと言っているのではない。その精神が「うつくしい」のである。『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド著、草思社)で紹介されているように、マヤの小国の王たちは気候変動の危機に直面しているにもかかわらず、「よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、互いに負けまいと懸命になった」、そして文明の崩壊を招いた。この姿は、情報過多で喘いでいるにもかかわらず、さらに多くの情報を得ようと血道を上げる現代人の姿に似ている。

 ⇒8日(金)夜・金沢の天気   あめ   

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☆文明論としての里山5

2010年01月02日 | ⇒ランダム書評

  「文明の繁栄には崩壊の芽が内包されている」。こんなキャッチフレーズが目に留まって、『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド著、草思社)=写真=を手にした。上下巻で800㌻余りに及ぶ。イースター島、マヤ文明、現代中国など文明の繁栄は環境に負荷を与え、それが跳ね返って崩壊が始まる。一方で、環境危機を巧みに乗り越えて続く文明もある。文明の盛衰のサイクルの謎に、臨地的な調査(フィールドワーク)で迫った労作である。

            危機は見えているのか           

  本文を引用しながら、いまから1千年以上前にメキシコ・ユカタン半島とその周辺で崩壊したマヤ文明の謎解きをしてみる。その崩壊のプロセスはこうだ。マヤ民族は少なくとも500万人はいた。「入手可能な資源の量が人口増加の速度に追いつけなくなった」ことで人口と資源の不均衡が始まる。「森林破壊と丘陵地の侵食」が農地の総面積を減らす。減少する食料資源をめぐって、人間が争いあうようになり「戦闘行為が増加」した。小国同士がつばぜり合いを演じた。統一帝国ができなかったのは、マヤにはウマやロバといった運送に利用できる家畜がいなく、陸路の運搬は人の背に載せて行われたからだ。つまり、長距離の戦闘はできなかった。しかも、主食であるトウモロコシを兵士も荷役も食べるので、長期間の戦闘でできなかった。マヤの軍事行動は「期間も距離も大きく制限されていた」のである。そして、マヤを気候変動が襲う。旱魃(かんばつ)だ。

  こうした目に見える危機に対しても、小国の王たちは、「よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、互いに負けまいと懸命になった」。結局、現実の重大な脅威を前にしながら、支配者たちはなんら能動的な打開策を講じなかった。

  著者は文明の崩壊だけを論じているのではない。危機に対応した例として徳川幕府を挙げている。首都・江戸の明暦の大火(1657年)、火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大だったとされる。江戸再建のために膨大な木材を必要とした。森林を切り出した後、幕府は直轄山林に管理者(勘定奉行)を置き、さらに各藩の大名もそれにならって森林の管理者(山回り役)を設けた。また、村々の森林についても、村人全員が利用できる共有財産、いわゆる入会(いりあい)地として管理させた。このように、トップダウンで山の管理を徹底させることで、日本の森林の乱伐は防がれた、と述べている。

  現在、自然環境を守る主役は国家権力や支配者ではない。国民や市民である。著者は、「神は大地を創ったが、オランダ人はオランダを創った」とのことわざを引き合いに出して、海抜がマイナスの干拓地(ポルダー)に肩を寄せ合って住むオランダ人の環境問題(地球温暖化など)に対する機敏な対応や、人々の連帯感を高く評価している。対照的に、アメリカの風潮を「裕福な階層はどんどん、ほかの階層から隔絶を図り、自分たちだけの仮想ポルダーを築き上げて、個人の安全と快適さを金で買い…」と痛烈に批判している。アメリカの仮想ポルダーとは塀で囲まれ、富裕層が住むゲート・コミュニティのことを指す。「そういう別格化の底には、エリートは一般社会の問題とは関わらずにいられるという誤った信念がある」とさえ。マヤの小国の王たちは危機に瀕してもひたすら神殿をつくり続けた。いまのアメリカのエリートたちはそれと同根だと著者は下巻の最終章で述べている。

