紀州・有田で田舎暮らし

思いつくままに野菜や果実や漬物を作ったり、時には青春する心を求めてさ迷ったり、気ままに田舎暮らしを楽しんでいます。

<秋の夜長の独り言>生きる哀楽・信仰心 

2019年11月06日 | 我が家の食&漬物作り

古稀をすぎると、今までのさまざまなことが頭をよぎる。

嬉しかったこと楽しかったこともあれば、辛さや悲しみに打ちひしがれたこともある。そして、喜怒哀楽は時間と共に薄らいでくるということも経験で知っている。

ただ、長生きすればするほど、嬉しいことや楽しいこと以上に、つらく悲しいことが多くなる気がする。

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101歳まで生きた母は、90歳を超えてから脳梗塞の後遺症や大腿骨骨折で車椅子生活を余儀なくされた。介護施設と入院生活の繰り返しが10年近く続いた。

病院に骨折入院してまもなく、ありもしないことを口走るようになり、まるで別人のようになりかけたこともあった。みかねて、病院の了解を得て3度3度の食事の世話や車いすに乗せての散歩を何か月も続けたことがあった。すると、医者もビックリするほど回復し認知症にもならなかった。

「ひ孫をみれるまで長生きするとは思わなかった」とほほ笑んだこともあったが、自分より先に長女や長男や伴侶に旅立たれたという悲しい出来事もあった。

そんな苦難を母は乗り越えて生きた。自分なら自由に出歩けない生活は耐えられない気がする。旅立ちの順序が逆転したら、立ち直れないような気がする。でも、母は苦難を乗り越え晩年まで明るく振る舞った。母は強かった。

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人は遅かれ早かれ、いつかは旅立つ。

でも我が魂は永遠だと思えば、セミが貝殻から脱皮するように、死は単に肉体を棄てるだけであり、魂だけの存在になって自在に天国に生きると思えば、日々を安穏に生きられる気がする。

そんなことを示唆してくれる信仰があるおかげで、身近に起こる苦難や自分の体調の変化に一刻は悩み苦しんでも、すぐに立ち直り臆することなく日々を送れる気がする。ありがとうございます・・・