  以下、感じたことを述べる。このマヤの小国の王やアメリカの富裕な階層は、そのまま今の日本人に当てはまるのではないか、と。「豊かなニッポン」という仮想ポルダーをつくり、安全保障を他国に任せ、自国の農地や森林を放棄して食料や森林資源を海外から買いあさる。どこに日本人の危機感があるのだろうか。

 「文明の繁栄には崩壊の芽が内包されている」と冒頭に紹介した。いまその崩壊の芽が膨らんでいる。

 ⇒2日(土)夜・金沢の天気 あめ  

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★文明論としての里山4

2010年01月01日 | ⇒トレンド探査

  里山をノスタルジックに感じる人もいれば、ビジネスチャンスがあると考えている人もいる。国連の提唱によって行われた地球規模の生態系に関する環境アセスメント「ミレニアム生態系評価(MA)」(2001-2005年)では、生態系サービスの変化と、その人間の福利への影響に焦点が当てられた。引き続き、国連大学高等研究所などが中心となって、日本では里山里海のサブ・グローバル評価(里山里海SGA)が実際されており、科学的なデータによる現状認識の合意形成を目指している。こうした生態系サービスといった概念の導入や、科学者の眼といったものが里山に注がれ始めるようになった。さらに、里山保全は環境問題の打開策(二酸化炭素の森林吸収、生物多様性の保全)の一つであるといわれるようになり、一般の理解が進んだ。

             一体、どこが病んでいるのか

  前回述べたように、<SATOYAMA=里山>は国際用語として認知されようとしている。環境省がG8環境大臣会合(08年5月)で採択された「生物多様性のための行動の呼びかけ」を受け、「実行のための日本の約束」として「SATOYAMA=里山イニシアティブ」(以下「里山イニシアティブ」)を打ち出した。生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏は、人と自然が共生するモデルとして描く里山イニシアティブに対し、「日本は成長を続けて現代的な社会を形成した一方で、文化や伝統、そして自然との関係を保ってきた。そのコンセプトは世界で有効であり、日本の経験に大きな期待が集まっている」(COP9での発言)と、条約事務局として支援を表明している。2010年10月にCOP10が名古屋市で開催されることもあり、日本発の<SATOYAMA=里山>は国際会議のキーワードになりつつある。

  こうして、里山という概念のグローバル化が起きている。里山を先駆的に調査研究してきた研究者たちは新たなチャンスと感じ始めている。また、COP10に向けて知事を先頭に里山の再生を政策課題として取り組む自治体も、石川県を始め多くなってきた。そして企業もだ。生態系サービスの手法は生物・生態系に由来し、人類の利益になる機能を経済的価値として算出するもの。たとえば、アメリカドルで年平均33兆㌦(振れ幅は16-54兆ドル)と見積もる報告もある(「Wikipedia」より)。こうした生態系が数値で示されることで企業が目を向け始めてきた。そして、いま里山で起きていることは「都会の若者の移住」という現象である。

  金沢大学が能登半島で環境配慮型の第一次産業の担い手を養成をしている。現在50人の社会人が土曜日を中心に学んでいるが、うち7人が移住組だ。元映画製作者やITエンジニアなど多彩。能登に移住して、農業法人やNPO、ショップで働きながら学んでいる。横須賀市から一昨年移住してきたITエンジニアは顔が青白かった。ところが、いまは農業法人に勤め、実にたくましくなった。先日も雪のネギ畑を訪ねると、「雪のネギは甘みがあってうまいっすよ」と一本差し出してくれた。36歳、農業での独立を夢見ている。彼らは、都会を捨ててなぜ能登半島にやってきたのか。行き詰っているのは経済ではなく、消費するだけの都会ではないのか。文明の曲がり角論をひも解くカギ、それは地方にあるのではないかとにらんでいる。

 ⇒1日(土)夜・金沢の天気  ゆき

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